2022.05.20
本日の新草枕
大切なのは方法ではなくて、知識の正確さではないか
国語の解き方6回
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◎塾に騙される親たち、そして子
ほんの短期間竹の会にいただけで竹の会のすべてをわかったかの如く竹の会を批判する人、竹の会にいたこともないのに、事実を何も知らないのに、ありもしない事実をもとに竹の会を批判する人、ときには誤解した親たちもいましたが、なかなかわたしの思いは伝わらないものです。匿名の住人が人を中傷するのがネット社会です。ようやく政府も侮辱罪の重罰化に踏み出しました。
わたしは正直にかつ懸命に子どもたちのことを思って指導をしてきたつもりです。子どもたちが親にどう伝えたかは知りませんが、竹の会への誤解は案外そういうところから生まれるのかもしれません。子どもは自己保身で嘘をつくものです。そして親はそういう子の言うことをそのまま信じる傾向があります。
わたしも塾を始めて今年の9月で満37年、10月には38年目に入ります。わたしの体が持つならば40年までは頑張りたいとこれほど体に気を遣った生活はないという生活をしています。
おそらく竹の会のような塾形式は東京には「ない」と確信しています。今の指導形態はわたしが長年指導した中から自然必然に形成されていった指導形式です。わたしの指導コンセプトは、子どもたちひとりひとりに「手をかける」というところにあります。特に、勉強に前向きな、熱心な子たちには、「手をかけて」あげなければという思いが一層強いのです。高校受験では特にそうでした。志望校合格には「危ない」というとき、子どもが熱心に通ってくる、そういうときは私も心から「なんとかしたい」と手をかけられるだけかけます。だから今では睡眠障害に悩まされるまでになりました。逆に、子どもの心が竹の会から離れていくときには、わたしの心も冷めていきました。自分流にやる、自己流に拘る、なにもかも隠して見せない、そういう子の指導は事実上できないものです。一切手をかけない、放置するしかなかったのです。昔から、「去る者は追わず」というのがわたしの信条でした。竹の会を去って、大手塾、進学塾などに行ったこたちもよくいました。自己流でやってきて、部活を軸にやってきて、親、特に、母親主導でやってきて、いい結果が出ないと竹の会はだめだと転塾した人たちでした。中には同学年の仲間がいないことを言う親もいました。
しかし、竹の会の指導を100%信じてやった人たちではないのです。そこに躊躇と迷いが顕著でした。
わたしは他塾に1年2年と通って来た子たちを通して、他塾のことを知るしか機会はないのですけれど、計算は未熟、粗く、不正確、割合は、そもそもの基本からわかってないので、応用がまるで効かない、そういう子たちをたくさん見てきました。わたしの大手や他塾への批判はそういう事実に根ざしたものでした。子どもたちの一生を左右することですから。
竹の会に来てみればどれだけできないのか、大手の自信家のみなさんもおわかりなるはずです。
わたしは常々申してきました。都立中学というのは、8倍の難関です。しかも今では私立難関中受験者の併願校化されていますから、まず、普通の頭の子では受からない。特に、「偏り」、科目的な好き嫌いのある子には無理なのです。竹の会には、かつてと違い、もともと合格は無理な子たちもいます。わたしは、そういう様々な子たちに、合格は無理としても、中学に行っても困らないように、少なくとも計算と割合の基本だけはつけておいてあげたいと思ってそういう子たちの指導もしています。重ねて言いますが、今の都立中は学校の優等生でも受からないと考えたほうがいいのです。わたしは正直にそのことは申し上げてきたと思います。普通の子が竹の会に小5、小6にやってきても基本を身につけるにはあまりにも時間が足りないのです。このことは、かつて大手から竹の会に遅くにやってきた子たちにはよくわかっているはずです。小2、小3あたりからじっくりと仕上げていくのがいちばんいいのです。
わたしの本音は、少なくとも学校の優等生にきてほしい。その優等生も竹の会の指導がなければどうにもならないのですが、「よくできる」がほとんどない子には都立は無理です。私立難関中受験者に打ち克つには、最低限必要な能力というものがあります。