2020.12.25
◎竹の会で成功する中学生とは
竹の会では、中学生はたいてい中1の途中で消えます。もともと中1で竹の会に入るのが0~3人、そのうち中3までいるのはたいてい1人前後です。公立中の生徒の8割強は勉強に不向きです。勉強にスタンスが向いていないのがほとんどです。つまり高校入試、さらには大学入試まで視野に入れて勉強している中学生は全体の1割ほどでしょうか。東京都の中3の数は約7万人、うち23区では4万人ほど。そのうちの1割4000人が都立上位校をめざすとして、都立上位10校の定員3200人に全員は入れないという話しである。
竹の会はもともと無名の塾だから高校入試でわざわざ来るという人はほとんどいない。たまたま縁があった生徒がたまたま2、3人いた。そしてそのうち最後まで残れるのは1人ということである。たいていは月並みな部活で生活を乱して脱落していくか、勉強しないという不作為で自壊していくか、あと能力的に無理というのもあります。
中学は中1になる直前の2か月が勝負だ!
自立できない子の末路〜中学で自滅する中学生たち!
※わかるまで教える、という塾の宣伝があった。この塾は、何を考えているのか。
わかるまで教えるというのは、繰り返しを厭わないということか。繰り返せば「わかる」と本当に思っているのであろうか。それともそれくらい熱心な塾ですよということを親に訴えているのか。そもそもその前提に、自立できない子を想定している。「わかるまで」と言うが、「わかる」という着地は必ずあるのか。塾側には、わかるまで教えればわかる、という楽観した心理も読み取れる。
そうであろうか。
文章題で方程式を立てられない生徒にどう教えるというのであろうか!
方程式を立てられない子というのは教えることが無意味である。
数学というのは、数学固有の言語を使う。これを記号言語も呼ぶ。手っ取り早いのが、X、Yなどの文字である。この文字にアレルギーがあるのか、文字が混入された文章を見た途端、思考がフリーズする子がいる。X円とY円の和が(X+Y)円というのが、どうしても受け入れられないのだ。数字を文字で表すことがありえないのだろう。
例えば、5円は5円以外のなにものでもない。しかし、X円と言えば、それは、5円とは限らない。10円かもしれないし、100円かもしれない。0円のこともあろう。10000円かもしれないのである。要するに、表す数字はなんでもいい。とにかく「円」がつけられる数字ならなんでもいい。どんな数字が来てもそれは「円」という性質を変えることはない。数字を文字で表すとはそういうことなのである。とにかくXを使うことによって、全ての数と代替可能であることが示されている。単位に規定された性質の数ならどんな数でも構わない。文字言語とはそういう性質を持つ。これはある意味具体的、特定的なものの一般化、抽象化にほかならない。公式というものが、文字で表されるのは、文字のもつ抽象化機能、一般化機能の故である。
文章を文字で表すというのは、抽象化して考えるということである。
だから文字を使えないというのは、抽象化して考えることができないということにほかならない。これは実は小学生のときにすでに失敗している。
そういう子が中1の最も重要な時期を部活で無駄にするのも普通に起こりうる実話である。中学というのは、最初でその後の3年間がほぼ決まってしまう。だから竹の会では、小6の2月から、中学入学までの2か月余りをかなりに重視する。ところが、世の親というのは、実にのんびりしたもので、この時期に手を抜くのだ。中学入学直前ということで親も子もピンクモードである。この辺の危機感が全くない。こういう輩は中学に入ると部活を物色しソワソワ、ウキウキである。そもそも部活で時間を潰している場合ではないのだ。
竹の会でこの2か月を過ごした者は、どこまで進めるのか。過去の理想的な例を示そう。理想的とは、独自校に無事合格を果たしたという意味で理想的であったという意味合いである。
独自校に合格するには、この2か月をどう過ごしたか、で決まる。
○まず英単語500語を覚えたこと
さらに、竹の会がこの時期に配布する、「英語 始めの一本」を終わらせたことだ。
次に、数学は、正負の数、文字式、方程式まで終わらせた者がほとんどであるが、中には、関数まで終わらせて、中学の入学式を迎えた者もある。過去の実例では速く進めたものほどいいところに進んでいる。
竹の会に摘み食い的に出席する者は成功した試しがない。部活で、竹の会につぎはぎのような出方をして成功するはずもない。肝に銘じて欲しいのは、とにかく目一杯出ることである。自己の都合で調整して少な目に出て失敗した実例に事欠かない。例えば、竹の会では、かつて冬期などのコースは短いのと長いのがあったが、敢えて短いのに出るとか、あるいは、短い時間で済ますとか、こういう節約志向は必ず裏目に出る。指導時間が長い方が、長ければ長いほど、合格に近づくのは、竹の会では、過去の事実が示す通りである。
中学になってからの生活
独自校合格への道
竹の会の指導にすべて従うこと
その前に断っておかなければならない。
1日の勉強時間は最低でも5時間、これを継続すること、休日は10時間、かつて小6で17時間の記録がある。まだ破られていない。その子は、杉山太一君。桜修館から現役で京大法合格。
数学は前倒しで中3までの履習事項をできるだけ早く終わらせる。竹の会には、中学の数学全項目をレジュメ化して、備えており、要は、本人次第である。本人次第というのは、実行力だけではなく、能力次第の意味もある。
竹の会のレジュメは、最短で、効率よく、入試に対応できる力を「つける」ように作られている。東京都の三種類の教科書を網羅し、数種類の演習書、数百冊の入試過去問を参照し、無駄な記述は極力避け、定義と原理から入試レベルまでを簡潔にまとめた。早い子で中1で終わらせているが、遅い子で中2いっぱいまでかかる子もいる。すべての子が私の思惑通りに勉強してくれるわけではなく、部活で中3まで忙殺された子もいた。明暗を分けたのは、夏の指導にきちんと出たか、試合、合宿で疎かにしたかの差であった。私が何とかできるのはそこまで。理社が取れないとか、国語が取れないとか、英語が時間内に終わらないとか、わたしはその都度対策を講じて凌いできた。
英語は竹の会では、最も効率よく入試レベルにもっていけると自負している。定番の「新英語指導案」「入試英語指導案」、数百枚の英語レジュメ、高校用英語副読本を使った英解指導、過去問による実践練習など竹の会の英語体系は完璧といえるものである。
竹の会の理科、社会対策は、よく素人の母親から「授業もないのですか」とツッこまれるが、まず学校程度の試験で80点も、取れないというのは話しにならない。学校の理社で80点も取れない子はそもそも都立云々のレベルではなく、別の問題である。理社などは真面目に勉強してればだれでも取れる科目であり、それが取れないとしたら、余程勉強しないか、能力がないということだ。
私は理社を80点取れる子の話しをしている。80取れなければ最初から独自校のレベルではない。
その上で竹の会の入試指導は意味がある。最強の教材と指導、指示を出し、生徒の実行を踏まえて合格へ導いていく。何をどうやればいいのか、を指導するのだ。だから模試で都立の理社で90点超とれることを実現できるのだ。それが指導の証しにほかならない。授業形式の塾で、何をどう習ったか知らないが、都立で60点そこそこしか取れない子たちを多数見てきた。親はそれで授業受けて習ったからよしとするのか。違うでしょ。目的は本番で満点近く取ることでしょ。わたしはそういうことを可能にする指導をしているということだ。
国語の方法について、聞かれることもある。国語は、まず漢検をやりなさい。2級を取ることです。それから論説文の音読をしなさい。それだけで都立の共通問題ならほぼ満点が取れる。
国語の力をつけるには、哲学の本を読むことです。わたしは、池田晶子の「14歳からの哲学」を薦めている。とにかく普段から思索をしなさいということです。それから、後は、とにかく過去問、いろいろな学校の過去問を解くことです。
竹の会の国語の指導は都合そのようないことになっている。竹の会の戸山合格者は、本番70点以上を取っています。国語だってどうやればできるようになるかを指導するのです。
よく竹の会についての指導の方法について聞かれますが、わたしには説明のしようがない。言葉でこうやりますと言ってもほんとうのところは何もわからないと思います。
ただ現実問題として、竹の会の生徒がすごい点数をとるようになる、それしか言えない。