2020.05.19
竹の会の正体(6)
竹の会は合格請負人である。
エピソード1
昭和62年 青山学院高等部合格
竹の会1期生、昭和60年12月入会。上原中2年。有名塾を渡り歩いて入会時は河合塾、東大家庭教師2人をつけて、青山学院高等部を志望。偏差値60前後。当時の青学男子の偏差値は69。
竹の会初めての合格請負仕事である。個人指導。12月の指導で、竹の会に魅入り、東大の家庭教師は首。直前偏差値は64。河合塾は夏までで止める。過去問を解かせる指導。
河合塾の模試、業者テストの判定は「合格不可能」。
直前の注意点
親御さんとの密な情報交換、意見交換。指導時間数を最大にすること。模試の結果と学校の成績を密に報告させ綿密な指導をすること。指示の絶対遵守。親の口出しは一切禁止、自分の嗜好で絶対にやらないこと。
◎前哨戦の市川高校合格。
開成高校受験。 これは自信を、つけた結果の本人の意思。さすがにこれは失敗。
本命青山学院高等部合格。請負成功。
上原中の先生の言葉「竹の会の先生に足を向けて寝れないですね!」
エピソード2
平成元年 都立国際高校合格
都立赤城台廃校の後に都立国際高校新設
前評判から推薦倍率23倍へ
各中学の校長推薦を受けた、各7名前後が、受験。都全域の受験生が集まり、倍率は定員の23倍に達する。
作文勝負だったと思う。内申はオール5が当たり前。ただし、指導した子はオール5ではなかった。校長推薦を受けた者が各学校7名前後出願したと思う。開校ということで話題となり前評判が高く倍率は23倍までになった。添削した作文は少なくとも100通以上はあったと思う。この作文指導が功を奏したことは渋谷区でただ一人の合格となったことでわかる。竹の会の作文指導が評価されたとわたしは思っている。請負成功
エピソード3
平成2年 獨協中学合格
初めて中学受験を請け負う。小5。それまで受験と関係のない生活。大手は嫌い。週2、一回2時間。方程式を教える。もちろん正負の数、文字式をマスターさせてから。ちなみに、方程式を使えるまでになったのは、この子と平11年に立教中学に合格した男子の二人だけである。小学生に方程式は無理と知った。この子は、小6の冬に大手の講習に参加させた。わたしが高校入試で忙しかったこと、全く世間を知らないこの子に受験というものを知ってもらうため。この時にこの子は記憶に残るエピソードがある。まずクラス選抜試験で、ほぼ満点をとり、一番上のクラスに入ったこと、さらにそのクラスで一番になったのはいいが、方程式を使って解いていることがバレて講師に注意されたことである。本番に際しては、心配になった親御さんに、方程式を使っても大丈夫なのか、相談された。当時の解答欄には、解き方の欄はなく、わたしは問題ないと判断した。仮に、方程式を使ったことがわかっても正解をバツにすることはできまい、と説明した。
獨協中学合格。この子は3年間獨協中学で学年1番。高校でも3番以内。東京理科大建築に指定校推薦で合格。現在一級建築士として活躍している。
実はこの子は中学高校の6年間も竹の会に通った。
エピソード4
平成10年 早稲田実業高等学校合格
竹の会では初めての子飼いの子の早慶合格であった。彼は小6の終わり頃、小4の時から通った日能研を止めて来た。日能研の席次は二番目のクラスの中程度。慶應志望。桐光学園合格。中学は上原中。柔道部、生徒会長。竹の会では当時のSコース、後のパスポートコースに所属、要するに、平日の16 時から21時まで全て出れる。彼については竹の会に合格体験記が載っているから、そちらをお読み願いたい。
立教新座、早実普通、早実商業、慶應一次に合格。渋谷区では唯一の公立中からの早慶合格者。都立滑り止めは青山。
エピソード5
平成12年青山学院高等部合格
彼女は、中1から6年間指導することになる。桜蔭受験に失敗して中学ではサピックスへ。中3の11月に落ちこぼれてサピックスを退塾。二か月特訓して、青山学院高等部に合格。合格後も3年間通い、慶應大学総合政策に現役合格。純粋にわたしの指導による合格と言える。高校の3年間は、英語三科目10段階評価の全て10。数学三科目も同じ。慶應は数学で受ける。社会では浪人に勝てないとのわたしの判断から。
エピソード6
平成13年都立西高等学校合格
小6、4月入会。高校入試。都立西、東工大志望。中2の1学期には、漢検2級、英検準2級合格。9科目中5が8個、4が1個で、都立西推薦合格。都立西時代も竹の会に通う。現役で早大理工に合格するも東大を目指して一浪。三大全国模試ですべて全国順位20番台に名前を載せる。しかし、結局慶應理工に進んだ。数学で失敗。国立大ではよくあることである。
エピソード7
平成16年慶應大学総合政策合格
エピソード8
平成19年千代田区立九段中等学校合格
竹の会が初めて公立中高一貫校受検に取り組んで、初の合格者を出した。小6、4月入会。このとき、小学生は、三人。一人は11倍の高倍率を突破して合格、二人は東大附属合格。東大附属は志望通りである。
エピソード9
平成20年都立西高等学校合格、豊島岡女子学園合格
小6、4月入会。女子。高校入試志望。この子が中学生になるのに合わせて、中学のレジュメ化に取り組む。この子の成長に合わせて、レジュメ化する日々であった。通常指導レジュメは中2時に完成。受験用レジュメの製作に入る。毎回の指導で渡せるのは、一回3通前後。よく考えてみたら、中学受検のレジュメも平成24年〜26年までは、一回3通ほどであった。それで小石川や桜修館に合格していた。最近のように、大量のレジュメをやらせることはない。ないのはそもそもレジュメがなかったから。最近は、これまでに完成した膨大なレジュメをできるだけ多く課す指導をしてきた。ここは、考えなおさなければならないことを痛感した。少ないレジュメだけで受かったことをもう一度考えなおさなければならない。
さて、とにかくこの女子は、都立西に合格した。私立は、豊島岡女子に合格している。
エピソード10
同年立教新座高等学校合格、桐蔭学園理数に合格した男子がいる。中1の4月入会。サッカーのクラブにいた。真剣になったのは中3になってから。中1から、慶應高校と言えば慶應に合格できたと思う。この男子は桐蔭理数に進み、一浪して東大の経済に合格している。
ご存知のように、平成18年以降は竹の会は公立中高一貫校一色の時代に突入する。
それでも一人、二人と高校入試志望の子たちが竹の会にやってきた。
エピソード11
平成23年都立小山台高等学校合格、都立文教、都立高専
エピソード12
平成25年都立北園高等学校合格
この女子は、かつて竹の会にいたこである。郁文館中学に進学。びっくりしたのは、この子が郁文館の三年間学年1番オール5だったこと。竹の会に11月にやってきて、都立北園に行きたいという。竹の会の判定では、一般では難しいと思われた。推薦でも倍率は高倍率。内申が良かったので、推薦に的を絞った。しかし、私立の内申と公立の内申の評価は同等と評価されるのか、とにかく初体験であった。かつて北海道から都立受験をした子が、北海道の内申を一律3にされたことがあった。未知のことが多かった。不安の中でとにかく合格した。
以下は、26年以降の都立合格校である。
毎年一人というのが、竹の会の高校入試です。
中1に三人ほど入るのですが、たいていは中1の末にはやめてしまいます。竹の会では中学生は長くはいない。中学生というのは、部活が始まるとたいてい勉強に身が入らなくなるからである。だから、竹の会で最後まで残った中学生というのは、勉強ファーストできた子たちに限られる。
平成26年都立駒場高等学校合格
平成27年都立戸山高等学校合格
平成28年都立戸山高等学校合格
都立文京高等学校合格
平成31年都立青山高等学校合格
竹の会は、合格請負人である。ただし、合格を依頼するのなら、何もかも隠さずに情報はすべて報告することはもちろん、プロのやることに親が口出ししないこと、ですね。市販の参考書、問題集など勝手にやらないこと、親の相談がないのはありえない。指導時間は最大限とってあげることです。直前に目一杯指導時間を取ってやること、これで未来が決まる、そうたいていそれが運の分かれ目になる。
※竹の会最新刊レジュメ集