2022.04.30
◎偏差値と素点
受験の世界では、偏差値至上主義が罷り通る。確かに、偏差値は全体の中の相対的位置を知る上では有効な数値ではある。しかし、正直なところ、わたしは指導において、偏差値のことなど考えたことは一度もない。偏差値なんて後からついてくるものぐらいにしか考えてこなかった。だからよくV模擬が出す、EからSまでの判定でも、C判定ぐらいでも都立新宿などで合格すると判断したことも多々あった。E判定で独自問題の青山に受かった子もいた。あのときは、数学が20点台で受かった。正直偏差値で決めてたら受けることさえ憚られる。巷では、W合格もぎとV模擬の合格基準点があまりにも違いすぎるので、戸惑う親たちも多い。Wの方がかなり高めに出る。だからWを受けている、多くの大手塾では、都立駒場を諦めて、都立三田にする、という話しも耳に入ってくる。竹の会では、一貫してVもぎを参考にしてきたので、もちろんWも希望があれば受けさせてはいるが、Wで危ないとされる青山、駒場なんかも、V基準ではOKということで特に気にすることもなかった。たまに、心配性の親御さんからその点について相談されることもあったが、Vでかまわないと言っている。
実は、わたしは、自分の目で見たことしか信じない。偏差値というのは、模試の難度によってどうとでも変わるから、難関校なら駿台模試が一番信頼性が高いと思う。Vもぎの偏差値が使えるのは、都立のみである。ただし、都立には、内申点との組み合わせという測りにくいところがある。ひとつ言えることは、受験者平均点より低い点数を取っているのに、B判定などが出ているときなどは、落ちる可能性が高い、ということである。これも内申点のいたずらである。
わたしが、もっとも根拠にするのは、ほかならない素点である。模試でも本番でも実際に取った、取れる素点こそがすべてである。だからわたしは素点をあげるための指導をしてきた。わたしの取った方法はこのブログで公開することは当然ない。わたしは、大手のサピックスや早稲アカ、Z会などに開成受験者が集まることは知っている。つまり、天才を集めて秀逸なる指導をするということなのであろう。しかし、わたしには、そういう天才たちを牛蒡抜きして1番をとらせる、そういうことができると、わかっていた。大手のテキストは実際に手に入れて仔細に検証してみた。案の定、過去問をベースにした教材であった。大手自ら作りあげた過去問という知識の限界が天才たちを封じ込めている。だからわたしには最初から勝算があった。高校入試は、大学入試の縮図である。これがヒントである。わたしは、実際に、青山学院高等部の女子を指導して、慶應大学、上智大学に合格させたことがあった。都立西の男子を指導して、東大受験のための指導もした。わたしの大学受験指導の経験が、難関校受験の方策を教えていた。わたしは「こうやれば受かる」という道が見えていた。国語の素点が低ければ、その素点をあげるための、大学受験的な視点からの指導をした。理科、社会の素点をあげるためにしたこと、これは秘密である。彼は、すべての科目の素点でトップテンをとれるところまでいった。開成志望者中1位、筑駒志望者中3位、慶応志木志望者中1位、都立日比谷志望者中1位、・・・と1位を維持してきた。わたしは、わたしのすべての指導を素点をあげることに費やした。寝ても覚めてもいかにして素点を上げるかを考えた。1月の頃、とうとう医師に睡眠剤を処方してもらうことになった。素点をあげる方法を考えていたら、眠れなくなったのだ。
幕張を受けるのに、普通なら幕張の過去問をやるのだろう。しかし、わたしはそんなことはさせなかった。その必要はなかったのだ。わたしの素点至上主義からは、その必要はない。事実、彼は、渋幕では、特別特待生合格、おそらくはトップ合格したであろうと思う。城北は時間が余って困ったらしい。つまり、彼のレベルではそうなのだろうと思った。
竹の会で、なぜそのようなことができたのか。いやもともと竹の会はそいう塾でした。ただだれも信用しなかっただけです。だから中2の終わるころ、期待していた秀才たちが竹の会では難関は受からないとおそらく親もそう判断して大手に行ったのだ。いやわたしは別に気にしないし、去る者は勝手に行けばいいという姿勢でした。わたしが本気をだしたらどういうことになるか、それを信じる者はいなかった。それだけのことです。