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🔛完全な解答を書くなどゆめゆめ思うな‼️

2023.11.27

🔛完全な解答を書くなどゆめゆめ思うな‼️
 いい参考書というのは、決して網羅的なものではない。ある視点から1本筋を通して書いてあるもの、そういうものが、脳にはいい。完全とか、絶対とか、網羅とか、脳が嫌悪することが、明らかな参考書は避けた方が無難である。
 勉強するというときも、完璧にやる、などとはゆめゆめ思うこと勿れ❗️
 勉強は、絶対的なものではない。相対的なものだ。
 思考停止させるもの
 意味のない記述、脈絡のない単語の羅列、羅列された知識
 こういうのをただ覚えろ❗️というのは、相当きつい。
 そういうものの対処法は、語呂合わせではなかろうか。
 そういうわたしも、大学入試では、語呂合わせで凌いだ科目もある。
 例えば、英単語は、語呂合わせで、約1万語覚えた。かけた期間は3か月。
 具体的には、読み方を漢字に当てはめて、意味と語呂合わせした。
 わかりやすい喩えで、説明すれば、kennel「犬小屋」なら、[犬寝る]→[犬小屋]のように語呂で合わせていく。
 単語によっては、語呂合わせが、無理、思いつかないというのもある。むしろ、語呂合わせが増えていくと、そうなる。そのときは、接頭語や接尾語を除外して、核なる部分のみを語呂にしたり、ととにかく苦肉の策を弄した。
 旧帝大の英語は、90%が「和訳問題」であり、10%が、「英作文」であったから、単語さえわかればなんとかなると思った。

 文法はやらなかった。もっとも原仙作の「英文標準問題精講」で、構文や熟語の重要なものは、ほとんど学んだと思う。原仙作の英標は、50回は回した。
 わたしの大学受験の勉強の基本的な方法は、各科目に参考書1冊決めて、それを20回〜50回回すというものだった。赤鉛筆と青鉛筆が道具だった。線は定規を使った。例えば、日本史は「山川用語」、世界史も「山川用語集」1冊のみ。20回以上回した。用語集に関しては,ボールペンで覚えたら、塗り潰していった。
 国語は、「古語2000」というのを語呂合わせで覚えようとしたが、時間不足で、放棄した。漢文は、無名の小さな参考書を買ったが、結局読まなかった。

 わたしは、現代文が、得意だった。高校3年のときの全県模試で、国語は、3位だった。これだけは、何も勉強もしないのに、いつもよかった。何がよかったのか。
 後々考えて、心当たりがあることはあった。 
 高校1年、2年の頃、学校から帰ると、現代国語の教科書の一単元を声を出して読んだ。同じ単元は、一回の音読で、10回は繰り返した。最初は、辿々しく、2回目、3回目と繰り返すうちに、次第に速くなった。9回目あたりから、超速の同時通訳のように、読みながら意味が頭に吸取り紙のように吸い込まれていくのがわかった。いわゆるランナーズハイのような状態だったと思う。
 わたしの音読は、10回目あたりになると、超速で読めるようになることでした。わたしはこれをほぼ毎日日課としたのです。時間にして、1時間はかからない。
 後に、原仙作の英語標準問題精講も同様のやり方で、超速音読しました。英文が同時通訳されたのはもちろんです。
 さて、ここで賢明なる皆さんはもうお気づきでしょう。
 わたしは国語現代文の超速音読で、同時通訳と申しました。日本語なのに通訳が必要なの?と「腑に落ちない」感が過った方はいませんでしたか。
 そうなんです、古文もそうなんですが、現代文も、わたしたちの深層には、きっと「どうせ日本語なんだろ」という舐めた気持ちが、あるのではないでしょうか。これは、もうはっきりと外国語なんだと考えた方がよろしいと思います。普段私たちが使う日本語とは明らかに違うものです。現代文は、見たことがないか、馴染みのない抽象語、抽象表現で、具体的なものをオブラートした文です。もっと簡単に言えよ、と言いたくなる気持ちはわかります。人間の頭というのは、意味のあることしか受け付けないようにできています。また、人間の頭というのは、慣れによって受け入れる機能が備わってもいます。抽象語のある文が頭に入らないのは、意味がわからんからです。わたしたちには、抽象語は異国の言葉なんです。
 抽象語の理解
 例えば、「平和」という抽象語は、戦争のない状態、人々が笑いながら、悲しみながら、日常を楽しむ風景、こんなイメージですよね。そこで、これを「鳩」という具体的なものに置き換えて、平和をイメージする。こういう操作を象徴化するといいます。鳩は平和の象徴というわけです。
 これは現代文の中の異国語、つまり抽象語を翻訳するときのヒントを与えている。
 まず具体的なものに置き換えてイメージする、ことです。
 ここでは、具体的なものに置き換えること、抽象語はイメージで理解するということ、この2つのことが含まれています。
 例えば、「形而上学」という抽象語が出てきたら、ソクラテスの像でも、なにやら分厚い哲学書なんかをイメージすればいいのです。
 抽象語というのは、言葉では、語り尽くせない、本当に非具体的な内容の総体を捉えています。だからイメージすることで捉えるのです。抽象語を人に説明するのは至難ですよね。

 あなたたちがもし現代文の読解で苦しんでいるとしたら,それは抽象語が理解できないからです。現代文は日常語に訳することが前提となる異国語とはなから思ってかかることです。

 

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