2020.10.15
●算数は国語読解の特殊分野である!
算数ができないのを算数が苦手だから、つまり理系は苦手だからと思っている人が多いのかもしれません。しかし、算数というのは、数学とは、明らかに違います。もちろん数学にしても基底には国語読解があるのかと思いますが、算数というのは、結局国語読解の問題だと思います。もちろん算数には算数の知恵の働かせ方があることは確かです。しかし、それとしても算数は問題を読み解く力なのだと思います。もっと言えば、問題に示される事実の読み取りの問題と言えます。算数ができない人というのは、この問題に示された事実の意味するところを深いところで、把握できない、ということなのです。事実の意味は深い。受検、受験で求められている能力が、このような事実の深層にある意味を、読み取ることだとしたら、これはかなりの能力を求めていることになる。また、都立中高一貫校対策として、特別の対策は、特に必要はないことにもなる。ただ適性検査問題というのはある程度経験していた方がいい、といった程度のものである。どういうものか知っておく必要はある、ただそれだけである。大手塾が喧しく小石川対策コースとか、桜修館専門塾とか、騒ぎ立てているのは、何をバカなことを言っているのか、としか私には見えない。
ただ受験にしても適性検査試験にしても、問われていること、したがって求められていることは、事実の深層を、読み解く能力である。
2009早稲田第2回 竹の会「2010算数」所収
太郎は家からA地点まで自転車で往復しました。行きは65分40秒かかり、帰りは64分20秒かかりました。家からA地点までは平地が合計8kmあり、他は坂道です。太郎は、平地では分速320m、上り坂では分速240m、下り坂では分速400mの速さで走りました。太郎の父は、太郎が出発してから20分後に車でA地点に向かって家を出発し、ちょうど中間地点で太郎を追い抜きました。家から中間地点までに下り坂はなく、車は時速40kmの一定の速さで走っていました。
(1) 行きでは、上り坂と下り坂の合計を比べると、どちらが何km長いです
(2) 行きでは、上り坂は合計何kmありますか。
(3) 家から中間地点までに、上り坂は合計何kmありますか。
さて、わたしは、受験も適性受検もその対策の本質は変わらないと申し上げました。要は、与えられた問題の国語的意味を読み解く、それだけのことです。読み解くとは、事実を深いところまで掘り下げて把握することです。
あなたたちは、上の問題を読んでそこからその言葉の裏に隠された、つまり語られない事実を読み取らなければなりません。
わたしは算数は苦手だからと問題をろくに読みもしないで、放り出す人がいますが、いやこれは算数の問題ではありませんよ。むしろ国語の読解の問題とわたしは思うのですが。
算数ではよく「差」に目をつけろ!などと言います。差が何を語っているのか、そこを読み解いていくのです。さて、(1)の問題は、その「差」について、考えなさいと言っていますから、まさに問題を解くヒント問題です。
行きが65分40秒で帰りが64分20秒だから、行きの方が時間がかかっている。つまり、これは行きの方が上り坂が多いということです。ここは読み取れますか。これには深い意味が隠されています。行きの上り坂は帰りは下り坂になるということです。行きの上り坂の多い部分を除けば、行きの上り坂は帰りは下り坂に、行きの下り坂は帰りは上り坂になりますから、行きと帰りにかかる時間ば同じです。つまり、差の80秒は、行きの多い部分の上り坂から出たのだということです。さらに、上り坂と下り坂の速さの比は240:400、つまり3:5ですから、時間の比は5:3です。これだけが算数特有の問題です。つまり、多い部分の上り坂と下り坂の比の差が80秒です。ほら、もう解決の糸口が見えてきた。
ここのところはわかりにくかったですか。もし行きの上り坂が、100mで下り坂が100mなら時間の差は出てこないでしょ。行きの上り坂が100mで下り坂が80mなら、帰りは、下り坂が100mで上り坂が80mだから、時間に差が出るでしょ。
いいですか、算数と言いますが、やってることは、国語の読解なんです。問題の文言からその文言に隠されたというか、具体的には語られていない深い事実のところを正確に、いや比較的な意味を読み取ることなんです。
この事実の読み取り、深層の事実の読み取りは、適性も受験も差はないとわたしは言っているのです。大手やその熱烈な心棒者である親たちが、あたかも適性には適性特有の対策があるかのように信じているのは、わたしには愚かにしか見えません。わたしから見れは笑止千万です。大手は、小石川対策コースとか、桜修館専門塾とか、志望校別に対策が違うのが当然のような商売をやっていますが、そして親たちは子どもも競ってそういう商法に飛びついていますが、違うでしょ。
それからわたしの算数の解き方は、子どもたちに予め浸透させたミクロマクロの視点を使います。上の問題について出回っている解き方に、単位時速あたり何メートルの差があるかという考え方からアプローチしているものがありましたが、もしこの解法を唯一として、大手や市販解答を読んだ子たちが、学んでいるとしたら、なんとも哀れです。大手のだめなところは、自分たちの示した解答が、「これしかない」という高圧的な、権威的な提示の仕方をすることにあります。大手だからとか、声の教育社のような権威ある出版社の解答だからとかで、「これしかない」と勉強することです。これは、算数がただの国語の読解だとしたら、なんともバカらしい話しです。
わたしなどは解法はいつも変わっています。よりシンプルにより簡単にをモットーとしてますから、読解の仕方によって、深層事実のさらなる真実に気づくこともよくあることです。
このように算数は国語読解をも磨くのです。
竹の会は、算数の真実に早くから気づき、適性試験の本質を見ぬいた上で、算数を通して、深層事実を読み取る訓練をしているのです。
ちなみに上の問題は、竹の会の「2010算数」の中にある問題です。この「2010算数」をやり遂げた者は過去に数えるほどしかいません。今年の小石川合格者もこれを終わらせています。過去には、平成25年に桜修館に合格した男子は、ほとんどこれしかやってない、しかも終わらせないままに直前に退塾した。わたしは後々考えて彼を合格させたのがこの「2010算数」だと確信したものです。
ただし、親などからのヒントを含む一切の助言なしに問題に取り組んでの話しです。そうでなければ深層事実を読み取る力などつくはずがない。
わたしは深層事実を悟る子どもに育てたい、そう思っているだけです。
今日はここまでにしておきます。