2021.11.16
竹の会物語4
都立入試選抜方法の変遷
1982年学校群制度廃止
グループ合同選抜方式
学区内の高校を2つのグループに分け、調査書(内申点)と学力検査でグループ合格者を決定。第一志望校が不合格であっても、グループ内で定員に達していない高校に希望順位をつけて三校まで第二志望とすることができた。
また、それでも定員を充足できない学校は、その学校を第一志望としていた者を成績順に「繰り上げ合格者」とした。
1994年にグループ選抜は廃止され、単独選抜制度に移行。学区外受検が認められるようになり、2003年4月入学生からは学区制が廃止され「全都一学区」となった。
平成15年全都一学区制度。平成13年の都立西合格は、隣接区の特例を利用して受検したものだった。1994年までは、渋谷区は、21グループ、22グループに属し、21グループは22グループより格上とされ、21グループの最高峰には都立戸山が君臨していた。竹の会は、永く都立新宿、駒場、青山の受験者を軸として高校入試を指導してきた。
平成10年以降高校受験生は次第に減っていった。やってくるのはほとんどが学習不振児ばかりだった。
公立中は、できない子ばかりになった。都立の人気も地に堕ちて都立高校ではまともな大学に行けない状況が続いた。私立中受験ブームだった。優秀な子はみな私立へとながれていった。全都一学区制はそういう中から生まれた。進学重点校制度が実施され、独自問題出題校など都立高校の改革が進められた。
平成17年公立中高一貫校制度がスタート。都立改革の嵐は吹き荒れた。かつての都立の栄光を取り戻すべく次から次に改革が進められた。
竹の会は、既に公立中の生徒の募集を止めていた。都立中高一貫校へとシフトを変えつつあった。本格的に公立小の児童を受け入れ始めたのは、平成15年ごろではなかったか、と思う。公立小の児童はとにかくできなかった。通分がなかなかできない、ましてや割合を本当に理解する者などほとんどいなかった。ただ大手塾崩れというか、大手に通っていたことがある、という子の中には、とにかく割合のベタな問題は解くのが速かった。問題と解き方、主として公式をセットにして暗記していたのだ。だから速い。しかし、公式が使えない問題には全くの無力だった。自分から事実を解きほぐして解決の糸口を探し、なんとかするという意思が全くと言って欠落していた。いったんこういう習性が身についた子を考える子に仕立てるなどというのは不可能に近かった。それは経験が教えていた。
私の課題は決まっていた。小学生の指導法の開発、研究だ。学校の優等生と言われる子たちでさえも割合となると本当に理解できる子は少なかった。わたしは永く眠らせていた、ある数式ソフトを使うことにした。悪戦苦闘しながら、小学生のための割合指導法を研究した。アイデアを考えては、パソコンで教材を制作した。作った教材は必ず子どもたちに使って反応を見た。そういうことを半年も続けているとさまざまなアイデアが蓄積されていく。一番人気のあったのは、棒グラフ状の図の右に実際の数値目盛を書き、左に全体を1としたメモリを書きこんだものだった。わたしはこの原型を様々に工夫してはレジュメ化して子どもたちに試した。膨大な量の試作レジュメが溜まっていった。
平成18年九段志望の小6一人、東大附属志望の小6二人、4月指導開始。まだレジュメではなく、過去問合格法だった。翌19年三人とも合格。私のレジュメ開発は19年、21年、22年、23年の4年間、続いた。22年指導の、算数が伸びていた、男子二人が、「あのレジュメはよかった。あれで割合がわかった」と話しているのが耳を掠めた。「あれって、どのレジュメ?」私は、訊いた。「あれか、」わたしは、塾が終わると急いで帰り、パソコンを開いた。「これか」「これなのか」、ミクロマクロレジュメ。私は、ミクロマクロレジュメを敷衍して、執筆に熱中した。竹の会のミクロマクロ法はこうして完成した。今、竹の会の多くの小学生がこのレジュメで難なく割合をマスターしていく。
平成23年、小石川、桜修館合格。過去問合格法最後の合格者。24年竹の会入会試験開始。このとき初めて適性問題を数式ソフトを使って制作した。わたしは問題作りに熱中した。レジュメだけで受かる、合格できることを考えた。
初のレジュメ世代が25年受検に臨んだ。小石川、桜修館、白鷗に合格。
私は精鋭の、レジュメだけで、合格させることができた。
竹の会の合格法の原型がここに完成させた。
私が迷ったとき、どうしてと過去問合格法に回帰してしまう。そして失敗する。そういうときは、生徒のできが悪いときだった。このままでは受からないという危機感だった。私のレジュメをテンポよく進められる子でなければだめだ。
8倍の試験である。勉強すれば誰でも受かる試験ではない。それなりの知能が必要である。もともと知能が並の子を底上げして受からせる試験ではない。知能が並みの水準ではそもそもめざすのが無理なのである。
竹の会には才能のない子を受からせる魔法の力などない。試験とは、もともとの才能がなくて受かるものではないのである。
試験を誤解してはならない。試験とは、能力のある者を選抜するための方法である。試験は努力の量を評価するものではない。できたか、できないか、ただそれだけである。
塾とは、本来才能ある者を合格させることができるだけである。
もともと才能がない者が合格することはない。
塾で力がつくというのは、合格するかどうかとは別の話である。才能はないが、力はつけられたということはある。しかし、その力が合格を、もたらすかと言えばそれはない。
才能があっても落ちる。落ちても才能があれば、高校受験で成功する道は残されている。
才能がなければ、その道もない。
試験制度とは、そういうものである。