2019.12.23
第46章 竹の会という塾の本質
竹の会は、思考力をつける塾です。思考力をつけて、自らの思考で、問題を解く、この形を理想形として、受検に臨む、これが竹の会の基本コンセプトです。
大手や巷の塾のように、受検そのものを目的として、学科の指導に限定して、対策を取る、そういうやり方を取っていません。むしろ竹の会は、学科については、思考力を訓練する手段としてとらえ、その手段が、思考養成と同時に受検対策にもなっている、という考え方にたっております。
思考に重心を置いていますから、思考力をつける手段に重点が置かれています。ですから、最初から受検対策を直截取るものではもちろんない。思考力をつけるのに最も適した方法は何かという視点から、手段を考える。そうするとどうしても計算力、算数、特に、割合の思考スタイルを構築することが、ベストの選択だというところにいきつく、わかってくる。
なぜ計算か。
数の抽象的処理、操作は、形式的、抽象的思考そのものである。抽象という概念は、具体的な物と対応のない概念である。物には名前があるが、名前はそのまま具体的な物を表す。小学生の思考は、この具体的な物を基礎になされる。思考力の指導とは、この具体的過ぎる頭に、物と対応しない概念を持ち込むことに他ならない。例えば、扶養という概念、平和という概念は、物とは結びつかない。ただ漠然とした、具体性はあるものもある。介護という概念なら、老人の世話をする人の姿を想像できる。民主主義という概念になるとさらに具体性がぼやけてくる。
分数、いや数はどうか。たとえば、1と3分の2というのは、極めて抽象的であるが、具体的に書かれる数字とは対応しているわけである。中には、羊羹(ようかん)を思い浮かべる人もいるかもしれない。これを繰り下げて3分の5とする件(くだり)はどうだろうか。1すなわち3分の3と考えて、分子が、3増えると考える思考はかなりに抽象的である。
思考の正体は、他ならぬ「抽象的概念の操作」である。子どもたちの頭の働かせ方の主要エンジン「具体的事実機関」を「抽象的概念機関」に組み替えることが、他ならぬ思考養成ということにほかならない。
なぜ計算か、が、お分かりになったであろうか。
それではなぜ算数、特に、割合なのか、である。
中学受験の問題を見て見ると、今はそれほどでもないが、かつては、大半が、割合に関係する問題であった。
そもそも算数が、思考養成に優れている、ということである。
算数というのは、頓智を働かせて「解く」という本質がある。問題文を読み、関係を読み取る。関係は、直線的ではない。αとβの関係、αとγの関係について示されていて、βとγの関係を問う問題の如きである。関係は、様々な関係である。割合関係、速さの関係、ただの時系列関係など。速さというのは、例えば、秒速330mというとき、330m/秒、と表記するが、
これは、m÷秒=m/秒(速さ) の意味であり、読み替えれば、道のり÷時間=速さ、を表している。もう一つ、速さというのは、単位当たり量です。つまり、時間と速さと道のりの関係というのは、単位当たり量そのものなんですね。
こうみてくると算数というのは、関係を理解しているか、という科目なんです。関係をきちんと理解していれば、まさにその関係筋から自ずと答えが見えてくる。ただそれだけのことです、頓智(とんち)というのは、算数の場合、普通に考えたら、どうも情報が少な過ぎる、ただどう考えても足りないといことがよくあります。これは普通に常識的に考えても解きようがないということが明らかです。ここで、頓智を働かせる。どこかに解決の鍵が隠されている。比を利用するとか、よくあるのが、面積図ですね。実は、たいていは、面積図で解けてしまう。算数の難問というのは、究極的には、やはり、「比」ではないかと思います。速さの比からその逆比というのはよく使います。まあ、算数というのは、ほんとうに頭の体操になる、ということです。算数ほど頭をよくする科目はないと思います。
こういうわけで、思考訓練には、計算と算数が一番いいのです。
さて、竹の会で、思考訓練を受けるということの意味は、受検を契機とするけれども、その真の狙いは、受検を遥かに凌駕した、学問、勉強をしていく基礎となる思考力をつけることであり、合格は、その過程にたまたまついてきただけであり、仮に不合格となっても、培ってきた思考力は消えてなくなるわけではないので、公立中学で、頭角を表し、日比谷、西、戸山、慶應、豊島岡女子などに合格していくことは、普通にあるということである。竹の会は、ほかならぬ勉強の基礎を、いや土台を作るということをやっているだけなのである。受検は、思考の土台ができた子たちが、思考の力を試すたまたまの機会であったに過ぎない。思考の力が、さらに鍛えられて、強靭な思考力を獲得していくことになるから、竹の会の子どもたちが、卒業後、成功する例が、多いのは、当たり前のことであったのである。
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