2020.08.13
算数指導体系の完成までの苦難に満ちた道程
ここまで算数指導が確立するまで十年の歳月を要した。自分で問題を選別する。良問を、指導目的に図って選んでいく。選別の過程は、およそ次のようなことになろうか。
わたしはもう十五年になろうか、ずっとみくに出版の過去問題集を使ってきた。それまでは、声の教育社の過去問集をずっと使ってきた。
ここでそれぞれの過去問集の長短を比較してみます。
声の教育社(通称赤本)
長所 解説が詳しい。答案用紙付属で、練習できる。5年分前後載っている。
短所 紙が薄いので、裏が透けて見える。読みづらい。これはコピーしたとき、余計なものがコピーされる、ということである。
学校単位に編集されているのは、志望校のを買えば済むので、合理的ではある。
みくにの本(通称「銀本」)
長所 紙が透けていない。全国の問題が全て載っている。
短所 解説はない。答えのみ。何通りか答え方がある時も一例が載っているだけ。略もある。
この点は、実は、わたしのような目的で使う者には、長所となる。そもそもわたしは、他人の解説を読むのが煩わしい。全く白紙の状態で解いて、答えだけ一致していたら、それでいい。竹の会のレジュメの解説はわたしが書く。もちろん全くのオリジナルである。
算数を指導する真の目的は、思考を培うことにある。思考を伸ばすには、算数が一番いい。そう、「伸ばすには」である。算数というのは、知能と確実に表裏の関係にある。だから、「伸ばす」前提となる能力が当然前提とされている。生存競争において生まれながらの能力が大きく影響することは否定できない。天の配剤としてこれは受け入れるしかない。人間が勝手に能力による差別は人道的によくない、それは人間性の否定であると叫んでも、それは建前であり、生存基盤の問題とは関係がない。生存というのは、歴史を、紐解いて見ても、何らかの能力のある人が、「必死」に努力した、そういう人が、歴史の中で、生存競争を勝ち抜いてきた、という本質は何も変わらない。人間が能力の是正をするために、制度をいじっても、制度で、能力のある人を社会の底辺に貶めようとしても、いずれ天分のある人が、上の立つという流れが勝る。
制度と生存の関係については、また別に論じなければならないが、私たちは、生まれながらにして、スタートは平等ではない。
天賦の才は本人ではどうにもならないが、「努力」、「性格」、「精神」などが、生存競争に大きく影響するであろうことは、否定できない。
家庭環境が、生存にマイナスにはたらくか、プラスにはたらくか、という問題は、実はかなり大きな問題である。もちろんどちらにもはたらくから問題なのである。親の学歴、職業によって子どもの育て方も大きく変わってくる。ただ過保護というのは、どのような親もが具有しうるものである。大卒の親も過保護な親はたくさんいるし、高卒の親も同じだろう。主観であるが、大卒の親ほど甘いということはあるのかも。
とにかくそういう諸々の要因を背景に、わたしは、子どもと相対することになる。
だから、ダメな理由はいくらでもある。指導の壁は、本人には、能力の壁となる、であろう。
能力のある者を伸ばす、これが、塾にできることであり、能力のない者が伸びることはまずない。
性格と能力の関係は、また一つの問題である。真面目に勉強に取り組むという姿勢のある子、これは性格と言ってもいい、そういう子が夢中で勉強して、伸びるのか、という問題である。これは能力の程度にもよると思う。一般的には、伸びない。ただこれも単純ではなく、中学受験ならダメだが、高校受験なら「伸びる」かもしれない。いや実際、小学の頃は、パッとしなかった子が中学になってましになったということはある。ましになったのであり、めちゃくちゃに伸びたというわけではない。高校入試というのは、特に、都立高校の受験は、単純ではない。小学の頃に、能力が原因で伸びなかった子が中学になって伸びるということは、少なくとも積極的な形ではない。消極的に、努力を怠らなかったことが、結果に結びつくことがあるだけである。公立中学というのは、まともに勉強する者は2割ほどで、8割は勉強しない。たいていは部活三昧であるが、部活もやる気のない、ただの怠け者もいる。そういう中で、小学で伸びなかった子が努力の結果、頭角を表すということはありうるのである。ただ公立中学というのは、特に、東京は、都立受験には、内申という悪い制度がある。能力は高いのに、共感性がないために、つまりは教師に媚びることができないために、内申が低いという子ならいくらでもいた。特に、男子はその傾向が強く、したがって女子に比べて内申が低いのが普通である。たとえ9科目90点以上とっても内申「3」ばかりというのを何度も見てきた。ところが女子なら80点でも「5」をくれる。内申というのは、普段から努力して高得点を取っても保障されないのだ。定期テストの点数がそのまま反映されないのだ。アホらしい。
小学でいかにして伸ばすか。算数を手段として、思考力を鍛える。それとして、如何なる指導術が最も効果的か。これはわたしのライフワークであった。ただ繰り返すが、「伸ばす」前提として、伸びるだけの伸び代が必要である。つまり、伸びるだけの、潜在的にも、顕在的にも、能力のあることが前提である。
これは、一例である。彼女は、小6の10月に竹の会にきた。受検目的ではない。例によって、計算からスタート。割合へと進める。この時、竹の会のあのミクロマクロ法を教える。彼女は、これまで学校でも塾でも教えられたこともない、この方法に驚嘆した。もっと早く誰かがこんな方法があるならあると教えて欲しかったと言った。彼女は竹の会の算数の思考方法を学んだ。そして中学生になった。高校受験は竹の会の看板である。彼女は、女子の利も手伝ったのかどうか、三年間9科目オール5という快挙を記録した。定期テストの点数は、95点前後、100点というのも何回かあったかな。だから、オール5には根拠はあったのだ。
ただ中3になってから部活に追われ、竹の会のノルマを完璧にこなすことはなくなった。内申だけ日比谷OKだった。だから推薦なら「あり」だった。が、日比谷の実力はなく、少なくとも一般受験は無理と判断した。だから青山の推薦にした。でも落ちた。彼女の心がどれだけ折れたかわたしには手にとるようにわかった。だからわたしの胸は痛んだ。一般的に、たとえ内申が高くても一般受験で受かる実力というのはない子が多い。彼女もその例外ではなかった。だが、彼女は、青山の一般受験の心はかわらなかった。駒場なら楽勝だけどその気はなかった。わたしはとことん付き合う心を決めた。だからとにかく竹の会にずっと出るように手配した。竹の会の使える時間の全てを使って絶対に彼女を受からせる、わたしはそう決意したのだ。なかなか点の取れなかった理社を9割台に乗せること、そのためにわたしはわたしの経験の限りを尽くして指導した。 都立過去問による実践テストチェックは毎回の指導で執拗に続けた。わたしの指導は生徒から「確かにできる」という証しを取り続けること、これに尽きる。わたしは、この方法によって当日取る点数までほぼ正確に予測できた。もちろん定期テスト、通知表、全ての模試の結果は、完全に把握していなければ、効果的な指示は出せない。幸い彼女は入会した時からそういうものを全て包み隠さずわたしに提出、報告してくれた。もちろんこれには、親御さんの強い信念があってのことだったと思う。おかげでわたしは彼女の成績の全貌をつかんでいたのだ。だからこそ彼女に最もフィットする方法を打ち出すことができた。さらに彼女がいつも指導室に来てなんでも気軽に話してくれたことも大きい。彼女は竹の会の全ての子たちから慕われ、みんなから愛された。本番直前一週間、わたしは「もう、大丈夫だ」、「いける」と確信した。本番は、問題の難易度が上がった年だった。本来なら、予想より高得点を取っていたはずだ。しかし、わたしの予想点通りの点数は取れた。発表の日、わたしは彼女の受験番号を胸に早朝都立青山の掲示板を待った。もう彼女の悲しむ顔は見たくない。涙なんか見たくない。ガラガラと教員によって掲示板が運ばれてくる。一斉に生徒たちが、親たちが群がる。「ない」と叫ぶ女子の声が響く。わたしはその声に緊張する。必死に番号を探す。群がる人で前が見えない。それでも見る。「あった」!わたしは何度もなん度も見返して確認する。「終わった」、「よかった」、わたしは帰途に着こうとする。その時、彼女がわたしを見つけ、お母さんと駆けつける。お母さんは泣いていた。
これでわたしの仕事は終わった。小6の終わり頃からずっと彼女の成長を見てきた。思えばいろいろ思い出が浮かんでは消えていく。これで終わりだ。よかったね、いよいよさようならのときだ。これがわたしの仕事だから。
指導が成功するためには、いろいろと満たさなければならない条件がある。その一つがもともとある能力であることは間違いない。しかし、それだけではない。何よりも大切なこと、それは勉強を必死に思う心、その心の素直さである。受検というのは、素直な心の人にのみ開かれた道である。素直さに欠けるとは、見せかける、嘘をつく、騙す、他人を蔑める、などおよそらしからぬ駆け引きをする人のことである。
今のわたしは、算数指導術において、過去にない域に達しているのではなかろうか。本格的に、算数を研究対象として、研究を始めたのは、平成20年前後ではなかったかと思う。それまでも中学受験の指導のために、過去問を解いてきたということはある。首都圏の名だたる学校の過去問は解き尽くしたと思う。が、その解き方は、図をかいて解くという基本スタイルは変わらないものの、どうしても数学的なアプローチをすることが多かった。算数を算数として解くということにこだわりはなかった。
わたしが真に算数に開眼したのは、都立中高一貫校の受検生を指導することになった時からである。あまりにもの公立小の子たちの学力の低さを知ったことがきっかけであった。計算がまともにできない、割合を理解する者などほとんどいない、学校の優等生と言われる子たちでさえ、割合のベタな問題をようやく解ける程度であった。これはいけない、わたしの指導の原点はそこにあったと思う。計算力をつける、割合の概念構造を頭の中に組み込む、こういうことをまず考えた。そしてそのための具体的方法を考えてきた。考えては子どもたちに試す、そういうことを何年も続けた。割合指導の方法を完成させてから、わたしは算数学そのものを研究対象とした。これまでのように過去問を解きまくるということではなく、一問一問について、算数的な解法を考えた。わたしは、これが算数だ、という解法の発見にこだわった。先述のように、過去問の資料については、みくにの本のお世話になった。算数は、2004年の過去問題集から使っている。それまでは、ずっと声の教育社のものを使ってきた。紙が透けて裏の文字が写り、読みにくい。解説はそれなりに詳しいが、わたしは他人の解説は読まない。頭の悪い人の文を読むのが苦痛なのだ。解説というのは、読んだ瞬間に頭に全体像がスッと入ってくるものでなければならない。回りくどい説明は頭の悪い人間のやることだ。
それで竹の会では、すべての解説、解法が、わたしのオリジナルだ。
竹の会の今の指導技術は、最高レベルにある、と思います。今の竹の会に出逢った子たちは本当にラッキーだと思います。
よく大手塾に一年、二年いた子たちが、竹の会に何かの縁で来ることがあります。中には、なかなかの理解力を持った、かつ真面目な子というのがいます。そういう子たちが、竹の会の指導を経験して、感動し、大手で一年、二年も通って勉強してきたのに、自分たちの力が竹の会のレベルに遠く及ばないことを悟るとともに、なぜもっと早く竹の会に来なかったのか、と思う場面をよく目撃してきました。
残念ながら、竹の会には、そういう親子が多かった。今でこそ、早くから竹の会に来る人たちも増えてきたけれど、それでもやはり遅い子がそれなりいる。
竹の会を知らないのは仕方ない。竹の会は渋谷駅から徒歩で10分ほどのところにあります。小さな塾です。ですから大手のように宣伝もありません。ほとんどの皆さんがわたしの「草枕」を読んで半信半疑で来る。だから知らないのは仕方ない。しかし、実は、早くから知っていたけど、結局大手に行き、それから竹の会にやってくる、そういう人が意外と多いのです。そういう親子が遅くに来たことを悔やむという姿をわたしはどれほど見てきたことか。それほどに竹の会の指導は衝撃的であったようです。他塾とは全然違う、その質の高さに、驚くとともに後悔が湧き起こる、こういうことなのかなと思います。
竹の会は、塾です。世の中に蔓延る塾とは一線を画します。竹の会を卒業された親御さん方からよく「本物の塾が少ない中、竹の会は本物の塾でした」という感想をいただいてきましたが、竹の会は本物の塾を理念として掲げてまいりました。本物の塾とは何か。決して、形ではない。竹の会には、授業、お仕着せのテキスト、講師などというものはない。よく「要するに、公文と同じですね」と言う親がいる。そういうことを言う親は、入る気はないな、とわかっているので、「そうですね」と答えることにしている。「考えろと言うけれど、わからないときは質問できるのですか」とかいう質問などは、どうもまず竹の会の「指導」という概念を「草枕」でしっかりと勉強してから、質問してほしいと思う。これまでの塾のスタイルを前提にそれに当てはめようとしての質問には正直説明は困難で、既存の塾のスタイルから抜けられない人には竹の会は理解できないであろう。そういう人がたまに竹の会に紛れ込んでもすぐいなくなることになっている。
竹の会の入会時期について
小3月が適切と思う。
頭のついてくる子なら、小2の夏からでもやれる。
小4では、正直遅い。
だから、小3までに来てください。