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竹の会英語の集大成

2021.03.25

 

◎竹の会英語の集大成
 今年の中1は、なかなか勉強熱心で、私の指示をよく聞いてくれる。実は、ここ最近、ここまで熱心な中1は見たことがない。そこで、この熱心な中1に動かされて、これまでに手をつけていなかった、これまでに執筆してきた英語レジュメの、再分類整理を試みることにした。項目ごとにファイルを作り、仕分けしていくこととしたわけだ。これまで、英語に関しては、フォルダだけでも数個あり、そのそれぞれに種々雑多なレジュメファイルが混在していた。これは、生徒指導の効率化という点でかなり非効率なものであった。例えば、過去形を指導するとして、過去形に関するレジュメが、あちこちのフォルダにあり、一つのフォルダの中でも、何種類かのファイルに分散していた。そこでこれを機会に細かく再分類して、仕分けすることとした。その過程で、忘れていた、かなり有益なレジュメを発見することも度々であった。
 最近、高校用英語副読本に凝っていまして、ヤフオクとか、メルカリで見つけては、買っています。1884年前後のものが多く、今は手に入らないものばかりです。というか、高校用英語副読本は、もともと学校配布用で、市販では手に入らないものですが、とにかく使える英文の宝庫で、竹の会の子たちの英語読解指導にはこれしかないと思っています。
 竹の会の英語は、膨大な量のレジュメ指導はもちろんですが、実は、竹の会には、英語の核となるテキストがあります。いや、実は、竹の会の英語は、このテキストの成長とともに進化していったのです。 
 1985年10月に、竹の会がスタートした当時、竹の会には、何もなかった。当時、近辺には、有名な英語塾があり、上原中の生徒のほとんどがその塾に通っていた時代である。親たちのその塾に対する信頼は生半可なものではなかった。その塾に通う子たちは英語5は当たり前だった。その塾の子たちが、当時数学で評判になりつつあった竹の会に来ることがあった。中には、数学だけでいいからとやってくる親子もいた。幡ヶ谷や笹塚には、有名な英語塾もでき、とにかく周りは英語塾に囲まれていた。もちろんさまざまな個人塾も散在し、さらに駅近くには大手塾、四谷大塚準拠塾ととにかく塾激戦区であった。そういう中で、竹の会は数学で評判をとり、合格実績が上がってくると、竹の会の入会者も次第に増えていった。そういう中で、わたしは、竹の会の英語を近隣の英語塾に負けないものにしたいという意思を持ち続けた。
 そのために、まず英語のプリントを作ることから始めた。
 書店で有名な問題集、参考書を買い漁った。さらに塾で使われる英語教材を集めた。大久保にある第一教科書で探したものだ。あと有名な新中学問題集やプログレス英語教材も全て購入した。さらに青山学院中等部の英語プリントがたまたま手に入り参考になった。公立中学の英語の定期テストも参考にした。こうした教材をじっくりと読んで、私は竹の会英語のテキスト案を構想していった。研究の過程で、多くの英語プリント試作品を執筆製作した。ちょうどこの頃、新宿高校の生徒や駒場高校の生徒を相手に授業をした。みな高校1年からいた子たちで、高校3年になって、大学受験のための授業をした。このとき英語文法の授業をしたことが、大きな収穫となった。わたしは高校生相手の授業、しかも大学受験生ということもあり、私は事前に念入りに授業の準備をした。わたしの文法講義は、一年間ほど続いた。このとき、私は、授業メモを詳細に板書した。このとき、新宿高校のTさんという女子生徒が、詳細に板書を写し取っていた。そのノートは、かなりの量に達し、わたしの文法講義のまとめになっていた。わたしは、Tさんに頼んでそのノートをコピーさせてもらった。こうして私はこのTノートを叩き台にして、初の竹の会英語テキストの執筆に入った。初代「英語指導案」は、こうして完成した。内容的には、かなり粗い仕上がりだったと思う。

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 わたしは、これを骨格にして、肉付けをしていった。こうして、3分冊からなる「英語指導案」が、完成した。竹の会英語の核となるテキストであった。

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その後、わたしは、高校生相手の英語授業を元にした、高校英語を概説した「高校英語概説」を執筆した。

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この知識を背景に、「新英語指導案」の執筆にはいった。これを一気呵成に書き上げると、次は、「入試英語指導案」を執筆した。いやこのテキストの完成には、「英語ポイント集」と「英語合格本」の完成を待たなければならなかった。前者は、早稲田実業高等部対策本、後者は、慶應女子対策本であった。特に、前者の「英語ポイント集」は、幻の名著と言われた。都立の英語はこれでほぼ満点が取れた。さらに國學院久我山レベルの英語なら9割取れる本として、知られた。これを何十回も回した生徒が、よく「先生、この中からほとんど出ました」と言ったものである。
 私はこの二冊を融合させた「入試英語指導案」の執筆に情熱を燃やした。幻の名著は、この中に脈々と生きていた。

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 それから、わたしは、「新英語指導案」の解説本の執筆に明け暮れた、かなり詳細な文法解説書となった。
 私は、英文読解用として、プログレスの副読本の解説を書いた。さらに日栄社の高校用英文解釈初級を使って、読解の訓練をした。このテキストは今は絶版となっている。
 わたしは、英文解釈用のテキストを高校用英語副読本に求めた。
 いや、実は、高校受験用に何かいいものはないかとずっと探してきた、というのが正直であろう。高校用教科書も使ったことがある。が、私は、高校用英語副読本が最も優れた教材であることは知っていた。しかし、手に入らない。学校専用教材だからだ。が、私は、アマゾン、ヤフオク、メルカリなどをいつも監視して、出るのを待っていた。こうして、私は、絶版、学校関係者のみ販売の本を地道に集めてきた。竹の会の中学生のために、いい英文で練習させてあげたい、ただそれだけの思いだった。
 平成11年、私は東京大学教養学部のために作られた英語テキストを書店で見つけた。パラパラとめくってみると、難解な英文が、ぎっしり詰まっていた。東大の先生たちが、編集したもので、訳はなかった。随所に英文で註があった程度だ。わたしは、これをその頃、指導していた青山学院高等部の女子生徒に使うことにした。彼女が家で訳して来る、私も研究社の新英和中辞典を使って訳す。悪戦苦闘だった。いい訳がつけられなくて、オックスフォードの辞典などいろいろ調べたものだった。二人で訳を突き合わせる。彼女の訳が、私にヒントを与えてくれたこともよくあった。私の訳には彼女はすぐノートに書き込んでいた。そういうことを一年ほど続けた。彼女が慶應大学総合政策、上智大学経済学部に現役で合格したときは、本当に喜んだ。なにしろ彼女は、級友たちが、河合塾や代ゼミなどに通っていたのに、竹の会だけに通っての結果だったからだ。彼女は学校では塾には行っていないと言っていたらしく、慶應に受かったときは、先生方が驚いたらしい。なにしろ慶應などを受けた級友たちが一人も受からなかったからだ。
 平成13年、私は、またまた竹の会で小6からいて都立西に受かった男子生徒の指導をすることになった。このときも例の東大の英語テキストを使った。ちなみに数学は、大学へ数学細野の数学を潰していった。彼は、駿台などの三大模試で全国順位20番台だった。東大を受けたが、結局慶應理工に進み、学生時代には、ソフトを開発して、卒業と同時に起業して、今は、資本金数億の会社にまで成長している。天才であった。
 彼の指導の詳細については、また機会があれは話したい。
 竹の会開設当時、近隣の英語塾に翻弄され、竹の会よりもそういう英語塾に行く親子が、多かった時代の苦難の話しでした。
 竹の会の英語のことを少しでも理解してくださる方がいれば幸甚です。

 
 

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