2020.12.31
竹の会通信2020.12.31
2020年ももうすぐ終わります。
今年は竹の会にとって激動の年になりました。2011年3月11日の地震、津波、原発災害のときに匹敵する恐怖でしたが、異質の恐怖ではありました。ウィルスの感染の脅威はすでに過去に警鐘を鳴らす書籍が出ていたことを知っておりますが、相も変わらず政府の脳天気ぶりには辟易とするものがあります。
2月の入院・手術は竹の会を初めてお休みするしかないこととなってしまいました。3月は学校休校にともないここでも休塾の申出をする人たちが続出しまして、塾を続けることが困難な状況に直面したのです。もし感染者が出たら塾は終わりという危機的状況の中、究極の判断の連続でした。3月から4月の緊急事態宣言が出て、竹の会では、塾の廃業を真剣に検討しました。
8月は夏休みが10日間の区が多く、これまでのような夏期指導は無理でした。密を避けるためにこれまでのような全員参加は無理で、換気と消毒を徹底しました。アルコール類にはかなりの費用をかけました。
緊急事態宣言解除後、5月になって初めて渋谷教室開設記念が見送りになりました。新型コロナの影響か、本年は新規入会者がほとんどいない年になりました。
竹の会もこれで終わりかなと何度も思った年でした。こういうかたちで終わるのもありかなと開き直ったものです。
もともとわたしの体力が持つ限り続けるという覚悟でした。2月の手術は究極の選択を迫られた経緯がありました。金属製の釘・ボルトを4本も背骨に打ち込む内容の手術をその道の権威に強く勧められたのです。やむを得ないか諦念が支配しました。しかし、それからわたしは本を読みまくりました。それでわたしは、かなり直感的な判断でしたが、体の中に金属を入れるリスクをどうしても避けたかったので、釘を使う手術を断ったのです。権威の先生はそれでは3か月もすればすぐ悪くなると否定的でした。わたしは若い執刀医の先生にわたしの決断を伝えました。その先生は、最初びっくりされましたが、精密検査終了後の診察で了承してくれました。若い先生でした。とても感謝しています。わたしはもう少し竹の会を続けたい、そのためにリスクはとりたくない、悲壮な決意でした。この手術のおかげでもう少しだけ竹の会の寿命が延びたのではないか思いわたしにはうれしい結果でした。執刀医の先生、そして神様に感謝しております。
来年はどうなるのか、竹の会はどうなるのか、このまま新型コロナに潰されるのか、どうなるのかわかりませんが、竹の会は神の審判が下るまではなんとか細々とでも子どもたちを指導していきたいと決意しております。
レジュメが肥やしになるか!
なぜ落ちたのか! 落ちる子は落ちるべくして落ちた! そう思う。 かつて都立西の男子生徒を3年間指導した。この生徒は小6竹の会入会、区立中学の3年間指導し、都立西には推薦合格。一般に、都立に関わらず、推薦合格者は入学後成績が悪いというのが相場である。しかし、この生徒はそんなことはない。彼はV模擬の成績は常に全都立受験生の中の20番台だったのだ。一般で受けても合格できる。彼は西320人中の常に50番内にいた。現役で東大と早大理工を受けて早大理工に合格。一浪して東大再チャレンジした。予備校の三大模試ですべて全国順位20番台で、名前を載せた。しかし、またもや東大の数学と相性が悪いのか、数学でしくじる。注意しておくがセンター試験は余裕の高得点であった。彼は潔かった。同じ年に受かった慶應理工に進んだ。理工というとたいてい院に行くが 彼はそういう道は取らなかった。彼は大学時代に既にゲームソフトを作成している。卒業後起業した。自ら作ったソフトを核としたベンチャーだった。今、その会社は資本金数億円の企業に成長している。わたしは、落ちるべくして落ちたというとき、この生徒のことを思い出す。彼は決して落ちるべくして落ちたのではない。 私がこれから述べることは、こういう天才のことを指してのことではない。凡人生徒の話しである。わたしはこれまでに夥しい数の子どもたちを実際に見てきた人間である。私は凡人生徒に限界を見る。その限界領域にはわたしは決して立ち入れないのだと思う。世間の塾というのは、そういうことには一切触れずにどんな子どもでも教えれば成績が上がるということを当然のように装う。親は藁にもすがる思いである。自分の子が能力がないと断じる塾などに行きたくないであろう。「頑張ればなんとかなります」という塾に好感を持つだろう。竹の会では、指導しても進捗が捗々しくないときは、退塾をお願いしてきました。正直に告白したわけです。見あった成果もないのにお金を取れないという、良心です。しかし、親は成果が上がらないからカネを取れない、そういう良心など1ミリも考えていない。「見捨てられた」としか考えない。そうなると、大手や巷の塾のように、成績など上がることはないのに、「頑張ればよくなります」のようなことを言っていた方が歓迎される。受かる見込みもないのに、「真剣に頑張れば受かるかも」などと言う塾の方が好感を持たれる、というおかしな話しである。 私はこの仕事に入ったときから、ほとんど直感的に、子どもの限界領域というものを悟ってきた。だから「教えてわかるか」とまず怪しむ。子どもの限界というものを常に意識していたし、引き受けた子どもが、限界領域を持つ子だと直感したとき、限界領域内で、どこまで理解させられるかに腐心した。あるところまではこなせるが、それ以上は無理、こなせるといってもベタな問題だけ、そういう限界児童、生徒の指導体験を通して、わたしの、子どもの能力を見る目、測る目が研ぎ澄まされてきた。 一瞬にして見抜くというが如し、これを直感というのか。
本人支配領域が優れていれば塾は手助けするだけで伸びていく。 私は大手進学塾の入塾試験が羨ましかった。大手は天才が集まってくる。基本、大手は「手助け」だけしていればいい。放っておいてもできるようになる子たちである。 しかし、竹の会には、そのような子が来ることはほとんどない。手を尽くしてなんとかする、そういう場面が普通である。 大手は実は、できない子を見事に切り捨てている。入塾試験とはそういう本質をもつものである。 竹の会は小塾である。入塾試験をやって選別していたら、生徒は集まらない。その通りである。しかし、わたしは敢えて入塾試験をやった。平成24年から竹の会に入塾するには入会試験に受かる必要があった。だから受検生はいつも3人前後だった。 竹の会の入塾テストで多くの人を断ってきた。しかし、どうしても竹の会に入りたいという子、親の思いに絆されて、遂には、仮合格という例外を認めた。仮合格者からも合格者が出たのは少し驚いた。ただし、富士である。
ところが、正規合格者が伸び悩み、落ちることも多くなった。 これはどうしたことか。 わたしは、合格の証しを求めていた。 合格する子と落ちる子を分けた分水嶺は何であったのか。 平成30年、なぜ過去問合格法に回帰したのか。 わたしのレジュメが解けないのだ。合格ハンコが取れないのだ。 私のレジュメで合格ハンコを取っていける子でなければ合格は取れない。 最初から正解はわかっていた。 私が求めたのは、入会試験にA合格する子、満点合格する子、そして内申8割基準をクリアする子であった。 私は入会試験に合格した子を指導し、導いていく、そういう青写真を描いていた。しかし、2つの誤算に慌てた。 入会試験合格かつ8割基準を満たしても落ちる子が出るのは、私の想定した指導を手順通りにやってくれる子、親、家庭でなければ合格できないからだ。 わたしの信念と「合う」親は少ない。
竹の会のレジュメ合格法は、わたしの与えるレジュメを解きながら進めていくものであるが、それにはそれなりの能力が必要ということである。
竹の会は、来年から、レジュメ指導を進化させるという目標を掲げています。レジュメのみで合格できるということ、そのためにレジュメを進化させること、さらには能力開発の道具としてのレジュメの開発にも力を入れたい。そして高レベルの算数の新著を出したい、そういう夢も持っています。