2024.02.24
現代大手塾事典2
エルカミノ 生徒数1600 校舎数13 月額授業料 小5 52800 小6 55000 特色 算数が得意な生徒が集まる、算数に強い塾
グノーブル 生徒数3500 校舎数12 月額授業料 小5 48400 小6 59400 特色 国語に重点
Z会エクタス栄光ゼミナール 生徒数 - 校舎数7 月額授業料 小5・小6 58080 特色 難関校対策
SPICA 生徒数 - 校舎数1 月額授業料 小6 45800 特色 早稲田アカデミー運営の思考重視型塾
アントレ 生徒数 450 校舎数2 月額授業料 小6 49500 特色 かつての学習指導会の指導者だった人が立ち上げた塾 完全予習型塾 「予習シリーズ」塾
栄光ゼミナール最難関女子中学受験専門館 生徒数 - 校舎数1 月額授業料 小6 57200 特色 桜蔭と女子学院のための女子だけの塾
ena 生徒数 - 小中学部173 月額授業料 小6 41800 特色 都立中高一貫校対策
関西圏
希学園 生徒数 卒業生531(2020) 校舎数9 月額授業料 特色
日能研関西
浜学園 生徒数 - 校舎数30以上 月額授業料 小6 57200 特色 関西最大手
馬淵教室 生徒数 - 校舎数40 月額授業料 小6 47800 特色
進学館 生徒数 2200 校舎数12 月額授業料 小6 52800 特色 中堅校受験
中学受験の塾を総覧してみました。巷には、「予習シリーズ」を使う準拠塾も奮闘してます。大手塾は、この業界では巨大企業であり、膨大な宣伝費を投じて、たちまちブランド化と実績を作りあげてしまう。わたしが、渋谷の片隅で塾を立ち上げてから10年ほどの間に近辺には十指に余る中小塾があったが、10年経ったらそのほとんどが消えてしまった。その中には一時期には隆盛を誇ったものもあったのに、栄枯盛衰そのままに消えてしまった。中小の塾、個人塾がどんどんと潰れていったのは、上記にあげた大手塾が、これまで中堅校対策で生き延びてきたものが、大手が難関校のみならず中堅校対策に力を入れるようになったからにほかならない。
大手に人が集まるのは、メジャーという安心感及び宣伝費を惜しまないことで形成されたブランド力である。現在、中小塾や個人塾が姿を消し、大手塾の寡占状態が続いている。受験を経験したママやパパが通っていたはずの塾がなくなってしまっている。そういう時代である。しかし、猫も杓子も大手へということではない。東京には昔ながらの「予習シリーズ」を律儀にこなす、まじめな準拠塾も秘かに生き延びている。ある人が言っていた。これだけの激戦区の中で一定の年数にわたって経営が続いている、生き残っている中小塾や個人塾はどこも優秀であることは間違いないと。
竹の会を昭和60年10月に立ち上げたころ、近隣にはそれこそ中小や個人の塾が所狭しと犇めいていました。数学単科塾や英語塾、国語塾も併せるとそれはそれは激戦区でした。そういう中で突然竹の会が生まれたのですから、それこそ右も左もわからない、無謀な誕生であったのかもしれません。幸いにも少子化に突入する前で、生徒はまだ多かった時代でした。あの当時は、大手と言えば、四谷大塚と日能研が二分していました。まだSAPIXも早稲アカもなかった。高校入試は、河合塾と代々城ゼミナールが隆盛でした。渋谷に昴研究所という有名塾がありました。今はもう消えましたけど。その当時もやはり大手のメジャーという安心感とブランド力は親たちを魅了していましたから、その点は今と変わりません。竹の会の近くには、地元の上原中学のほとんどの生徒が通っているという有名な英語の個人塾がありました。また笹塚には英検に特化した英語塾ができると多くの中学生が押しかけました。竹の会は、まったく真っ白な状態でこのような海千山千の既存塾が乱立した渋谷という激戦区に突然舞い降りたのです。いやほんとうに何もなかった。本と言えば、武蔵と開成の過去問集だけでした。机とイスをそろえるところから始めましたから。そんなまだ教室の体裁も整っていなかったところに、代々木中2年女子の3人の母親のみなさんが見えられて、わたしと話しをしました。こんなところに申し込むわけがないと思っていたら、翌日「お願いしたい」と電話をいただき、竹の会はスタートすることになったのです。竹の会はこの3人の女子だけから始まりました。その3人はそれぞれ都立駒場(のち指定校推薦で芝浦工大へ),都立目黒(東洋英和女子大へ),国学院久我山(国学院大)にと進みました。それから2週間ほどのうちに竹の会の評判はたちまち広がり、連日入会申込みが後を絶ちませんでした。わたしは1コマ2時間の授業を何コマも回していました。日能研、四谷大塚、河合塾、代々木ゼミナールといった大手塾を意識しない日はなかったと思います。竹の会が独自の塾体系を作りあげる前夜のことでした。中学受験で大手に通い、心を病んだ子たちが母親に連れられて竹の会を訪ねてきた時代でもありました。英語単科塾の子たちが数学の指導のために竹の会に来た時代でした。わたしの悩み深い、指導との闘いはこのときから始まっていたのです。