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論理で教えられていない小学生の悲劇

2022.05.26

「新草枕」テーマ

   模擬試験という実力証明制度

 

論理で教えられていない小学生の悲劇

 大手塾、いや東京のほとんどの塾がそうであるように思えて仕方ないのだが、何も核となるものを教えられないままに、一年、二年と通い、それで塾に通って何か教えられた気になっている、親などは子どもを通してしか、その実態を知らされないから、子どもが疎外されて思考を破壊されても何も気づかないのが常態であろう。
 そもそもほとんどの塾が、学生を雇って講師にしてにしているところから問題がある。学生は「わからないところを教えてやる」感覚である。集団授業だと一人一人の理解の状況もわからない。「わかった?」と聞くだけで「うん」と答えれば能天気に先へ進める。
 計算もやりかた教えて、テキスト渡せば、本当にできるかどうかのチェックはやらない。割合の教えかたもチグハグで、わかって当たり前みたいな解法を説明するだけのところがほとんどであろう。算数専門塾と謳いながら、数学で解かせていたという話しを聞いたが、算数で教えられないなら、算数専門なんて言うなよ、とツッコミたくなる。
 計算にしても、割合にしても、核となる論理を徹底して体に染み込ませる、つまり訓練する、小学生の場合は、そう、訓練するのである。そして確かにできることを、つまり理解して、式を書いて答えを出していることをいちいち確かめながら、指導するのだ。だから小学生は、教えるのではなく、訓練という指導をするのだ。
 わたしは、高校受験の専門家だが、都立中高一貫校の指導を研究して、小学生のお粗末な学力の実態を知り、その指導方法の研究にもう十年以上を費やしてきた。その上で、大手に通っていたとい上子たちのあまりにもの杜撰な学力に唖然としてきた。何も理解していないではないか。テキストもらって、授業受けて、2年でこれかよ、と大手の、学生講師の、人を教えるには、あまりにも未熟さな、これじゃー、騙しじゃないか、と思ってしまう。近所のお兄ちゃんが、教える、問題の解き方を説明してやる、そういうレベルと変わらない。
 わたしは、早稲アカやサピックスは、難関高校受験の専門家集団だと漠然と思っていた。竹の会では、日比谷や難関私立に行くからと竹の会を去る生徒もいたが、それでもせいぜい城北あたりに受かれば大成功という節がある。たまに早慶というのもいたが、中途で「竹の会ではダメだ」と親子で思ったか、大手に転塾する親子を去るに任せて、いたことも忘れた。
 しかし、わたしには、内心「竹の会をなめるなよ」という本心が燻っていたものだ。この三年間、開成と筑駒の指導のために、全力をかけてきた。そのうちに、難関私立の専門家と思っていた大手進学塾の底を見切った、とある時期から確信した。わたしなら、トップで合格させられる、そう確信した。やはり、私は、自らを高校入試の専門家と称してもいいと確信した。大手の売りのテキストなんかに釣られて大手にカネをかければいいのだ。わたしはわたしの知恵と戦略でいつでも開成、筑駒をとれる、それが実証できたから、もういいかな。
 安易に大手に預ける親たちが、自らの愚を悟るのは後のこと、そしてその時は、もうすべてが終わった後のこと。後の祭り。
 東京に竹の会という、名も知れない塾が、40年間あった、それでいい。

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