2022.08.31
減なものであるということ‼️
学生を雇って時間給なんぼの塾が、中大手の実態である。大手は、合格実績を最大限大きく見せることしか考えていない。それがその他大勢の凡人生徒を引き寄せるベストの方法だということを当然心得ているからである。
学生講師がいくら熱心でもそれはただのアルバイトであり、卒業までの腰掛けであることに変わりはない。時間給が安ければ居酒屋のバイトと同じこなし仕事に過ぎない。
大手は、大手信仰で飛んで火にいる夏の虫ならぬ凡人生徒親子を大量に抱え込む。しかし、大手の腹は別にある。合格実績を出せそうな子を手厚くもてなすのだ。
大手の中は、できない生徒の大きな群れがある。そしてもともとできる子たちがいる。できない子たちから見れは「頭のいい」群だある。
かつて竹の会の小6が大手に通う母親から誘われて大手の模試を受けたことがあった。そうしたら2500人中の12番だった。受検した大手塾の中で、大騒ぎになったらしい。
都立中高一貫校型の大手は、今後都立中高一貫校受検には、対応できないのではないかと疑っている。
今の都立受検の実態は、私立中堅〜難関中学受験者の併願先、しかも有力な、両方受かったら公立を選ぶ人もいるほどに有力な選択肢としての位置にある。言うまでもなく、私立難関中学受験者は、一部の、とは言ってもそれなりの数の天才、秀才軍団が、小4前後から大手進学塾に通い、多い子で週4、5回、季節講習の全てを目一杯受けて、オプション講座も取れるだけ取って勉強してきたキャリア軍団である。
つまり公立狙いの子たちとは、比較にならない「カネのかけ方」をして、勉強一辺倒の生活をしてきた子たちである。都立小石川ひとつ見てももはや学校で「よくできる」と周囲から見られている子どもが、どんなに頑張っても、どうにもならない、ということが証明されつつある。竹の会の小石川合格者を振り返っても、平成23年の合格者と平成25年の合格者、平成28年の合格者、令和2年の合格者では、明らかに、平成28年以降では、小石川の受検者の質が、変化していた。23年時も開成中合格者がかなり受検していたことは知っていた。しかし、年を追って、難関中学受験者の有力な選択肢となっていることが、見てとれる。
要するに、真の敵は、都立中高一貫校型の大手塾ではなく、進学塾型の大手塾ということである。だから、わたしは、受検には、才能が必要だという持論を譲らない。
時には竹の会がない日のことを思ってください‼️
例年夏期、8月の最後の週は、竹の会はお休みになります。今年は、短い方で長いときは10日前後お休みだったのではないでしょうか。
しばらく竹の会がないと、きっと竹の会って、自分にとってどんな存在なのか、と考えることがあるのではないでしょうか。
竹の会は、塾と言っても、世間で言う塾とは、だいぶ違います。まず授業というものがない。だから当然講師もいない。世間の塾が授業で必ず使うテキストというものもない。
授業というのは、必要悪として、必然的に「落ちこぼれ」を作ります。落ちこぼれは、事実上切り捨てです。これを意識してか、わかるまで教える塾、個別塾、個人指導塾など、できていますね。いずれにしても授業前提です。授業についていける子のための塾です。落ちこぼれには、そういうパフォーマンスをする、というだけのことです。落ちこぼれがそういう塾で、できる子に変わることはまずありません。
他塾に行ったことのある親子ならわかることです。
竹の会は、わたし一人、わたしの作った塾のかたちです。一人一人指導する、理解を疑いながら診断、指導をする、理解がなかなかできない、そういう場合、新たな処方レジュメを作ることもよくある。同じレジュメを何度も反復してやらせる、そして答案チェックで、いちいち基本を指摘する、こういうことを地道に繰り返す、続ける、正直、無理なのではないか、と思うことも多々ある。しかし、子どもが嫌がらずに通ってくる限り、勉強を放棄しない限り、辛抱強く、指導を続けるしかない、と観念している。
竹の会は、昭和60年、1985年の10月に、東京渋谷に生まれました。そして2023年になりました。あとどれだけ続けられるのか。竹の会が消えたらもう竹の会のような塾はなくなる。東京の渋谷に「いい塾があった」と皆さんの記憶に残るのでしょうか。
私の夢は、東京の渋谷駅近くに竹の会を開くこと、渋谷には「いい塾があるよ」と23区にみなさんに知っていただくこと、そして開成、筑駒合格を果たすこと、でした。
「いい塾」とわかっていただけるのは、実際に通った、その中のすべてではない、まして外部の、中を何も知らない人がわかるわけもない。
竹の会を信頼していただいた人たちの記憶に竹の会が消えた後も残っていただければもうそれでいいのか、と思います。
今はお預かりしている子たちをとにかく仕上げられればと思うばかりです。