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それでも竹の会で算数を学ぶ意味はある!  竹の会、実は、天下一の算数塾!

2020.08.28

それでも竹の会で算数を学ぶ意味はある!
 竹の会、実は、天下一の算数塾!

 竹の会、昭和60年10月渋谷の小さなマンションの一室からスタート。10月代々木中2年生女子、仲良しの3人からスタート。週2回、1回2時間の授業形式でスタートした。教材は、数学は、予備校の問題集の中からこれというものをコピーして使った。英語は教科書。わたしが準備したのは、開成と武蔵の学参版過去問集を全て解いたこと、都下の数学の教科書を全て読破したこと、英語の教科書を数冊読み尽くしたこと、それだけであった。家庭教師の経験はあったけれど、塾は初めてだった。ところが、授業を始めて見ると、「わかりやすい、熱心な先生」という評判が駆け巡り、10月の終わり頃には、代々木中の生徒がおしかけ、たちまち教室はいっぱいになってしまった。思えばあの時から私の塾人生は始まったのだ。竹の会と歩む、苦難に満ちた、山あり谷ありの道であった。
 何もかもが初めてだった。あの頃は夜も寝ないで、よく勉強した。市販の英語の参考書、問題集を何冊読んだことか。数学の問題集もよく解いた。あの当時塾業界、私立学校で、盛んに使われていた「新中学問題集」との出会った。三年ほど会社に直接買い求めるために通ったら、責任ある方から、直接取引ができることを許された。私が頻繁に通ったことで取引を認められたのだろう。それから大久保駅を降りてすぐのところにあった第一教科書という会社にもよく出かけた。この会社からも塾価格で買えることとなった。あの頃は、ここかしこに英語塾が盛んで、近隣の子どもたちはほとんどがどこかの英語塾に通っていた。竹の会はお呼びではなかったのだ。わたしは悔しかった。だから英語の教材の開発に燃えた。あの「英語指導案」開発前夜の話しであった。さらにわたしは、竹の会オリジナルテキストの開発に燃えていた。竹の会は鎬を削る塾業界にあって長い長い苦しいトンネルの中にいた。昔の竹の会の話しです。
 東京での初めての高校入試は、昭和62年2月のことでした。このとき、私立は、市川高校、青山学院高等部を獲りました。都立は、駒場や都立大附属、目黒など多数に受かりました。わたしの東京での仕事の第一歩でした。入試の指導は、最初から過去問を使いました。あの当時買えるだけの過去問を買い求めて、私は片っ端から解いていました。解答の跡を残すために、解答は、必ず問題をコピーして、それに書き込みました。図をかいて色をつける、放物線定規、円定規などを駆使して、わかりやすい図をかきました。後に、藁半紙に同様の解答を作り、コピーして配りました。子どもたちは、原本を喉から手が出るほどに欲しがりました。わたしが原本をそのままあげると、取り合いになりました。子どもたちがジャンケンで原本獲得を争っていたのも夢のようです。

 過去問は、同じ学校でも毎年買うのであっという間に十段ほどの棚が過去問で埋まってしまいました。何年か経つと教室は過去問で埋まっていました。わたしは、二次関数なら、こことたちどころに過去問集を出して、使うことができるようになりました。この方法は、中学受験でも同様にやりました。数学のオリジナルテキストの完成は、一つの区切りでした。竹の会の英語は、「英語指導案」の進化に象徴的でした。とにかく、この頃の竹の会は、未完成、発展途上だった。私は、必死で、竹の会を一流の塾にするために奔走していました。今、竹の会では、考えさせるということが普通に行われていますけど、このスタイルは、過去問を解かせるというスタイルを取り始めたときから、自然と取られるようになったと思います。竹の会が始まった当時は授業が行われていましたが、考えさせるというスタイルが浸透したのは、昭和61年の受験指導を通してでした。どうしても過去問を解かせるとき、考えさせる、それはかなり長時間になることもある、するとどうしても授業の割合は減る。授業は必要最小限になる。単元の導入部分とか、難問題の解説とか、特別のテーマだとか、に限られてくる。こうして竹の会は、開設して、まもなく考えさせる時間をたっぷり取るようになった。竹の会は、過去問を軸として戦ってきた塾です。大手塾と戦うにはそれしかなかった。だからわたしは過去問ならどんな過去問でも検証した。中学入試と高校入試については、首都圏の過去問は過去30年以上に遡り、ほとんど全ての学校の過去問を解き尽くした。竹の会では、過去問がテキストだった。
 竹の会の躍進を決定的にしたのは、パソコンの進化とソフトの進化でした。竹の会は、大手に遜色のない教材を自ら編集、製作できる能力を手にしたのです。図はカラーで、細密な作画が可能となりました。分数、積分、ベクトル、三角関数、なんでも表記できました。グラフだって、簡単に作れます。二次関数も簡単にかけます。もはやわたしは自由自在にテキストを組み立て、作れるようになったのです。わたしは、これまでできなかった制約から解き放たれて、本当に自在にテキストを作れるよになったのです。スキャナー、PDF、OCRソフトが、さらにわたしの思いを実現してくれました。わたしは、憑かれたようにテキストを執筆していきました。
 わたの夢は駆け巡りました。それまで、小4の2月から指導可能としてきましたが、守備範囲は、小3の2月から、と広がりました。これは、わたしの指導技術の向上、それを可能にした教材の進化にありました。さらに早まりました。わたしは、小2をも守備範囲に入れるために、さらに指導方法の研究を重ねたのです。
 小学低学年の指導の難しさは、なんといっても幼さ、そこからくる集中力が持たないこと、でした。これだけは個性に依存する。
 幸いにして、この点をクリアできたとしたら、わたしの指導の真価は、例えようのないほどものでした。とにかく小学低学年の段階までに、計算をマスターしておくこと、これが肝要だと思います。小5、小6になって計算もろくにできないでは、使いものににりません。そういう子に輝かしい未来などない。
 計算をマスターするとは、どのようなことであるか。竹の会で計算をマスターするとは、一言で言えば、中学入試の難関校レベルが出題する計算問題が、5分ほどで解ける、レベルのことを言う。なにしろ小2と言えば、まだ足し算、引き算の筆算レベルである。竹の会では、この段階の子を6か月前後で、その域に持っていくことができる。おそらく多くのお母さんたちは、竹の会の小3を見て、その計算能力の高さに、驚嘆すると思う。まさか、小3がここまでできるとは、と驚く親御さんはもう幾度となく見てきた。優秀なお子さんと思うかもしれない。しかし、最初はみなたどたどしく、筆算から練習していたのである。九九もおぼつかず、繰り上がり、繰り下がりを間違いながら、小数に入れば、小数点の位置に戸惑いながら、小数の割り算に頭を混乱させながら、とにかく訓練を重ねてきた、最小公倍数を学び、通分、分数の繰り下がり、剰余と、とにかく訓練を続けてきた、逆算でまた壁に突き当たり、ようやく日々の訓練に入り、毎回の指導で、4問を訓練する。そして、難関中学の計算問題を解けるまでになった。
 わたしは、この段階を早く、低学年の早い段階で終わらせて、さらなる高みの指導を可能にしておくことの重要性を説いてきた。
 まだ2年、3年だからと先送りして、後悔する親は何度も見てきた。かつて小4の親が、世田谷区から通わせることに躊躇して結局地元の塾に入れることにしたということがありましたが、同じようなケースは過去多々ありました。
 言わせてもらえば、地元塾に通ってもたいてい無駄な時間を過ごしただけで終わるのがオチです。竹の会に相談にきた親子は、それまでみなそこかしこの塾に2年、3年と通って、計算もまともにできないとか、割合のベタな問題も解けないとか酷いものでしたが、驚くのは親は塾で子がちゃんとできていると思い込んでいることでした。親の不見識もさることながら、塾のいい加減さは呆れるばかりです。何年も引き留めて、いったい何を教えてきたのか、塾の良心というものが見えない。もっとも竹の会では、良心的に行動して、退塾を勧告したらたいていは恨みを買いますから、塾ばかりが悪いということではない。むしろ親の方にこそ責めがある。どうでも塾に預けて放りぱなしで、当面の煩わしさから逃避していた節もある。
 さて、今の竹の会は、早くて小2から、推奨は、小3から、基本訓練を徹底して繰り返し、積み重ね、計算力、割合力をつけることに、卓越しております。ただこの基本訓練過程を終了した後、伸びるかどうか、伸び代が見られるかどうかは、別論です。ですから、基本をつけてもらったらここまでにするという選択は至極合理的な選択と考えます。
 また伸び代があると判断されたなら、さらなる算数訓練を強く勧めます。
 よく思考力を伸ばすなどと言いますが、言い換えれば、それは算数力をつけるということにほかなりません。算数こそ思考力をつける最強の方法なのです。様々なパズル、クイズで遊ぶことが知能を刺激することはあるかもしれませんが、それは不確実なものです。
 わたしは、よく適性過去問を精読します。適性問題はもちろん思考力型問題です。読み取り能力は当然必要ですが、このとき思うのは、算数の高度な問題を読み解く能力があれば、解ける、ということです。高い算数能力のある者には、適性問題は、障碍にはならない。適性問題の対策として、直接適性問題を練習することは、必ずしもベストの対策とはならない。もちろん適性問題というものを経験することは必要である。しかし、難問化した適性問題が解けるかどうか、は、結局高い算数力にかかる、ということは間違いない。
 竹の会の合格者は、例外なく算数のできる子たちであった。算数さえもできない子が受かることはなかった、ということです。
 竹の会は、今では、算数塾としても一流であると考えております。
 世間には、算数塾を名乗るものから、大手塾の算数システムなど様々ですが、四谷大塚の算数テキストは流通していて、誰にでも手に入れられ、これを使って勉強することも可能です。もちろん塾に入ってテキストをやるのが普通かとは思います。
 竹の会は、指導とレジュメということを核に、実証的検証を重ねながら、一つの算数指導体系を完成させてきました。竹の会の指導ポリシーは、思考力をつける、ことにあります。その目的に焦点を合わせてさまざまな指導技術を考案し、実践し、さらなる研究と開発を続けているのが、竹の会の実相です。
 算数指導塾としての、竹の会は、東京に、これまでにない、そして今後もない、唯一現在の竹の会だけが、ある、絶滅危惧種です。
 竹の会に出会うのは、だから奇跡の邂逅以外にはない。たまたま出会った、それが幸運な出会いだったと知るのはすぐです。

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 初版「英語指導案」

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 「英語指導案」三部作

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 「新英語指導案」            「入試英語指導案」

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 平成9年頃の数学テキスト

 

2007/02/07 14:57

過去問に囲まれた2007年当時の旧教室

 

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