2023.06.17
🟡自称進学校考から学ぶ正しい方法の選択
ある本で、自称進学校という言葉を目にした。自称というのだから客観的には進学校とは言えないが、自ら進学校を名乗る学校ということなのか。自称進学校は地方の高校であることが多いらしい。さて自称でも進学校を名乗るのならそれなりの進学実績はなければならないであろうが、どの程度なら自称とされるのか、具体的な数字は示されてはいない。
自称進学校の特長というのが挙げられていた。
わたしも地方の一応進学校と言われたところの出身である。その当時、大分県では、御三家と言われていたが、わたしの高校は東大も2、3人で、多いときで、7人という程度,決して進学校とは言えないのかなとも思う。国立大では九大には30人ほど受かっていた。あと北大、東北大、東工大,一橋大、大阪大、広島大、神戸大、京大,岡山大など全国に散らばっていた。とにかく国立大だけで100人は越していたと思う。これを進学校と言っていいのか,わからない。例えば御三家のトップ、上野丘は東大40人前後出していたし、二番手の舞鶴も20人以上出していて。わたしの高校が一番ひどかった。やがて合同選抜制が敷かれると凡庸な田舎の学校へと変じてしまう。自称進学校にもなっていないのではないか。ただし,合同選抜制度が廃止された後,県立上野丘の躍進は復活しつつある。
わたしの高校がどうも自称進学校に近いのかなと思ってしまう。その特長とされる「自分たちのやり方だけで受かる」ということは、明言はしなかったが、その口吻はあっただろう。その特長の「偽りの神話」はあったか。確か、入学式の後の全員集会で、そう言ったものが語られた。また、授業中教師はよく伝説的な先輩の武勇伝を話題にしたものだ。
「カリキュラム」はどうか。そんなもの配られたことはない。「塾否定」? 塾そのものがなかった。
「意味のない課題を大量に、課す? そういう記憶はない。
1年のとき、英語の分厚い文法書を渡されて、範囲を区切られて、土曜日はテスト。忘れたけど、何か色々副読本はもらったかもしれない。とにかく数学、英語、地理、日本史など,副読本とプリントの嵐であったように記憶している。特に,プリントは毎回大量に配られた。一日休めばもうプリントは欠けたままだ。風邪で一週間休めば大量のプリントがもらえないままになる。後から「もらっていない」と申し出ても「もうないよ」と終わりだった。まったくやる気をなくすのが進学校なのかもしれない。友達がすべての授業でプリントをもらってくれることはない。進学校というのは、そういうところだ。脱落者には目もくれない。また手を貸してやろうなどと思う奴はいない。親身に心配してくれる奴、そんな奴はいない。生存競争の真っ只中にいる。そんな感じだ。だから長く付き合う友達なんていない。みな最後は自分のこと、自分の始末に追われている。わたしのクラスは50人以上いたのかな。修学旅行もない学校だった。クラスは12クラスあったのかな。とにかく一学年605人というのは覚えているから、12クラスなのだろう。わたしのクラスでは、最高の国立が熊本大だった。わたしは落ちこぼれで、クラスでは価値なしというか、無害扱いだったのだろうか。結局、独学して、九州大学に行ったから、クラスでは一番いいところに進んだことになってはいる。こういうわたしも中学時代は秀才として認められ、高校入学時は上位の席次にあった。あの学校が、自称進学校だったとは思わない。ただ進学校の級友なんてクソだ。わたしはわけもわからず進学校に放り込まれて、自分が何なのかも、わからなかった。毎日学校で何をしているのか、させられているのかも、わからなかった。いきなり英語のこれまで見たこともない分厚い参考書を与えられ、これをやれ、と言われて、正直何をさせられているのか、わからなかった。後年、独学で、数学を読み解き、英語という科目と真摯に向き合って、古典を紐解き、漢文を読み、生物の教科書を初めて真面目に読み、日本史を精読し、世界史を精読し、初めて自分の居場所、位置をここと知ることができたとき、わたしは、ようやく私を覆っていた霧が晴れていくのを感じた。自分の足がしっかりと大地についていることを実感した。全体の中の自分の位置を知ることができた。今まで茫漠としていた大学という制度、社会というものの成り立ち、世間というもの、そういうものがどういうものか見えてきた。
わたしがもがいていたのは、わけのわからない勉強をいきなり突きつけられて、何をしているのか、わからない、見よう見まねで何かとにかくしていた。意味もわからず、何をしなければならないのか、何のために何をしているのか、そういうこは一切教えてくれないで、とにかく単語を覚えろ、微分しろ、積分しろ、わたしは何をさせられているのか、わけがわからなかった。自分で考え,自分で学問をするようになって,ようやく周りを見ることができたのだと思う。
数学がわからない、英語がわからない、そういう子の気持ちがわたしにはよくわかる。全体が見えない。わからないという状態のもどかしさ、わたしは、そういうもや、先の見通しの利かない鬱蒼感、そういったものが子どもたちの脳の小宇宙に張り付いている感覚が理解できる。さて、どうしたらいいのか、そういう問いの中から子どもたちの指導に常に今のやり方でいいのかを、問いかけ、新たな指導を試み、子どもたちのもやを晴らしてきた、竹の会の38年は、受験を終わると、それまでの至らなさ、なぜを問う、そして新たな指導の構想、この繰り返しであった。幸運なことにいつもわたしの心を捉える何かが突如として現れ、わたしはそれに救われてきた。それは失敗だったこともあり、思わぬ暁光だったこともあった。そういう積み重ねを何年も重ねながら、わたしは理想の指導の形というものを煮詰めて行ったのだと思う。
わたしは、わからないという子の脳の状態がいろいろな段階にあることを知っている。適切な道案内さえしてやれば前へ進められる子、少なくともそういう子しかわたしの指導の恩恵は受けられないのではないか、そのことはわたしの変わらぬ確信であった。今の小学校には発達障害とされる子が7%いると言われる。しかし,わたしの指導の実際からそんな数字ではない気がする。また発達障害はともかく,子どもの発達段階は一様ではなくものごとを理解することが困難な子はいくらでもいるように思う。
竹の会で指導可能な子というのは,やはり入会試験あるいは入会時能力審査試験が的確にその子の脳段階を示唆している。過去入会試験が外れたのは一例のみである。合格点なのに指導困難。これはその原因が未解明のままである。そして入会試験合格なら指導順調,0点だと指導は困難を極める、そのことは明確である。
自称進学校の特長に「補講」がある。しかし,わたしの出身校にはない。
「課外授業」はどうか。夏休みは1週間だけ、毎日6コマの授業、これを課外授業と呼ぶならそうなのだろう。覚えているのは、夏休み、エアコンもない暑い教室で、古典、英文解釈と連日うんざりしながら課外授業を受けて,地獄の苦痛の記憶だった。修学旅行がないのも酷い話しであったが、進学校の級友が心から信頼できないとして,果たして修学旅行が愉しかったのかどうか,わからない。
そて,自称ではなく真正進学校の話し。ここでは開成高校を頭に浮かべてもらえばいいのかと思います。
進学校の勉強は、先取り学習こそ生命線ではないかと思います。大学受験の科目数だけのやるべき参考書の量を考えれば早く始めて前倒しで進める、これが受験成功の秘訣ということになりましょうか。ちなみに開成高校や筑駒の生徒は学校から受験受験という束縛もなく、特に受験のための指導もないということです。先生はむしろ受験に無関心というか、自主的にやるものがやる、そういうことらしいです。
ところでなぜ早く始めるのか、なぜ前倒しでやるのか、ということですが、これははっきりしています。受験勉強は、ゴールがどこかわからない試験だからです。
目的地の見えない試験だからです。どれだけ勉強したらゴールなのか,最初からわからないのが受験ということです。ですから、最初からのんびりとやるとか、それどころか、習い事や稽古事に時間を自由に使うとか、旅行・レジャーに時間を割くとか、そういうことがどれだけリスクのある行動なのか、わたしにはそういうことを平気でやる人の心情が理解できないのです。なぜって、受験はゴールがわからないからです。だから最初からとにかく全力疾走から始めるのが当然なのです。
ゴールが見えている試験なら、ゴールの目安があるから、適当に手を抜くこともできるのかもしれません。しかし、受験というのは、多くの親や子が考えているように、これだけやれば受かるという目安などはないのです。どれだけやっても不安は変わらない。それなのに受験勉強を中断して,他のことにかまける余裕を示す親子の行動がわたしにはわからない。
ゴールの見えない試験に勝つ方法はただ一つしかない。とにかく最初から全力疾走しかない。勉強するかしないかの葛藤はない。勉強するとは、行動である。そこは考えないでまず行動するのが勉強である。