2022.01.15
竹の会通信2022.01.15
小6、中3は、1月をもって竹の会の指導を終わります。
高校入試、中学受検のみなさんは、受験番号(パスワードがあればそれも)を竹の会にご報告ください。
究極の助言(1)
答えは問題の中にあり‼️
試験というのは、問題の中に散りばめられた答えの断片(ヒント)から「推測」して、答える、のが基本である。問題の中に散りばめられたヒントを一切無視して解こうとする態度は失敗者の典型的なな型である。
かつて代ゼミの講師だったか、国語の「例の方法」という、選択肢問題の解き方が、売れまくった。この先生の方法は、「意味ありげ」な「ところ」を見逃さない、ということに尽きる。
選択肢問題は、選択肢の分析だけで答えが出るというの骨子だが、そう決めてかかるのも早計で、要は、意味ありげなところに引っかかること、そこから使える推論を使って「これが答えかな」というのを絞るだけである。記述問題にしても、「出題者が書いて欲しいのはこういうことかな」「こういうことを答えとして期待しているのかな」と推測するのである。もちろん勝手に答えを書くのではない。推測には根拠が要る。その根拠となるのが、選択肢や本文の中の意味ありげなフレーズである。この不可解な、意味ありげなフレーズの裏を読み取る、この読み取るという精神作用を推論と言っている。
選択肢から1つ選ぶときの選び方
これは問題を作った人、つまり出題者の心理を逆推理、逆算すればよい。性善説に立てば、多数決の原則がまず適用される。
具体的な例を引く前に、出題者は、まず正解肢がある、最初にある、そこから偽の肢を作る、ということである。だから偽の肢を作るときは、正解肢を意識して作っている。正解とは、内容が真反対の肢を作る、その偽肢にさらに似せて作る、正解肢に似せて紛らわしい肢を作る、兎に角、なんとか騙そうとするであろう。
ある肢を考えるとき「この肢はどの肢を基に作ったのかな」と考えるだけで、出題者の心理を解き明かす喜びがある。
例えば、5肢、選択肢がある問題で、ある2つが真逆の内容なら、その2のどちらかが正解肢である。その2つを1つに絞るとき、有効なのが「多数決の法則」と「順同の法則」である。
多数決の法則とは、
例えば、5肢のうち3肢に「北半球」が使われていて、他の2肢には「南半球」が使われていたとする。この時は、3肢の中に正解がある。
より具体的に述べると、
1 主観ー観察ー規範ー抽象
2 抽象ー観察ー客観ー規範
3 主観ー具象ー観察ー規範
4 主観ー道徳ー観察ー具象
5 抽象ー道徳ー観察ー客観
多数決の法則
主観>客観 1 3 5
抽象>具象 1 2 5
規範>道徳 1 2 3
したがって 1が正解
「順同の法則」
1 主観ー観察ー規範ー抽象
2 抽象ー観察ー主観ー規範
3 主観ー抽象ー観察ー規範
この場合は、観察と主観、規範はすべての肢にあるから、無視。
主観が観察の前にあるのは、1と3、抽象が観察の前にあるのは、2と3
したがって、3が正解
作文の設計図
作文の基本は、出題者の求める「問い」に答える、ということに尽きる。
戦略1 問いを細かく「分けよ」
そしてその一つ一つの問いに、出題者の求める「かたち」で答えよ。
例えば、答えは、必ず出題者の問いの答え方につないで確かめる。「どういうかたちで表れているか」と問われれば、答えは具体的に「・・・というかたちで表れている」とつないで確かめる。
作文の設計図は、問いの内容で自ずと決まってくる。
問いが求めているものを必ず入れなければならないから、そこから書く内容も決まってくる。
自分の考えは、出題者の意図を察して書く。
「文章Aを踏まえて書け」と言われれば、文章Aの趣旨に触れて自らの、実は、出題者の求めているだろうと思われる考えを書く。
「あなたの考えを書け」と言ってるのに、「筆者の言う通りです」「筆者の意見に賛成です」「筆者と同じ考えです」では、出題者の意図に反する。出題者はあなたの意見を聞きたいのです。「筆者の意見に賛成か反対か、そして賛成なら賛成の、反対なら反対の理由を書いてくれ」と言っているわけではない。それならそう書くでしょ。
試験とは、問いに答えることである。より正確には、出題者の書いてほしいと思うことを書くことである。問いを読んだら、出題者が、求めているものは何か、つらつら考えてみることである。自分の思い込みで書くなどあり得ない。出題者が求めてもいないことを書くなどあり得ない話しだ。
よく試験のセンスがいい、という子がいる。まあもともと地頭はいいのだが、今度はあまり勉強できなかったというときでも、不思議といい点を取ってくる。こういう子は受かるのです。
実はこういう子は、テストに何が出るか、出題者の意図に普段から気を配っているのではないか。そして問題を見ても早とちりしてすぐに書かない、問題をよく読み、出題者が何を書いてほしいのかをよく考えてから書いている。
出題者の心がわかるようになると、自然試験勉強のこつもわかってくる。つまり、何を、どこを、どのように勉強しておけばいいのか、その緩急がわかってくるのだ。
テキストを漫然と漠然と読むのではない。出題者の問いを想定して、どう書くかを考えながら読むのだ。だから、出題者の意図を知るために、まず「それこそ出題者の心理の現れであり、問題のヒントになる」からである。
長文問題の問いは、10問前後に及ぶ。普通に考えるなら、出題者は、問題文を9分割し、各問は、その分割ブロックを担当するように作るはずである。最後の問いは、問題文全体を問うのではないか。とすれば、最後の問いにこそ出題者の出題意図が示されているはずである。私たちは、試験では、出題者の求める答えを書かなければならない。
出題者は、本文の字句以外を根拠にして出題できない。例えば、小説が出て、主人公の心理を尋ねる問題を作るとき、出題者は、予め本文の字句からその心情をこれと決めて、そこから騙し易い選択肢をあれこれと考えると思う。本文にはないのに、もっともらしい感情を選択肢に設定するなどは朝飯前である。とにかく出題者は長年偽の答えを作ってきて、どう作れば多くの受験生が引っかかるかよく知っているのだ。あなたたちはもはや出題者の掌で遊ばれているに過ぎない。間違えば間違うほど出題者はほくそ笑む。
長文の最後の問いから、出題者が求めているものを読み取れ‼️
そこから問題文全体に流れる出題者の出題のコンセプトを読み取るのである。
選択肢問題
選択肢に問いと同じ言葉がある場合、その選択肢は嘘をついている。これは特に古文の場合は、露骨な嘘となる。古語には言葉は変わらなくても現代語と意味の異なるものが多くあるからである。
さて、選択肢問題を解くには、選択肢の比較から出題者の心理を読み取ることに尽きる。
「間違っているものを選べ」と「正しいものを選べ」の解法の違い‼️
これは、選択肢から、間違っているものはどれかと探すのか、正しいものはどれかと探すのか、ということである。
ここで一つ注意しておかなければならない。
人間は、不確定な心理のままに正否を判断するのが苦手ということである。迷って出す答えなんて当てずっぽうと変わらない。
例えば、5肢問題のとき、間違いを探す問題なら、4肢は正しいのだから、間違い肢は、明らかに誤りのはずだ。本文と反対、矛盾した肢のはずだ。
逆に、正しいのはどれか、なら、4肢は誤りだから、1肢だけ必ず本文に根拠があるはずだ。
ところで、国語ができないという生徒は、仔細に調べて見ると、絶対的に語彙力が不足している。これは英語も同じで、語彙が足りないから、できないということが多い。漢検を受けるのも合否もさることながら、語彙を増やすためなのだ。普段から語彙を増やす努力をするべきだったのだ。読書も語彙を増やすことになる。
読解力つけたかったら、とにかく語彙を増やせ‼️ 語彙ハンターになれ‼️ 語彙の狩人になれ‼️
試験は、最後に、冷静になった者が勝ち、勝つことになっている。なぜなら、人間は試験という一生を左右する、決戦では、些細な出来事にも、混乱する、いやパニックを起こすからである。理性を失った精神に、冷静な判断はない。だからこそ冷静になる者は、少なく、そういう者から、合格者が出ることになる。
どんなときにパニックを起こすか?
例えば、難問に直面したときである。ただでさえ平常心を失っているところで、難問に出会えばそれこそ心ここに在らずの状態になるのは無理もない。
このとき、弱気の人、マイナス思考の人は、まずここで撃沈する。
プラスに考える。みんなどうしたらいいか途方に暮れているはずだ。パニックを起こしているはずだ。困っているのは同じだ。できないことはできない。できることはできる。だったら自分にできることをやればいい。周りには必ずヒントがあるはずだ。どうせわからないのだから、周りのヒントから推測して書くしかない。こうして冷静沈着に対応を確定していくことができるのです。いったん落ち着けばもうこちらのものです。一問一問をじっくり丁寧に読み進め確認しながら解き進めていくことが可能になる。これは開き直りと言ってもいい。本来の自分、普段の自分になる、これが試験に成功する第一歩です。
繰り返しますが、試験は焦ったらそれで第一巻の終わりです。焦りは、難しい、わからない、周りができそうに見える、自分に不勉強の自覚がある、合格したいという思い、母や父、周りの期待、だから問題が頭に入ってこない、時間があっという間に迫る、あらゆる様相で乱入してきます。
難しいなら誰にも解けないはず、それを解ける人間がいると思うから焦る。それを解ける人間がいたとしてもそれは全体の1%だろう、ほとんどの人間は解けないはずだ。だったら解けなくていい。それなら今できることをやる。周りだって他の人のことをできると思っているはずだ。周りができるかどうかなんてどうでもいいことだ。とにかく今あるがままの自分の素の力で解けるものだけを解けばいい、それでいいじゃないか、本番だからって、普段の力以上のものが出せるわけもない。いやむしろ普段の力さえも出せないのが本番だろ、だったら力を抜いてやれることだけに力を尽くせばいい、