2025.02.06
🟧蔑ろにする性格❗️
Aという参考書をやり始めたところ、一月ほどして、評判のいいB参考書が出た。そこで折角進めたA参考書を放棄して早速B参考書を買いやり始める。この場合、A参考書は蔑ろにされたという。デカルトはこの行為を「如何にBが優れていたとしてもやってはいけない」と「方法序説」の中で述べている。このAに注いだ努力を無にする行為をわたしは蔑ろにすると言っています。
安物を買う❗️
安物は総じて品質が悪い。だから二束三文なのだ。
質のいい高い物を蔑ろにしたから。買えないのはしかたない。しかし、それは悔恨となる。
現代は、質がよくて安い物が売れるのは、確かである。それから実はこれが一番大切で「使い勝手」だ。どんなに高級な物でも使い勝手の悪い物は、次第に使わなくなり、箪笥の肥やしとなる運命にある。
教育費をケチる。節約する❗️
これは、教育を蔑ろにしたに等しい。安物を買うに通じる。塾代、参考書代をケチって、結局、低偏差値私立に行き、バカ高い授業料を払うことになる。これを本末転倒という。目先の損得、欲得で物事を選択(判断)すると、ろくなことにはならない。よく安物買いの銭失いというが、教育にこういう家計のやりくりを持ち込むとろくなことにはならない。
借金してでも子どもに教育をというのは正しい。かつて代々木教室時代、赤貧の中学生がなぜか竹の会にやってきた。父親は警備員で母親は病気がちで入退院を繰り返し、親子三人で1DKの木造アパートで暮らしていた。父親の妹が地方に嫁ぎ、父親はその妹に借金を重ねていたようだ。家には、洗濯機もエアコンもなかった。夏3枚のTシャツを回していたのを覚えている。擦り切れ色褪せていた。夏などの季節講習は申し込むのだが、講習費も月謝も何ヶ月も滞納した。何ヶ月も払わないためとうとう退塾してもらった。一年後、忘れた頃現金書留が突然届いた、中には、これまでのお詫びと滞納していた月謝などが全額入っていた。風の便りに彼は代ゼミに通い、都立青山に合格、入学後3年間学年1番で、現役で東大理系に合格した。わたしはサンデー毎日で彼の名前を見つけて、ホッとした。息子の勉学にかけた父親、そして病弱の母親がどんなに喜んだことだろう。苦労した彼なら両親をいつまでも大切にすることだろう。東大に合格したことで、彼の人生は、ガラリと変わることだろう。もう赤貧とはお別れだ、よかった。
家計を考えて子どもに我慢させる。それは仕方ない。ただ教育、受験は、子どもにおカネで我慢させたくない。わたしは、自分が生活でいっぱいのう環境で育ってきたので特にその気持ちが強い。わたしは、子どもには、教育しか与えることができない。そういう信念でおカネを惜しまなかった。それは、わたしの育った家庭が裕福ではなく、教育費には一切カネをかけなかった家ということもある。大学は、国立しか出さないと言われた。しかも学歴コンプレックスで辛酸を舐めて来た父は、旧帝大に行くことを価値としてきた。わたしも旧帝大でなければダメだという思いはあったから、その辺はストレスではない。しかし、当時友人たちが早慶に行くのを横目に見て羨ましいという気持ちがなかったいったら嘘になる。中大法にも気持ちはあった。しかし、旧帝大しかわたしの道はなかったのだ。独学であった。おカネをかけないということの損失を身をもって学んできた人間である。カネさえかければもっとほかの道はあったと思う。
わたしの蔑ろにする選択をする癖は、カネをかけたくないという若き頃の境遇からきたのかもしれない。わたしはカネがないから独学した。その影響を否定できない。わたしは、ポンポンとカネを打ち、手を打つ、そういう選択をしてみたかった。それが成功をもたらすことをわたしは知っている。
カネさえあれば手を打てたのに、わたしは自分の歩んできた道に先人のいなかったことを悔やむ。
先人に学ぶ、その意味をわたしはよく知っている。