2022.05.31
「新草枕」テーマ
知識が乱れる、混乱する、瓦解する害悪について
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◎できない子にできる問題しかやらせない塾ばかり
かつて某ゼミナールに小4の女の子を通わせていた母親が、竹の会に見学にきたことがあった。「今の塾でなにか、困ったことでもあるのですか」と尋ねたら、「何も困ってない」という。それならなぜ竹の会にやってきたのか、意味不明である。「塾での成績はどうですか」と聞くと、「土曜テストでは、いつも2番くらいです」と言う。それで何しに竹の会にきたのか、と聞きたかったが、「じゃー、今の塾で何も問題ないんですね」と言うと、「そうだ」という。
わたしは、その子どもが「できるいういう」子には思えなかった。昔は、入会試験というものがなかったから、入会して「あっ、これはだめだ」とわかることが普通のことだった。
あの頃から大手の駅前塾は、何も変わっていない。子どもには、難しい問題は与えない。簡単で「できた」と子どもが喜ぶ。80点は取れるように問題を調整する。そうなると親は塾でうまくいっていると安心して、「問題ない」と言うだろう。ここから見ても実は親には判断の能力はないのだ。「大きいところはいいところだ」「みんな行っているところだから心配ない」、せいぜいそんな程度だ。親子で騙されていれば世話はない。しかし、騙せるのは小5までだろうと思ったけど、騙す側の技も巧妙になり、小6になっても「実はできない」ことに気づかない。
これは公立中高一貫校塾の子たちの話しである。私立中学受験の子たちは、昔から、偏差値は低いけど、だから高い第一志望に受かると信じて、塾に言われるままに高額の費用を出してオプション講座を受けてきた。進学塾型の塾だと、親たちもできないのは、子の能力のせいだいうことはわかっているようだ。しかし、公立型の塾に通う親たちには、悪いのは塾のせいだと言う意識が無意識裡にある。できないのは塾が悪いからだと本当に信じている。自分の子が能力がないとは考えたがらない。
公立中高一貫校制度がスタートして、それまて受験とは無縁だった子たちが、一斉に受検するようになった。
そういう中でわたしは公立小の子たちが何も学んでいないこと、学校でも、塾でも、まともに何も学んでいないことを知った。
わたしは、公立小の子たちを救うために、算数を通して、子どもたちに「考える」ということを実際に示すということをしてきた。
受検は最初からだめだという子をなんとか基礎だけはつけておいてあげたいと真摯に取り組んだ。落ちるのはわかっている子たちであったのだ。
大手から来た子たちを見ていると、ほんとうに酷い目にあっていると思う。東京にはさまざまな塾がある。しかし、しっかりと基本を基礎を思考の方法をつけてあげている塾は見たことがない。できないままに放置されてきたとしか言いようがない。計算ひとつ満足にできないなんて、それも1年も2年も通って。算数を教わってきたという子たちも、数学的な解き方を教わってきたのは論外だが、公式を軸に、問題のパターンと公式で解くというやりかたを身に染みこませてきた子を見るとその弊害は計り知れない。
できない子にやさしい問題を解かせる。これはできない子をできないままにそのまま1年2年と引っ張ることである。自分の子がやたら80点ばかり取ってきて「易しい」など言っていたら、疑ったほうがいい。筋肉だって負荷をかけなければ鍛えられない。脳も理屈は同じだ。「わからない」という負荷を自力で乗り越えていく、その過程を抜きにしたら、子どもはバカのままだ。80点もらって喜ぶ親も親だ。