2018.05.05
◎教科書が読めない子
教科書が読めない子に、噛み砕いて、教える、これって、何か、意味があるのか。自ら読み取れない子に、噛み砕いて教えれば一生読み取れない、ままに終わる。一生自分じゃ読み取れない。 鍛えるというのは、ここでしょ。 算数が、わからないのではなく、教科書が読めないのだ。よく指導していると、問題の意味を聞いてくる子というのがいますが、問題文を読み取れないのです。こういう子というのは、必ずしも知能の低い子に限らないのですが、やはり成功しないで終わることが多い。 読み書きのできない小学生を乱造して、親は能天気に、大手に入れる。地元にある塾に入れる親もいる、が、ほとんどの塾は、少なくとも、読み書きは、できるものとして、教える、授業する。ここが、問題である。そもそも教科書も満足に読めない子に、なにを説いても、わかるわけがない。 読み取りの訓練をしてこなかったこと、いや大手で読み取りもできない子に知識を詰め込もうとしたこと、これはもちろん効果などないけれど、恐いのは、教科書も読めないバカに知識を覚えさせる、そういうことをしていれば、どういうことになるのか、およそわかりそうなものなのに、バカ親たちは、狂ったように、子を追い込んでいく。 家庭教師はバカ息子、バカ娘、つまり教科書も、読めない子に、噛み砕いて、教える装置となりさがる。子はますます自分で普通の文も読み取らないバカになる。こんな子らに学校の授業などわかるはずもない。塾の授業はどうか。塾は「わかりやすく」説明するかもしれない。しかし、進学塾だと難しい問題もあり、いつもそういうわけにもいくまい。とにかくも教科書さえも読み取れない、バカがうようよいるということである。
指導をしていて、算数の問題が「わからない」という子について、考えてみると、算数そのものが「わからない」のではなく、問題の文を理解していないことがほとんどである。ふと適性検査問題の解けないという子たちを思い合わせてみると、この子たちが問題の文章を曖昧にしか、つまり不正確に、超主観的にしか、読んでいないことがほとんどでなかったか。「わからない」という子に対して、わたしが声を出して問題文を読みといていくと、必ず途中で「あっ」と言う。今の子というのは文章の論理的な読み解きというのができないのがほとんどなのである。適性問題というのが、教科書と同じ文レベルであることは間違いのないところであって、世の親たちはまず大手だなんだで対策の知識をどうのこうのという前に我が子の基本的な教科書読み取り能力を疑ってみたほうがいいのではないか。
さてである。このときの訓練とは何か。まず読み書きである、とにかく毎日のように音読を欠かさないことてある。まず読むことで、用例を学んでいく。簡単な用例を積み重ねていく。かかりとか、受けとか、主語と述語の対応とか、「しかし」とか、「したがって」とかの使い方の経験を重ねる。親は、こういう時期に、早期英語教育やら習い事、稽古事に夢中で、大切な、生きる基本ともいうべき学びの躾を子に施すべきことを忘れてきた。ゲームを買い与えて子の機嫌をとるのには長けていても、子に厳しく字を教え、読み書きを教える親は少ない。教科書も読み取れない子にしてきたのは誰なのか。それは他ならない、親である。あなたたちは、今、子に何が最も大切かつ必要なのかがわかっていない。あなたたちの行動は早くからわたしは見切っていました。昔から、竹の会は、大手しか眼中にない親たちからは、鼻であしらわれてきました。要は、バカにされていたということなのですが、わたしにはこういう人たちに竹の会を理解してもらえることなど到底不可能に思えました。学校説明会などでビラを配ったこともありましたが、まずそれが縁で竹の会に来るなどということは皆無でした。それでわたしは本当にたまたま竹の会にきてくれた、一人とか、二人、たまに四、五人という、竹の会には、多いということもありましたが、基本は、二、三人です、そういう子たちをわたしはとにかく必死で育ててきた。幸か不幸か、そういう子たちの親御さんというのは、竹の会を、わたしを、それは、よく信頼してくださったわけです。 とにかくわたしは3人いたら2人合格させる、5人いたら3人合格させるというようなことをしてきたわけです。大手にいく親たちは、竹の会など頭から否定している、だからわたしは、たまたま竹の会にきてくれた、子たちで、証明してきたのです。 いやわたしは、バカにするな、という反発があったし、それ以上に、指導というものを極めたいという、私のうちから湧き起こる、情念みたいなものがわたしを突き動かしたと思うのです。そういう強い思いがあった。臥薪嘗胆ではないけれど、薪に臥し、胆を嘗めて、竹の会の指導の粋を超一流にすることに粉骨砕身してきた。 たとえば、竹の会の英語、 平成10年前後まで、竹の会のあった周辺地域、特に、上原地区では、例えば、上原中の全生徒の8割が、通うという、英語塾があった。竹の会は数学で評判だったから、そういう英語塾の子たちが、「英語はいいです、数学だけお願いします」とやってきたのです。夏期なども数学だけでいい、と言ってくる。これは、河合塾とか、代ゼミ、昴に行っている子たちだって変わらない。 私は悔しかったですね。それで、とにかく市販の英語の参考書とか、問題集、塾専用教材、とにかくありとあらゆるものを取り寄せて、分析した、研究した。高校入試の英語過去問は毎年解いていたから、高校入試英語というものは、わかっていた。それから、青山学院高等部の生徒に数学と英語を指導する機会があり、さらには、竹の会から慶應大を受けるという子も出てきて、東大の英語教科書なんかも訳したし、大学の英語の参考書も何冊か読むこともあった。 こうしてわたしは竹の会の英語を超一流の受験英語の方法論として、完成させていったのである。 竹の会の定番テキスト「新英語指導案」、「入試英語指導案」は、こうして完成していった。 臥薪嘗胆の末、生まれた。
国語にも、臥薪嘗胆がある、国語専門塾ということを有難がってよく言う親もいた。竹の会の今の国語指導は、わたしの臥薪嘗胆の 賜であった。ただ国語に関しては、自信があった、高校3年の時の全県模試で、国語が、全県7番だったことがある。答案返却のとき、担任が、成績表とわたしを見比べて、驚いた表情を見せた、なにか信じられないというような顔をして、落ちこぼれのわたしを意外な顔をして見返した。 わたしが、国語が得意なのは、よくわからないが、高校の頃、現代国語の教科書を毎日音読していたことしか思い当たらない。 わたしは、竹の会の国語を本物にするために、いつものように、今度は、大学入試の参考書、予備校の先生の書いた参考書を読んで、研究した。基本的には、わたしが読書人間だったということもあるかもしれないが、わたしなりに国語というものを極めてきたと思う。 理科だって社会だって臥薪嘗胆があった。 竹の会は大手絶対の、親たちに、臥薪嘗胆の末、一流を極めてきたのかもしれない。 話しはかなりそれましたが、それでは、読解力をつけるには、どうしたらいいのでしょうか。 教科書を考えながら読むことではないでしょうか。かかりとか、受けとか、つながりとか、対応とか、そういうことを考えながら、丁寧に読むことではないでしょうか。なぜ「しかし」なのか。こそあど、つまりこれ、あれ、それ、どれのさすもの、そんなことを考えながら、読むことではないでしょうか。つまり、考えるとは、教科書を考えながら、読むことです。 できないのは、これまで教科書を蔑ろにしてきたからです。 どこそこの大手のテキストがいいなどとあれこれ探しては、いいという教材を手に入れる。講師が東大出、一流進学塾で教えてきた、そんなことばかり追いかけて、教科書を読むということを下らない、地味で面白くない、そういう教育をしてきたのが、多くのバカ親たちです。 勉強というものは、本来孤独な作業です。実は面白くもない、本当はそういう中から沸き起こる面白さというか、勉強をコントロールする、操る喜びみたいなものはあるのですけれど、その域に達するにかなりの勉強というものを生活に内面化するまでに没頭してこなければならない。当面は面白くない、我慢する、律する、そういうことを して経験を積むしかない。
昭和60年(1985)10月竹の会開設。 平成24年(2012)5月6日渋谷教室開始 。平成24年7月20日元代々木教室閉鎖。平成30年竹の会渋谷教室6周年、第7回目の記念日。 竹の会33才。