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竹の会基準の桜修館合格の確立‼️

2023.03.17

竹の会基準の桜修館合格の確立‼️
 令和5年桜修館合格は、竹の会に、コペルニクス的転回をもたらした。わたしのこれまでの理解を完全に覆す、衝撃的な合格証明であった。
 これまでの認識とは❓
 算数の到達度〜「速解」以上
 適性到達度〜「推論を鍛える」シリーズ正解率80%
「算数をクリアーにする」正解率80%
「処方箋」正解率70%
「合否判定レジュメ」正解率90%
早稲田進学会模試〜成績優良者

令和5年桜修館合格者の成績
算数は、速解まで。適性正解率は基準に遥かに達しない。特に、処方箋は、使えない。
合否判定レジュメは、合格の方が多かったが、全くできないものも複数あった。
早稲田進学模試は、100点未満が2度、最高は150点台。ちなみに300点満点。
ここで、前回の草枕でも詳細に分析したが、既に早稲田進学会の模試は、合否判定として機能していない、ことを認識しなければならない。
 だからといって、ほかに信頼できる模試があるかと言えば、「ない」。
 竹の会だけで合否判定のできる基準を立ち上げなければならない時期にきている、ということである
 また、令和5年は、投じたレジュメの種類、量は少ない。
 これは前々から感じていたことである。投じたレジュメの種類、量が少ないほど、合格者が出る、のではないか。
 平成25年には、小石川、白鷗、桜修館に合格しているが、この時期は、まだ竹の会にはレジュメの蓄積どころか、指導のたびに新作を2〜3題用意して、指導に臨んでいたのだ。あのときは、「入会試験1類」「算数をクリアーにする」「合格答案への道」だけだった。算数レジュメに至ってはまだ「推理の素」もなかったのではないか。それで早稲田進学会に2人が名前を載せている。
 実に牧歌的な時代であった。
 その後わたしは多種多様、大量のレジュメを執筆していったが、それが合格への最良の方法だと信じて疑わなかった。
 生徒の質にもよるが、レジュメを多く使えば使うほど合格者が出ないのではないか⁉️という不審が長くわたしの心の片隅に燻っていた。子どもが能力的に無理なときは、レジュメはもちろん使えない。苦肉の策として、過去問合格法に先祖返りしたこともあった。去年は荒れた年だった。レジュメが大量に積み残された。指導ができなかった。子も親も好き勝手をした。入会試験を甘くしたことの反動が一気に出た。無試験入会、不合格者の入会許可、小5まで大手にいた子の入会許可、小6中途からの入会許可などこれまでの竹の会の鉄則を崩した。その反動が竹の会を震撼させた。

 
 レジュメの種類を増やし、量を増やし、その他過去問など投じたときほど、合格者は酷いときは、皆無のこともあった。
 ここに真理が見え隠れしていたのに、私はそのことに首を傾げながらも注意を払うことがなかったのだ。
※アイザック・ニュートンの著書より
 私は、海辺で遊んでいる少年のようである。ときおり、普通のものよりもなめらかな小石やかわいい貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに。

 I was like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.

桜修館合格の真理の発見‼️
わたしはようやく真理の大海に目をやり、驚きと感嘆を持って、真理は最初からそこにあったのか、とあたりまえの、あまりにもあたりまえのことに肩の力が抜けていくのを感じている。
そうだったのか。わたしは夢中で問題を作り続けてきた。十数年問題作りに没頭してきた日々、いつしか、わたしは桜修館をはるかに凌ぐ、いや都立中高一貫校適性問題の核を凌駕していたのだ。
 竹の会のレジュメの中でも就中抜きん出た秀作が多々ある。その中には、これを解いた者は必ず受かるというレジュメが秘かに棲息していたのだ。あの必ず合格をもたらすという「合否判定レジュメ」には、これまでにない、何かが秘められている。それは何か。あのレジュメを解くときに頭に澄み渡る、丁寧な論理の階段、あの階段を一段一段と慎重に上るときの感触は、心が研ぎ澄まされるような、静寂があった。確かな一歩を感じた。あれほどの傑作はもう二度と作れないのではないか、そんな思いに駆られる。
 使う題材は、決まっている。わたしのセンサーに響いた問題、わたしはじっくりと解いてみる。その上で、徒らな難問ではない、常識的な理解、基本的な知識で解ける、しかし、簡単にはいかない、思わぬ勘違いを誘う何気ない仕掛け、常識的に考えれば引っ掛かることもないのだが、そこを、クリアしても、今度は一つ一つ論理の階段を上る途中に、踏み間違えそうな仕掛けが要所に何気なくある。
 徒らに難しい問題は稀有な天才を発掘するだけである。そんな試験ではない。模試で難問を出されてできないと落ち込む、そんなバカな模試なら毛手も仕方ない。そんな模試に価値はない。そんな模試なら受けることはない。
 竹の会は竹の会基準を合格の目安とすることにようやく、その正しさに気がついた。これまでも竹の会の合格者は、竹の会のレジュメだけで合格してきたのだ。ただこれまでは玉石混淆を厭わずレジュメを使ってきた。夢中だった。だが、実は、その中に合格に直結するレジュメがある、確かに、ある。これからの私は、既に突き止めたレジュメの開発を急務として位置付けている。
 私は今年の合格で合格の真理の、一端を見た。何をすれば合格できるのか、それがわかった。
 

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