2022.11.26
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算数は知能のバロメーター
算数の才がそれほどでもないから、伸びないのだ‼️
すべての原因は、算数の才にあったことは知っている。そういえば最近「これっ」という子に出会わなくなった。普通に解けない、そういう子が増えてきた。入会試験を緩くしたのは失敗だった。能力的になんらかの屈託を抱えた子たち、ばかりとなった。親が家庭学習に目が届かない、と目も当てられないが、親が何かと見てやっても「そこまで」という子もいる。
残念ながら、都立中は、群を抜いた才能がなければ、そもそも無理である。わたしの算数レジュメが解けない、これではダメである。適性レジュメに太刀打ちできない、そういう子は受検は最初から無理である。
猫も杓子も都立をめざしてもどうにもならない。
算数レジュメが、ちょっと難しいと解けない。このレベルではダメなのだ。説明してわかる、これではダメなのだ。えっ、解けたの、私を驚かせた子たち、そういう子たちが確かにいた。いつも私を驚かせた子たちがいた。私の勝負レジュメは、いつも解き切った。 ここ何年か、そういう子たちが消えた。真の才能を見なくなった。
失望が普通になったかな。相変わらず、ちょっと普通と違うと、正直に「解けない」という子ばかりになった。これではダメなんだ。合格する子ならみんな解ける、そういう問題を落とす。これはダメなのだ。希望的観測は必ず裏切られることになっている。実力は嘘をつかない。普段解けない子が受かることはないのだ。普段のレジュメできちんと合格を積み重ねる、そういう子しか受からない。これが偽りのない事実である。
算数を極めた子が受かる。令和3年桜修館に受かった子たちの算数のレベルはどうだったか。一人は、「2010算数」「推論算数」「規則性の研究」を終わらせている。もう一人は、「2010算数」をできなかったことのほうが多いかな。それまでは「新速解」をやっていた。一人だけいた女子は、「新速解」まで。この女子は、Z会から来た子でした。算数は出遅れましたね。しかし、私の勝負レジュメを合格ハンコをとりながら、進めていった。つまり、算数はそこまで行かなくても、適性はきちんと解ける子がいるのですね。正解できない子は、やはり受からないですね。
なぜ解けないのかな?
これにはどうも国語の読み取りの力が大きく影響しているように思います。算数がそれほど才能があると思えない。しかし、国語の読み取りが正確なんですね。私の書いた「読解の素」というレジュメがあるのですが、評論文に私がオリジナルの設問を創作したものです。このレジュメをほぼ80〜90%の正解率でしたね。こういう子は適性問題に強いですね。算数だって理解力が素晴らしかったと思います。私の説明を99%吸収したと思います。読解というか、生まれついての読み取り能力なんですかね。こういう子を「頭がいい」「賢い」と言うんですね。
こう書いてきますと、いわゆる小6ショックというのも、ある仮説が成り立ちますね。国語の読解力が劣る子は、算数ができても、小6で伸び止めになる可能性が強いということです。
算数の能力が高い子には不思議と国語のできない子というのがいました。まず語彙が少ない、というのが決定的でしたね。本というものをまともに読んできたことがない。そう感じました。要するに、読み慣れていない。だから国語の読み方というか、本当に基本的な「係り」さえもわからない。そのレベルなんですね。主語と述語の対応さえも曖昧、つまり、国語の語彙に鈍感、無神経すぎる、わけです。もう少し神経質に言葉にこだわってほしい。そうなのだ、言葉にこだわりがない。それで常識的な語彙もない。だから文章は、黒塗りというか、虫食いだらけの文章なんじゃないかな、と思う。言葉を知らない、そのレベルだから、言葉を知っていて、論理的にわからない、というのとは違う、
それから、私は本を読むのが好きという子がたまにいるが、算数の割合を結局理解できないほどの知能という子がいた。国語の読解はある程度できるのに、算数が全くダメという子である。これはこれでやはりダメなわけです。算数の才がないというのは、知能の問題なんですね。算数どころか、計算もなかなかままならない。そういう子はさらに知能に問題ありということになります。少なくとも計算は抽象的とはいえ、単純思考、定型思考の最たるものですから、やはり知能に関わる。国語がダメというのとは違うわけです。こちらは語学ですからね。知能は関係ないんです。語彙の多寡の問題なだけです。国語がダメな子というのは、要するに、国語にかけた時間が絶対的に少ない、それだけのことなんです。しかも、語学というのは、つまり、語彙の勉強というのは、毎日少しずつでもいいから継続することが大切なんです。ある日だけ何時間もやるとか、そういうことではダメなんです。毎日30分休まず続ける、それが大切なんです。だから頭はいらない、強い意志、必要なのは、それだけです。
整理してみます。まず、算数というのは、知能の科目です。算数の正解率がそのまま知能に比例しています。これに対して、国語というのは、幼いときからどれだけ毎日語彙にかかわってきたか、そういう問題なのです。こつこつ漢字を覚えるとか、漢検の勉強をするとか、国語の教科書を毎日30分音読するとか、小説を読むとか、新聞を読むとか、要は、どれだ語彙にかかわってきたか、そういうことなのです。めんどうくさいからやらない、語彙とかかわらない、そうすれば必然国語の力は幼いままです。算数を学ぶとき、計算から遅々として進まないという子がいます。計算はあきらめないでこつこつと練習すればいずれはできるようになるとは思いますが、計算で時間がかかるのはやはり知能的には問題があるということです。それから算数というのは、知能をそのまま反映しています。知能の高い子とそうでない子の差が歴然と現れる、それが算数なんです。これはもう努力云々の問題ではない。もって生まれた才能なんです。努力してなんとか並みの問題は解けるようになる、そういうレベルの子はたくさんいます。しかし、受検はそういうレベルではだめです。ただし、努力してわかるようになったという子なら高校入試なら内申制度との兼ね合いもあるので望みはあると思います。