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現代受験論 🟩受験で陥る心理の罠❗️

2025.02.13

🟩受験で陥る心理の罠❗️
 自分だけは例外❗️ 自分は特別と考える受験生心理の陥穽❗️
 自己の判断は、偏頗に満ちたものであることは無意識に全否定される。絶対正しいと信じて疑わない。そもそも絶対とか、完全とか、完璧とかは、失敗と結びつく観念である。いつもは模試が悪いのに、なぜか一度だけ成績がよかった、そういうとき、受験生というのは、その一度だけの成績を自分の本当の実力だ、と思う傾向がある。だが、実際には、悪いときの成績が、本番では出る。本番とは悪いときの結果が出るところなのだ。だから難関校を受験する希望がある人は、過去問チェックの時期になったとき、合格最低点を取ることを目標にしてはならない。合格最低点というのは、1点差で百人単位の変動があるラインのことである。大学入試なら千人単位の変動がある。だから合格最低点よりもプラス10%より上の点数を取るようにしなければならない。しかし、受験生というのは、自分に都合のいいように考えがちである。合格最低点を取れば確かにその年は合格なのだろう。そして無意識に合格最低点をめざす。しかし、その年の合格最低点などわかるはずもないから、このくらいだろうなんて考えて勉強する。これでは受からない。最低点のどれだけ上の点が取れたか、これを指標にしなければならない。

 

  受験という現実から逃避する子たち!!

  自ら踏み込んだはずの受験という世界、そこが戦場だと気づいたとき、自分がとても戦えないと直感的に、いや本能的に悟ったとき、戦場から退場するしかないと悟る。

 子どもは、言っていることとは、別のことを考えている。頭のいい子ほど、本当のことを隠して、もっともらしい理由を言うものである。頭のいい子は、自分の実力のないことを悟る。頭の悪い子はそのことさえもわからない。頭のいい子は、実力がないから「逃げる」。それは生存本能に根ざす、自己を保つための、バランスを保とうとする行動である。自尊心という厄介なものを育んできたのが、頭のいい子である。その自尊心が一気に、しかも他人から否定される局面が来たとしたら、何か口実、しかも大義名分じみた口実を考え出すであろう。もちろん心のバランスが崩れるのをなんとかしたいという力学的反応である。そして突然反乱を起こす。これも現実から逃げるための、もしかしたらこれしかない術なのであろう。
 しかし、逃げたらそれでゲームオーバーである。ここで、タフさというのが、意味を持つ。わたしが精神のタフさを受験に求めるのは、ここにある。タフな人間は、逆境に際して、立ち向かう、強い意志、負けたくない、勝ちたいという情念、ごある。気概がある。逆に気概を示すことによって自らを鼓舞する。
 根底に流れる、強い学問という存在に対する信頼がある、そういう子が少なくとも自分の夢を未来を勝ち取る。

🟥遅いから落ちる❗️ 受かる人は疾い❗️そして対策も早い❗️
 わたしには、もう受験の時にどうなるか、どういう事態になっているのか、わかるのです。早くから始めなければ、結局、いいところにはいけないだろう。部活をやっていれば結局底辺高校に行くしかなくなるだろう。習い事、稽古事、その他を優先させていれば、受検は間に合わないだろう。小4、小5をのんびりと過ごせば、もはや受検どころではなくなるだろう。季節講習をスキップしていれば、受検は失敗するだろう、また高校受験はいいところには行くことはないだろう。それは最初からわかっていることです。
 高校入試なら、中2までに、偏差値70未満の高校ほどには仕上げて置かなければ、難関校、独自校は無理だろう。小5までに算数を仕上げておかなければ、都立中学受検は厳しい、おそらく無理かもしれない。そういう予測はしています。
 しかし、親たちは、平気で家族旅行、その他で、貴重な指導時間をスキップしてきます。季節講習ももちろんスキップか、それに似たりです。その分期待された家庭学習もほとんどやらない。課題もやらない。そのくせ受検直前には、異様に、合格に執着します。あれだけ時間を蔑ろにしてきたこともすっかり忘れてしまって。
 わたしは、親たちの落ちる方向へしかない行動を落胆しながらずっと見てきました。本当に受かりたいのでしょうか。それなら受かるための行動というのがあります。竹の会の指導時間だけ出ても合格はありません。指導時間は合格に必要十分な量ではないからです。受かるために、必要な時間というものがあります。また家庭でやらなければならない課題というのもあります。
 せめて小2から指導できていればまた展開も変わったと思います。
 あるいは、高校入試なら、小6の2月から全力で走っていたなら、また展開も変わったと思います。前倒しで、進めていたなら、また展開も変わったと思います。中2まです。遅い、時間がかかる、スキップをする、ということに本気で立ち向かってきたならば、また状況も変わったと思います。
 わたしにはわかるのです。このままでは、受からないということが。
 中1、中2でのんびりとやっていれば、いずれ失速するであろうこともわかっていました。中3になって、あるいは小6になって、その現実を知ることになる。それもわかっていたことです。
 遅れている、時間がかかる、こういうときは、いずれ失速することはもう見えていることです。
 予定のレジュメのほとんどをやり残すことになる。それは指導というか、手の打ちようがないということです。わたしが直前期に手を打てずに、もう本人のやるがままに任せるしかない、状態です。それはわたしから黙り込んだ時でもあります。
 やらなければならないレジュメというのがあります。しかもある時期までにです。直前ギリギリまでにやればいいというのではありません。それでは、反芻する時間、解き直しの時間が、ありません。
 わたしが小2までにと言うのは、時間がない、足りないからです。
 よく中学生が陥るのは、学校の宿題、定期テストの対策を優先し、竹の会の予定されたレジュメをどんどん先送りしていくことです。その結果が、どうなるか。中3になれば分かります。実力がつき切らないために点が取れないのです。V模擬が冴えない。独自校は無理。内申がよければ、共通問題校のどのレベルが可能かという選択にならざるを得ない。竹の会の予定レジュメを先送りするのは、どんどんトップ都立、難関私立の受験から遠ざかる選択と行動をしている、ということを悟るのは、中3の2学期なのでしょうね。またスキップの結果、受けられるのは、どこなのかを悟るのも、その時期です。中2までは学校の成績、つまり目の前の成績で一喜一憂するだけで、本当の失敗には気がつかない。受験にコストをかけないことが、低偏差値私立に行ったときのコスト、コストパフォーマンスを忘れた愚かな選択だということが、その場になってみないとわからないのが並みの人間です。低偏差値の私立にカネを使う、しかも3年間も、その結果、社会に放り出すことは、なんという子どもにとっては報われない人生の選択なのかということを。だから教育は投資、子どもの将来のための投資だと言っているのです。

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