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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

竹の会の指導

2021.07.09

竹の会の指導
  〜総合診断医的指導 
 究極の指導を求めて、私は彷徨い、時には立ち止まり、また求める旅に足を踏み出していた。
 竹の会を始めた頃は、迷いもなく授業を軸とした。何もない出発だった。だからわたしはすべてを授業で説明しきろうと考えた。テキストは、あの頃は、教科書を軸とした。竹の会にはそれ以外何もなかったからだ。発展問題、応用問題は、駿台の問題集と代ゼミの問題集から、これという問題を選んで、そこだけコピーして、使った。該当ページをコピーしたら、ハサミで使いたい問題部分を切り取り、それを必要枚数だけコピーした。
 過去問は、声の教育社版と学参版、それにコピー用に実物大版を揃えた。
 あの頃は、なんでも出たとこ勝負の授業だった。生徒が、数学教師が出した、開成などの難関の問題プリントを持ってきて、「先生、解いてください」ということもあった。あの頃は、それでたちまち解いて見せた。生徒たちは唖然としていた。
 私は、竹の会を舐めるな!という勢いだった。あの頃の私は血気盛んだった。
 授業は丁寧にわかりやすくやる。しかし、懇切丁寧にやればやるほど生徒の成績は振るわなかった。ある時、体調が悪くて、生徒に指示をして、それぞれにやらせていたことがあった。授業していないから、成績は良くないかもと思ったら、あにはからんや、好成績を報告してきた。これはいったいどうしたことか、わたしは、初めてその不思議に動きを、止めた。
 中3になると、過去問を解かせる、と言っても志望校の過去問を解くというわけではない。偏差値55あたりからあらゆる高校の過去問を平均10年ほど遡って解かせる。難関校だと20年から30年遡る。この時、わたしの取った方法は、とにかく年度単位で実力で解かせる。時間はいくらかけてもいいから、解かせる。それでわからないときは、わたしの解いた解答を読ませる。私の解答は、オリジナルな解答であり、藁半紙に図を入れて色塗りなんかも施して作った。時間がないときは、問題コピーに直接書き込んだ。竹の会の受験指導は以後このやり方で通してきた。解かせた過去問は、厚さ数センチの束が、何冊にも及んだ。子どもたちをこれを7回解きなおすことが義務だった。この方法は、竹の会では、過去問合格法と命名されて、竹の会伝統の方法として、確立した。
 この経験から、竹の会の指導が、変化した。導入授業というのは、平成10年頃まで続いたが、それも次第に消えていった。平成17年から中学の指導を全面的にレジュメ化する作業に入った。並行して小学のためのレジュメ試作品の制作に入った。
 平成19年中学レジュメ完成。このレジュメで勉強してきた子たちが、都立西、豊島岡学園高校、立教新座、桐蔭理数などに合格した。初めてのレジュメ世代の合格となった。
 平成19年、20年、21年、わたしは、公立中高一貫校のためのレジュメ製作に没頭した。特に、小学生のための割合指導の研究に日夜没頭した。試作品を作っては、子どもたちに試し、また作る、そういうことを繰り返していた。23年の指導のことだった、子どもたちに使ったレジュメについて、算数に目覚めた二人の男子が話しているのが耳に入った。「あれ、よかったなー」、「ああ、あれ、あれで割合がわかった」、そういう会話が、交わされていた。小耳に挟んだ私は、「あれって、どのレジュメのこと?」と尋ねた。すると「先生、ミクロマクロのレジュメですよ」、「あれはよかったなぁ、あれで割合がわかりました」。わたしは、「えっ、ああ、あれか」、帰るとすぐパソコンを開いて、そのレジュメを確認する、「これか、そうかこれか」、わたしは、すぐにミクロマクロをコンセプトにしたレジュメを書き始めた。これだ!これだ!
 私は夢中で書き続けた。
 平成23年夏のことだった。原発事故のあった年だったんだなー。
 竹の会が、転機にあった年だった。翌24年5月には、渋谷教室が開講した。
 この年から、入会試験がスタートした。わたしは、この年から小学生のために、これまでワードで作っていたレジュメを数式ソフトで制作を始めた。これまで中学のためレジュメは数式ソフトを使っていたのだが、長文の多い適性問題は、ワードが便利が良かった。しかし、私は思い切ってすべてを数式ソフトに切り替えた。手始めに「入会試験」の問題を作ったのが、きっかけで、私はその続編を作り続けた。竹の会の最初のレジュメの名称が、「竹の会入会テスト」シリーズとなっているのは、そのためである。平成24年に作ったレジュメは、「入会テスト1類」「合格答案への道」「算数をクリアーにする」の3種だった。小石川に合格した女子によると、理科の問題は、わたしのレジュメで勉強したと言っていたから、何か出していたのだろう。もちろん「あれかな」という心当たりはある。
 25年2月、小石川、白鷗、桜修館に合格者が出た。
 レジュメ世代合格の第一号であった。
 過去問合格法との訣別の年でもあった。
 私はレジュメによる指導という指導体系を作り上げた。が、それはまだ完成形には遠かった。25年、5名中3名合格! それにしても竹の会には、知名度がなかったこともあってか、生徒が集まることはなかった。毎年3人前後という淋しさだった。
 竹の会では、子どもたちは、与えられたレジュメに取り組む、考える、解けたら、あるいはいくら考えてもわからないときは、指導を受けるために出す、そういう流れである。私の指導は、総合診断医的指導でなければならない。ただわからない、解けないという訴えに対して、私は、その原因を思い付くだけあげる、であろう。その上で、可能性の薄いものから消していく。ただ私の経験は、大抵は、その原因を直感的に悟ることがほとんどである。
 割合の概念が、曖昧、漠然としている、こういう場合は、どうしても、かける、割るというのを半ば反応的にやる。ミクロマクロに振り回されて、事実の読み取りが、いい加減というのは、よくあることで、むしろ、小学生に多いのは、事実を断片的にしか読み取れていない、事実を理解していない場合が、ほとんどで、問題が、別のところにあることを示唆している。
 能力、知能の差は、決定的である。知能が高ければ、理解は正確で、かつ深く速い。だから、知能に由来する理解の遅延は、指導でも、障害となる。指導がどこまで可能かは、不確定である。見切りをつけたい、そういうことはある。しかし、親御さんには、なかなか受け入れてもらえない、のが苦しい。進捗が捗々しくなければ、自主的に退塾するというのは、竹の会では、今後、入会時に、お願いしたい、と考えている。
 さて、平成26年、3人の受検生がいた。この年の子たちには、本当に悪いことをしたと思っている。ワード版旧レジュメを大量に配布してしまったのだ。25年のように少数のレジュメをじっくり考えさせるスタイルをとらなかった。わたしの迷いが生んだ結果であった。ただその3人は、二人が日比谷に合格し、一人は慶応に、一人は私立医学部に進学、残りの一人は宝仙理数インターから東北大学に進学した。同年都立駒場合格した女子は学習院大学に進学した。27年は、3人いた受検生のうち2人合格。それぞれ桜修館富士に合格。桜修館の女子は、早稲田大学に、富士の女子は早稲田政経に、今年合格した。27年合格者は、純粋のレジュメ世代だった。やはりレジュメで確実に合格が獲れる。27年は高校入試で当然のレジュメ指導の生徒が、都立戸山に合格している。28年はレジュメ世代だった。九段、白鷗、小石川、富士に合格者を出した。都立戸山にも合格者を出した。29年は、受検生は1、2名はいたのかな、合格の見通しはなかった、早稲田の模試で誰も名前を載せていない。相変わらず無名で小塾の竹の会に人が集まるのは限られていた。たまたまネットで遭遇した、そういう人ばかりだ。なにしろ宣伝は何もしていない、というか宣伝する資金もないからね。
30年桜修館、富士2名
31年令和元年 桜修館2名、九段2名、都立青山
令和2年 小石川
令和3年 桜修館3名
29年ショックというのがある。レジュメを理解できない子たちだ。当然伸びることもない。早稲田進学会模試に名前を載せることも当然ない。そういう子たちがそれなりに増えてきた。レジュメが解けないで解説を読むことでしかわからない子たち、そういう子たちの指導に行き詰まった。私は悩んだ末、過去問合格法に回帰するしかなかった。30年富士に合格した二人は、過去問合格法に拠った。
 レジュメが解けない、そういう子たちの浮揚策だった。31年は幸いなことに、レジュメで指導のできる子たちだったが、わたしは、過去問合格法を取り入れて補強した。
 令和2年は失敗した。レジュメをこなしたのは、一人だけ。小石川は予定どおりの合格。
しかし、この年もレジュメを解けない子たちに苦慮し、過去問合格法を全面的に取り入れたが、思考未熟のゆえに惨敗した。
 これに懲りて、というかもう一度指導法を、見直して、28年指導に回帰することにした。
 平成18年から、作り続けたレジュメは、もう膨大な量になる。これらすべてを使うなんてできるわけはない。何を使うか、これも問題だが、わたしのレジュメ制作の水準が今は最高レベルにあり、今は作るレジュメの取り上げ方が、冴えている。
 問題はまだある、ここ何年かの傾向である。
 レジュメをこなせない子については、本来竹の会の指導をすることは無理である。これをなんとかしようとして、過去問合格法を取り入れても、もともとレジュメに太刀打ちできない子には無駄であった。
 算数ができているはずなのに、受検レジュメが全く解けないという子たちの出現
 これは、このところの傾向である。高校受験でも同様なケースが出た。現象的には、解けていた「はず」であった。ただそういう子に限って、私の五感が私の中になんとも言い知れぬ不安を醸し出す。なにかスッキリしないのだ。できているというのは、申告によるものだ、私が実際に目の前で解いたのを見たわけではない、式がない、式が見えない、答えだけ一致していた、教室で解いていない。申告型の子の特長は、解くのに時間がかかる。だから家で解いてくるパターンが多い、教室ではほとんど解けないままに終わる。「先生、家で解いてきていいですか・これがお決まりのセリフだった。
 こうして、算数ができることになっているのに、受検レジュメが全く解けない子は、「時間がかかる」「教室でほとんど解けない」ということに、メルクマールを見ることができる。
 私の見ていないところで、「できる」ことになっている。最近、そういう子が目立つ。
 ただ一つのことは言える。
「時間のかかる子」は、伸びない。
 さらに、
「わかっていない子」は、伸びない。

 総合診断医的指導
 レジュメを選ぶ、処方的指導する。25年指導、令和3年指導は、私の理想のやり方、処方の精神、なのかな、と思う。レジュメを投じる、という思想、姿勢が、いい結果を導くように思う。
 私のレジュメにそれほど時間がかからない程度についてこれる、それが受かる子である。時間がかかり結局できないという子はまず見込みはない。また時間がかかりようやくできたという子も受かることはなかった。
 そもそも適性問題の、問題は、3問構成なら、1問にかけられる時間は、制限時間45分のうち、最大15分である。見直しの時間も考えるとせいぜい10分しかない。問題を読む時間、理解する時間、考える時間、書く時間、合わせて10分である。それを3時間、4時間かけても結論が出ないというのは、すでに勝敗はついている。事実そういう子が受かることはなかった。
 算数の修得過程を通して、思考を深める、ここを忘れてはならない。いつしか算数レジュメ集を早く終わらせて次のレジュメにいくことばかりに気を奪われて、考えることを忘れ、いい加減に取り組み、説明を聞いて「わかった」ことにする。こういう姿勢は、伽藍堂、張り子の虎と同じで、中身は空っぽのままに、推移するだけである。

 総合診断医的指導の診断とは
 可能性であると消去法による指導とも言える。問題文の読み取りができない子たちがいる。なぜできないのか、その可能性を挙げてみる。
 ○国語力が未熟な段階
 ○精神的に幼い
 ○家庭学習がそもそもない
 ○知能が低い
 
今、竹の会の処方では、計算力訓練、割合という抽象化訓練を処方することが、主たる処方であった。私が新たな処方として、準備中なのは、国語的処方である。
 現在構想中なのは、「抽象-具体」をテーマとして、訓練レジュメである。子どもたちの脳を具体脳から抽象脳に変えていくこと、これである。
 事実の正確な読み取りというのは、時系列に事実を整理すること、因果列で事実の関係性を整理すること、その上で、事実の意味づけをすること、である。
 事実の意味づけとは、何か。
 事実が意味ある事実であって初めて事実は生命を得る。
 意味とは、抽象化された事実のことである。例えば、時間という事実は、速さという事実から、様々な場面を変えた事実を表している。もし、道のりが一定なら、速さの比と時間の比は、逆比の関係にある。もちろん時間と速さの積は道のりを表す。
 抽象的な事実は、具体的事実に引き直すことによって、その関係性が、わかる、ということがある。
 さて、ここで、処方である。
 子どもたちの頭を抽象化するには、具体的にどうすればいいか、である。
 様々な訓練レジュメが考えられる。いや、私の中には、色々アイデアが既にある。
 抽象語について訓練
 例えば、形而上とは?など
 抽象語を用いて百字の短文を作るなど
 抽象化の訓練
 例えば、水、油、酢を括る語は?
 民主主義の定義?
 つまり、定義化
 二百字の文に題をつける、
 百字の文を一言で言えばなど、
事実の読み取り訓練
 事実を提示
 五肢の事実誤認判断テストの作成
敬語訓練
 平安時代は、貴族は高い板敷の上から、卑賤な者は、地面に跪いて、話しをした。つまり、場面設定から、上下関係が歴然としていた。敬語とは、もともとそういう位置関係から必然できた言葉遣いだ。
 私たちは少しだけタイムスリップして敬語というものを考えて見なければならない。
 俗に言う、「タメ口」に慣れてきた子どもたちには、敬語なんて言われてもなんのことかわかるまい。先生とも同じ平面で、高低差のない位置で話しているのだから。しかも敬語を使わないからと言って、昔のように、「無礼者」と殺されることもないから。そうなのである。この時代は敬語を使わなければ殺されたのだ。
 今は、長幼の序に一応の基準を見る。役職の序というのもある。職業の貴賤の序というのもある。官民の序というのもあるようだ。貧富の序、成功者の序なんかもあるのかな。
 いずれにしても敬語を使わなければ殺されることはないが、なんらかの不利益は受けることはありそうだ。
 だから、敬語の勉強をするときは、敬語の前提にある、高低差を考えながら、学ぶことだ。
 
 指導のアイデアは無限に広がる。
 
竹の会の総合診断医指導
 平成24年の指導、令和2年の指導を持って、総合診断医指導とすることは、間違いない。あの時は、確かに、私は、処方しながら、指導していた。総合診断して、消去法で、可能性を絞り、一つに絞った可能性に、渾身の処方をする。
 私が36年の塾人生で、到達した心境である。
 
竹の会の高校入試指導
竹の会における高校入試指導の要件
○各科目80点以上を取れないのは、不勉強以外の何者でもない。逆に言えば、中学で、普通に勉強して80点が取れないのであれば、竹の会に来るべきではない。
○竹の会の高校入試指導は小6の2月から開始する。中学入学前に、数学なら「関数」までを終わらせる。英語は、単語500語を書けるようにする。
 そこからスタートである。
○竹の会の高校入試指導を受けるには、計算力、割合、算数を極めておくことが、理想である。それには、小学低学年から竹の会で訓練を受けてきたことが理想的である。
○竹の会は、トップ都立、難関私立をめざす塾である。
竹の会の高校入試指導のコンセプト
○早ければ中1までに、数学、英語の中学3年で履修する事項を終わらせること
○理科、社会は、中3になるまでに、高校入試理科社会を完成させること
 そのために、竹の会では、その指導体系を既に完成させて久しい。
○竹の会は、教材費は、取りません。レジュメ指導が基本ですが、高校入試に関しては、市販の有益な参考書、問題集、受験教材を必要と判断すればすべて無償にて惜しみなく提供しております。それは、挙げて合格を勝ち得るためです。
 過去問は、都立なら30年分以上を演習用に、所蔵しております。
 都内の定期テスト(中間、期末)過去問データを豊富に所蔵しております。
 高校入試用に、竹の会が作成したレジュメは、数学、英語を中心に、主要五科目について、膨大な量に達しております。
 竹の会は常に最新の情報を、求めて、最新刊の書籍、参考書などをチェック、塾教材会社、模擬試験会社など関係各社との連携を密にして、常に、最新情報の獲得に遺漏なきように善良な管理者の注意義務を果たしてまいりました。

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