2025.04.19
🟦合格請負人仕事録(3)
都立鷺宮/千葉大工学部・東京理科大
※ 合格したのは平成15年頃のことではなかったか、と記憶しています。
不登校児を都立に受からせる。不登校児の内申は、原則オール1である。鷺宮レベルでも、当日点450点以上(500満点)取らなければ合格できない。オール1を都立に受からせたのは、玉川以来のこと。玉川は、都立普通科最低だから200点で余裕の合格。彼は定期テストの日は出席して受けた。すべて80点以上だった。普通なら青山も視野に入るが、オール1では、内申点は、(1+1+2+1+1)+4×2=14
彼の担任が数学で、数学だけは2をもらえた。(14÷65)×300=64
鷺宮の基準点660
660➖64=596
596÷700=0.85
500×0.85=425
H15の基準点は不明です。660点(1000点満点)は令和7年の基準点です。記憶では、
実際、彼は460点近く取ったのだ。
当然ながら鷺宮では3年間学年一位。
彼は高校も竹の会で勉強しました。学校のレベルが、中学レベルで、大学受験に対応していなかったので、竹の会で高校課程の勉強をしました。現役では、一橋大学受験、一浪して、一橋大学の一次合格も、二次はダメ。後期の千葉大工学部を受験して、見事合格。なお、センター試験で、東京理科大にも合格していました。鷺宮では、開校以来の快挙ではなかったか。鷺宮の教師もまさか合格するなんて思っていなかったと思われる。あまりにも幼稚な授業内容に、面白くなさそうな顔をいつもしていたのだろう。見咎められて色んな教師に睨まれていたようだ。「バカにしてるのか」とよく怒られたそうである。また不登校にならなければとそればかり心配した。教師もそのレベルであった。
竹の会では、例によって、数学と英語を指導した。もちろんトータルの受験コンサルは当然の仕事だ。わたしの特技は、子どもを総合的に診断して、どう導くか、何を処方するか、を適確に判断し、実際に、処方することだ。わたしは、これをコンサルと呼んでいる。
この仕事は、合格請負としては、異質の仕事であった。受験の対応が全くゼロの高校に代わって、大学受験指導をしたこと、全くの竹の会の、わたしの主観的カリキュラムであったこと、また不登校とならないような心理カウンセラーの役目も担ったこと、などである。ちなみに、主観的カリキュラムとは、参考書の選択と、順序、進め方、内容コの指導などを言いますが、これもコンサル業務になります。