2018.08.04
おはようございます。8月は、駆け足で終わる。炎暑と台風が8月の顔ですが、この8月という月が、9月以降の加速と失速の分岐点を支配する、これは経験が教える、紛れもない真理です。竹の会の子どもたち、生徒の中から、1日10時間以上を毎日やりましたという猛者が出ることを願っています。勉強しないからできないのです。この簡単な原理が理解できない親子のなんと多いことか。
🔴模試の結果が、あなたたちの実力の赤裸々な真実を映し出していることだけは、知っておいたほうががいい
早稲田の模試で、100点未満というのは、限りなく、合格からは、遠い。それは、これまでの、あなたたちの勉強量が絶対的に足りないか、能力が及ばないか、のどちらかである。 実際、模試で点が、取れていない子というのは、課題を規則正しく出してこなかったとか、指示されたレジュメを放置していたとか、レジュメをやるのが塾に来た時だけだったとか、レジュメの進捗が甚だよろしくなかったとか、そんなこんなで、わたしの想定した、期待どおりの勉強をしてこなかったという子たちであったということなのだろうと思います。 わたしの思い描くように進められていない子たちが、習い事、稽古事、その他で、忙しいため、そのような仕儀にいたったというのであれば、それは自ら意図した結果であり、それぞれの家庭の見識であり、わたしなどの容喙することではありません。それはそういう家庭、子の明確な選択の結果だということですから。わたしは、勿論落胆はしますが、それは模試の結果というよりも、わたしの思うような、勉強をしてくれていない、ということにです。 レジュメで合格ハンコを取っているとしても、模試の結果が、悪いなら、わたしは、あなたたちが、ほんとうに自分で解いていないのだ、という判断をする、しかないのです。レジュメの出し方が、教室で、一枚やっては判断を仰ぐというものではなくて、家庭でやってきてまとめて出すというかたち、これで合格ハンコなら、わたしは信じない。 受験、受検の世界では、「はずだ」という根拠は、必ず裏切られる、というのが、わたしの経験で得た信念である。この子が家庭で時間をかけて考えて解いてきた「はずだ」という仮定を根拠にすることはできない。かつて、そういう子たちがいた。そして、間違いなく、落ちた。わたしが問い糺すと、「親にヒントをもらうだけで、自分で解いた」と言う。親も似たようなことを言っていた。 竹の会のレジュメが、思考訓練であるということを忘れて、レジュメの答えを出すこと、そして先へ進めること、を目的と勘違いした親子であった。 模試で名前をのせる子は、明らかに違う。まず家庭の勉強に対する重きの置き方が、違います。習い事、稽古事、スポーツ、家庭の事情などを勉強と同等以上に置く家庭の子は、無理です。 何を置いても、勉強を常に最優先する子、家庭が、模試で、結果を出している、 それだけのことです。結果が出せない子は、勉強が、あまりにも遅れている、遅れているのを承知で、家庭の事情を優先するから、遅れるばかりである。自ら、芽を摘む、ことをあえてやっているようにしか、わたしには見えない。
🔵高校受験に成功するために
区立中学で、日比谷、西、国立のトップ都立、戸山、青山、新宿、駒場、小山台などの準トップ都立、まあ、多摩地区の東八王子などは考えないとして、上記の高校に、入れる人は、1校300人として、10校として、3000人、 都立志望者42000人、うち都立合格者31000人、つまり、30000人中の1割、3000人が、上記都立に行けることになる。 区市立中605校、各中学5人として、大雑把で申し訳ないが、例えば、学年30人というとき、1人が駒場、学年160人というとき、戸山1人だけという学校が普通であり、日比谷、西は各校に1人いるかいないか、が普通。つまり、5人というのは、実際は、1人だったり、5人だったり、ということになる。 つまり、あなたたちは、学年で、1番から5番までくらいにいなければ、まともな都立には行けない、ということである。 さて、です。ほとんどの中学生は、部活で、勉強しない、部活で時間を潰し、疲れて、勉強に手がつかない、いつか勉強しなければとは思いつつ、しかし、勉強を先送りしていく、こういうことなのだろうと思います。入学したら、次の年には、2年生、次の年には、3年、もう、高校受験です。 あなたたちが、小学校の6年間、随分と長いと感じたことでしょう。しかし、その感覚で、中学を考えると、高校入試は、気がつけば、すぐそこです。
さて、である。トップ都立をめざすとして、あなたたちは、どのような覚悟が必要か。 まず、高校入試は、3月20日ごろ、高校提出の最終内申が決まるのは、12月、中3の9月から11月は、模擬試験たけなわ、8月までに、高校入試の準備は、ほぼ完成させていなければならない。中3で履修すること、得に、数学、英語は、ほぼ終わらせていなければならないし、理科、社会は、当然、中3になる前に完成させておく必要がある。のんびりやって間に合うのは国語だけでしょ。 さて、こうして、以上の状態にもっていくとして、中2の夏には、中3に入れるのが、理想となる。 つまり、中2の履修事項は、中2の夏に入る前に終わらせていること、すると、中1の履修事項は中1の夏までということになる。さらに、中学1年の履修事項は、遅くとも、小6の2月には、始める必要がある。 さて、それとして、そういうことが、可能なのは、小学時代に、基本的な事項を理解していること、裏から言えば、思考力が、しっかりとできあがっていること、さらに言えば、勉強のスタンスというものが、すでに備わっていること、勉強が習慣として、確立していること、これが、大前提である。 こうして小学から高校入試を目指すということの意味が、明らかになってくる。 よく、高校受験だから、受検をしないから、と勉強スタート時期を、早くて中学に入る前からとか、中には、中2からでは遅いですか、などと訊いてくる親もいるけれど、こういう親は、多分経済的な節約を考えてのことかと思われるが、結局失敗する選択をしていることを悟らない。
高校受験成功の例
① 平成13年都立西合格→慶應大学理工学部 入会 小6 の4月。 あの当時、どのような指導をしたのか、よく覚えていない。何をやったのだろう。高校入試は、竹の会オリジナルテキストの時代、過去問合格法全盛の時代でしたね。彼は天才でした。天才というのは、勉強するということに妥協がない。実行力は折り紙つき。漢検2級は中2の1学期、英検準2級も早かった。覚えているのは、「英語指導案II」を1か月で終わらせたこと、「高校用英文解釈初級」をあっという間に終わらせたこと、とにかくわたしの指示をどんな指示でも、実行したこと、とにかくストレスがなかった。いや驚きと感動と尊敬、これしかなかった。彼は、4が1個、あとはすべて5で西に推薦合格した。彼は、V模擬で都内全受験者中の30番前後をとった人であった。入学してからも、竹の会に通いたい、と頼まれ、通うことになる。数学と英語。英語で覚えているのは、東大教養学部の英語教科書を、二人で訳したことかな。訳本がないので、お互いに訳してきて、彼が訳したのを、わたしの訳で修正した。数学の思い出は、東京出版の「大学への数学」の「新演習」を解いていったことかな。彼は東大理系だったので、彼の質問は、即答出来ずに、考えこんでしまって、いつも苦心惨憺して、ようやく解を出したものだ。彼は、わたしのヒントですぐに理解した。三大予備校の三大模試で、すべて全国順位二十番台を、とった、天才だった。このような天才と、小6の時から高校3年まで、付き合っていただいて、貴重な経験でした。
② 平成20年都立西合格→御茶ノ水女子大 入会 小6 の4月。 高校入試をレジュメで指導した最初の生徒。彼女は、高校受験でわたしが、初めて、レジュメ指導に取り組んだ生徒だった。この時、実は、同学年の、中1からいた男子がいて、彼は、立教新座、桐蔭理数と合格して桐蔭から、東大経済にに合格して進んだ。 彼女は、わたしのレジュメ指導で、豊島岡女子学園に合格、さらに都立西を撃破。彼女は、ほとんど無口で、わたしの指示を黙々とこなした。つまりやはり実行力に卓越していた。集中力も凄かった。漢検2級、英検準2級も中2でとっている。
③ 平成10年早稲田実業高校合格
④ 平成12年青山学院高等部 女子→慶應大学総合政策→毎日新聞社入社
⑤ 昭和62年青山学院高等部 男子。
竹の会は、都立戸山、都立青山、都立新宿、都立駒場、都立小山台などの合格者多数の塾です。
遂に小学生指導に開眼
最初は、割合を理解しない子らとの出会いだった。公立小の優等生にして、割合を深く理解する者は皆無であった。わたしは衝撃を受けた。これまで数学の指導ばかり夢中になってきたが、いつからか、わたしは、この子らを救いたいと思うようになった。なんとかしたいと思った。いろいろ考えた、毎日朝から晩まで考えた。いろいろとレジュメを作った。子どもたちの反応を見てはまた作った。どれだけ作ったろうか。ある時、「先生、ミクロマクロって、よかったです、あれで割合がわかるようになりました」と、算数ができるようになった二人の小学生が言った。わたしは、「えっ」、と反応した。改めて、ミクロマクロのレジュメ原稿を読み返し、これに絞って、創作、執筆に没頭した。もしかしたら、小学生を救えるかも。わたしは書き続けた。竹の会ミクロマクロの誕生した瞬間であった。 わたしは、次から次に、作品を書いた。「算数の魁」、「思考の鍵」、「小学思考の素〜割合問題 編」、書き続けた。小学生を救いたい、その思いだけだった。わたしの指導に感動した子どもたち、親御さんたちからの驚きと感謝の手紙がわたしに来るようになった。わたしの指導を初めて受けた子はたいてい感動した。いままで通っていた塾は何だったのか、学校の授業は何だったのか、と驚きを隠さない親御さんが多数そのことをわたしに伝えてきた。
公立中高一貫校の指導が、始まった頃、わたしの小学生指導は、さらに進化した。小学生に国語を、読解というものを知らない小学生に救いの手をさしのべたかった。ただそれだけ、それでわたしは国語の文献を漁り、読みまくった。国語を突き詰め、レジュメへとかたちにした。 もちろん算数のレジュメは進化した。思考を鍛えるために、さまざまなレジュメを考案するようになった。適性問題のレジュメ化にも取り組んだ。毎年毎年新境地だった。 ある時、割合を小4に指導することの困難に遭遇、小3、小4に割合をどう指導したらいいか、またわたしは奈落の縁にいた。悩む日々だった。割合ドリルとか、フローチャートとか、定義集とか、思いついたら、片っ端からレジュメにしていった日々。幼い子たちを救いたい、ただその一心で、わたしは作り続けた。小学4年生3年生が、「わかった」と言って、そそくさと席に戻る、嬉しそうな表情が、嬉しくて仕方なかった。 小学生に作文を書かせると、酷かった。さて、どうしたものか。同じ言葉、文を繰り返し書く子、一義的、狭い、井の中の蛙、平仮名ばかり、誤字も多い、作文以前にやることばかり。漢検は語彙を増やすため、よく読解力をつけるために読書しろ、ということが言われる。わたしも昔はそんなことを言った。しかし、それでは、具体的な指導というものは何もない。あまりにも概括的な指示ではないか。作文を書かせて添削する、わたしの書いた作文を添付する、そういうことをやるにしても、足りないのは、何か。根本的に語彙が足りないのは、置いておくとして、やはり哲学がない、自分というものがない、自我がない、他者意識がない、視点が自分中心である、社会的視野でものを見ない、自己中心に、狭い周りを感情でしか見れない。 事はなんと深刻ではないか。作文の書き方とか、そんなこと習わせる親は何もわかっていない。 子どもたちの目を開かせる。 わたしは、課題に託した。とにかく読ませよう。いろんなことを知ってもらおう。文章の読み方をどうやったらわかってもらえるのか、悩みながら「読解の素」を書いた。知見、問題意識をもってもらおうと、「教養」シリーズを書いた。さらなる読解の真理に目覚めてほしいと、「新国語読解」を書いた。「読解の素の素」は、語彙の様々を紹介し、語彙を少しでも広げてもらおうという思いから書いた。これらは、高校受験のために書いた「最新国語読解」の経験を生かして、小学生用に、書き下ろしたものであった。いろいろな予備校で評判の講師の本とか、を読み、ヒントを探したこともある。 こうしたわたしの努力が稔ったのか、28年戸山合格者の国語偏差値70超え、本番得点80点超えを成し遂げた。また、本年桜修館合格者の国語偏差値70達成など、稔りある報告がもたらされた。
今、取り組んでいるのは、抽象概念を掘り下げて、関連づけながら、解説するもの、です。コツコツ書き貯めております。 よく理科、社会は、どうなっていますか、というお尋ねがあります。高校受験、都立受験だと、当然問題になります。竹の会では、中2までに、理科、社会の準備を終わらせるべく、中2の夏から、課題を課しています。高校受験の理社は、都立限定ですが、わたしのやり方をすれば、確実に、90%超が取れるようになります。問題は、わたしの指定テキストを中3になる前に終わらせることです。 これが公立中高一貫校なら、どうか。 理科、社会は、出る。しかし、私立受験のようなことはない。あんな重箱の隅をつつくような、問題は出ない。わたしの見たところ、学校の教科書で出てくることを扱っているに過ぎない。しかも、問われるところは集中している。問題文に解決のヒントもある。これは見方を変えれば、理科、社会は、過去問をやればいい、ということになる。竹の会では、入会すると、「教養のための理科」という市販本を買ってもらい、わたしがこの本に即して制作した問題を課題として課すことにしている。これは、まず、本を読み取り、問いに即して、答えるという訓練をしている。その際、四百字詰原稿用紙を使うことを薦めている。これは、字数感覚を養い、常に、200字、400字と言った、まとめ感覚を意識して書くことを是とするからである。過去には、わたしの指示を守らず、わら半紙に細かい字で、びっしり書いて出す子らがいましたが、こういう子というのは落ちてますね。できる子なのに、落ちている。わたしは、竹の会の課題全てについて、原稿用紙を使うことを指示していますが、ノートに書いたり、直接書き込んだり、と原稿用紙を使わない子がいます。原稿用紙は、A4がいいと思います。竹の会のレジュメが、A4なので、整理しやすいからです。
合格の極意は、「解き直し」「書き直し」
わたしの勉強法は、繰り返しです。これと決めた参考書を1冊、最低7回。大学受験の時は、50回繰り返したものもあります。竹の会で、大学受験を指導した時は、わたしの指定テキストを繰り返し解き直すことを徹底させました。 この解き直しについては、伝説的逸話がある。 旧司法試験、わたしの大学の同期、九州大学在学中、4年のときに、50番前後で、合格した。彼は九州大学の司法試験の私的指導団体「松法会」に日曜日だけですが、答案練習会に通っていた。彼は松法会では、とても合格できる位置にはいなかった。番外だった。だれも合格を予想していなかった。その彼が合格した。後から聞いた話では、彼は点数にならなかった答案、論文ですが、遅くまで、居残り、書き直していた、ということです。彼は、現在高等裁判所長官です。 九州大学の故井上名誉教授、法学部長、学長代行。先生が、九州帝大在学中、高等文官試験司法科試験に2番で合格した話しは九州大学では語り継がれています。「指導教授に大学に残りたい」、と言うと、「なら、高等文官試験で、一番とってこい」と言われ、友人らに言わないで借りた家にこもり、朝から晩まで勉強した。目が覚めたら心配で読んだ。布団は敷きっぱなし、風呂に入る時間も惜しんで、読み続けた、と、言います。当時は、今のような予備校などない。体系書と言われる、教授の書いた、不親切な、本しかない。種類などないから、みんな同じ本を使っている。定義なんかを繰り返し覚える、学説なんかもそんなにないから、とにかく本をそっくり頭に叩き込む、だから繰り返し読む、覚える、こういうシンプルな勉強です。言えるのは、とにかく勉強量と集中した時間ですね。勉強法としては、とにかく繰り返す、これが勉強の本道です。先生は、6か月これをやって、合格した。そして大学に残った。この時の無茶が祟って、一年ほど結核療養したと言います。
試験というのは、合格を決意したのなら、もう、勉強以外のことに、片時も、かまけてはいけない。勉強に、ただ勉強だけに、一心に、集中する、風呂に入る時間も惜しい、これが極意を語る。 継続、没頭、集中、勉強の極意である。
わたしが、受検を言う親たちの行動に、失望し、落胆してきたのは、わたしのこのような思想背景がある。子どもの行動に落胆し、親の甘い認識に失望する。 試験というものが、わかっていない。 いつもそう思う。 わたしには、試験を舐め過ぎている、そういう風にしか見えない。
成功した人と失敗した人の差
人生には、ただ一度のチャンスがある。 この一回限りのチャンスをものにした人が、成功し、逸した人が、失敗する。 人生の分岐点は、いたずらなもの、ほんのちょっとしたきっかけで、天と地の差に振り分けられる。 チャンスに気づき、チャンスを掴む。 チャンスとは、ちょっと躊躇すると、するりと抜けてしまう。ちょっと気を抜くとさらりと手をすり抜ける。よほど 気を張っていても逃げられる。 チャンスはうなぎのようだ。手で掴もうとするとスルリと逃げる。やっと掴んだと思って逃すまいと手に力を入れると、その力を入れる瞬間の間隙を突いてスルリと逃げる。掴んでいても、一瞬でも油断をすればスルリと逃げる。じゃ〜、どうすればいいのとなる。鰻が本能的に逃れようとする、その方向に動きを合わせる、じっとしていては逃げられる、鰻の気に合わせる、ということであろうか。チャンスを掴むとは、タイミングを合わせる、気を合わせる、とにかく「合わせる」ということが、キィーワードになる。 試験の合否は、もし力をつけていれば、チャンスであり、これは、うまく「合わせ」なければならない。 チャンスは、もともと力のない者には、掴みようがない。
チャンスを潰すのは、もともと力があるのに、精神が動揺して、つまりブレて、判断を誤る、つまり、合わせに失敗する、ということであろうと思う。 試験で舞い上がる、上がる、この精神の通常性の喪失が、チャンスを逸する原因となる。 力をつけること、これは大切な前提ではあるけれど、チャンスを掴むには、精神的タフさが大前提である。 さて、それでは、この精神的なタフさというのは、どのようにして、鍛えることができるのか、である。これこそが、ほかならない、実行、すなわち習慣ではなかろうか。習慣というのは、怠け者には、縁のないものである。わたしは、退塾した中学生の居眠りの習慣というものを苦々しく思っていたが、もちろんわたしの言う習慣は、実行の習慣である。居眠りなどの怠惰、それは不作為の実質を有するものであるが、そういうものは習慣とは言わない。不作為を習慣というのは、背理である。 こうして、タフな精神は、実行の習慣で作られる。親が、子を、子の精神を、弱めている、わたしはそう実感している。習い事、稽古事を続ける、スポーツを続ける、しかし、勉強は、そのために先送りされる、されてきた。このような人について、本体が、勉強にあるとするのなら、勉強という実行の習慣はない、ことになる。したがって、精神のタフさはない。 もし、試験に弱い、チャンスをものにできないとしたら、それは、あなたたちが、実力そのものをつけきれなかったか、実行の習慣がなかったか、のどちらかである。 習慣というのは、継続を核とする。もし1日でも休めば、一瞬にして習慣でなくなる。習慣というのは、中断したら、また続ければ、というものではない。中断したら、その時、それまでに、形成された習慣は、崩壊して無になる。親の恣意的な、感情的な行動が、子の習慣を破壊する。ましてや、子に甘い、子のわがままをなんでも聞く親には子の習慣などそもそも生まれる素地もない。 習慣こそ合格の、いや人生の要諦である。
勉強は心配である
いくらやっても心配だから勉強する。理解したところでも、心配なのでまた読む。 できる人というのは、心配する人である。 一通り勉強した、もうすることはないと楽観する人、要は、心配しない人は、勉強では成功しない。習い事、稽古事、スポーツに打ち込める人は、勉強を心配しない人ということである。これを楽観的というなら、その通り。 一冊の本をものにしなければならない、そういう時、限られた時間の中で、それをやらなければならない。悠長な、つまり能天気な楽観をして、いろいろやりたいこともやりながら、そういうことをやっていて、どうにかなるはずがない。 こういう人たちというのは、この一冊の本を読むこと、それが終わればいい、そう考えているのだろうが、そこが浅はかというか、脳の欠落したというか、俗に、脳が足りない、ということなのであるが、こういう人たちが、結局、その一冊も満足に終わらせることができないというのが、通常なのは置いておいて、一冊に専念、没頭した人は、その実行の過程で、さまざまな心配をすることになり、気になっては、一冊を深める、何度も繰り返す、その集中の過程で、思わぬ発見をしたり、より深い理解を得たり、さらには、勉強の継続がもたらす、集中力の涵養、意志の形成、勉強のスタンスの確立という、さまざまな副産物を手にしているのである。こうして、何かをやりながら勉強もするという人と、勉強に専念する人との、差は、ただに、勉強量の差に終わらず、実は、そのもたらす質的福音の差において、もはや比較にならない、絶対差になっている。
これは、勉強の性質から、きている。凡人は勉強を、量的にとらえる。それも低めに見積もる。そうでなければ、受検の年に、一週間も実家帰省など、しない。連休にレジャーに出かけたりしない。お正月に実家帰省などしない。習い事、稽古事で、時間を使ったりしない。スポーツで時間を使ったりしない。私的行事で時間を使ったりしない。 習い事や稽古事、スポーツなど、これらは、発表会の練習、準備、発表会当日と付帯する時間的消費も大きい。スポーツなら、練習も半端ではない。疲れて勉強をしない日がやたら多くなるから、塾に行けば、居眠り、それで、何も知らない親は安心している。つまりこういうものが、勉強を蔑ろにすることは、明らかなのに、そういうことには、目を瞑り、思考停止して、考えないことにする。それで、そういう勉強との接し方で「受かる」と思っている。これがわたしには、わからない。理解不能と言っていい。
竹の会で、中学なら、部活中心にやってきた、小学でも、先のような人たち、そういう人たちが、受かったという話しはない。もちろん少なくとも準トップ都立とか、公立中高一貫校の話であるが、 わたしの落胆、失意、これはもう親や子のとる行動で、見えている。わたしにはわかっている。親、子の、わたしには、合格から確実に遠ざかる行為、しかし、わたしには、ただ傍観するしかない、事態は確実に、破綻、破滅に近い側に動いるのに、親は、合格するつもりでいる。客観と主観の見事な、ずれ、齟齬、乖離に、いつもそれならと次善の策を講じてきたものであった。この時のわたしの心は失意と落胆に占められて、次なる一手をと、気も虚ろに、そんな手なんかもうないのに、わたしに最善の手を打たせてくれない親というのは、いったい、何なのだ、と嘆くしかない。 わたしに最善の手を打たせてくれない親、子、わたしには、さまざまなハンディーが課される。夏に部活でどれだけ指導時間を減らしたことだろう、日曜は、試合で、どれだけ潰したことだろうか、わたしの指示が、どれだけなかったことにされただろうか、理科、社会を中2までに終わらせるという約束が、果たせずに、そのための次善の策、さらに次善の策で、そのことが、英語にも、数学にも、皺寄せして、どれだけ絶望してきたことか、それでもわたしは、めげずに何か手はないかと、窮余の一策を案じてきたのです。 どうかわたしに最善の策を打たせてください。課題をやらない子のために、わたしが打てる次善の策など実はないのです。 自分で考えない子は、自殺行為に等しいことをやっている。当人にはそのことの重大性がわからない。自分で考えて解いたのではないのに、わたしが、できた、と判断しても、模試は騙せないでしょうし、本番だってできるはずもない。
受検、いや勉強の極意は、素直にしたがうこと、決して自分のやりかたを持ち込まないこと
失敗する親、子に限って、指導者を信用しきれず、自らの判断を持ち込む。受検というのは、どんなにへっぽこな指導者でも、従うしかない。そう考えていい。もし、へっぽこの指導者なら、運が悪かった、そう諦めるしかない。しかし、それでも、自分の判断とは、五十歩百歩だろうと思う。それほど自分の判断は危うい。 世の中には、母親のやりかたで子供を東大に入れたとか自慢の母親がもてはやされているけれど、だからどうなの、ということだ。自分の判断は、イコール失敗だ。わたしの塾、つまり竹の会では、竹の会を知らないのか、父親の買ってきたという問題集をやっている中学生がいて、私のレジュメ、指示を流していたことがある。いやもう随分昔の話しなんですけど、それで成績が下がるばかり、ある時、父親が、相談してきた。それで私は「なんで私の指示通りやらないのか、竹の会に来た意味がない」と怒ったことがある。この時、父親が反省して、レジュメに専念したところ、元々知能の高かったこともあってたちまち数学が90点台を超えた。この男子は、大手のEゼミナールに中1からいたという子で、中3の夏にやってきたのだが、英語は2で、他科目もそんなもの、酷い成績だった。無料体験してそのまま中3まで、やめなかったのは、仲のいい仲間たちがいたから、という理由。中3で、塾に行きながら、三人称単数のSも知らなかった。わたしは、この時ほど、塾の無責任を感じたことはない。まあ、とにかく自分の判断を持ち込むのは、命取りということだけは、知っておいて欲しい。
解き直しが、勉強の全てだとして、それだけでは、だめである。とにかく正解できること、しかも速さがあること、これがなければ、難関試験の合格はない。小6になっての長考は試験対策としては愚策となる可能性大である。思考訓練適格期間は、小5の4月前後から翌年の遅くとも2月まで、基礎養成期間は、小4の4月前後から翌年の遅くとも2月まで、小6の3月前後から、思考を深める訓練及び適性訓練を開始するのが理想である。 竹の会入会の最適時期は、小4の4月前後と考えます。 入会試験に合格すること、しかもA合格以上で、入会することが、合格の見通しを持った指導を可能にします。小5以降の仮合格は合格可能性は限りなくゼロに近いと見ています。もっとも本年富士合格者は小5夏以降の仮合格でしたが、通常はないと思います。小5のA合格でも合格可能性は低い。ただし、本年桜修館合格者は、準合格でしたが、合格したのは、それまでの塾がよかった、そしてこれが、重要なのですが、実行力において卓越していた、ということである。
竹の会に入会してからの指導の実際は、どのようなものか。 小数の計算ができますか、 余りのある小数の割り算はどうですか、小数を分数に直せますか、 分数の計算はできますか、 四則混合演算はどうですか、 割合は初めてですか 。まあ、そんなところを検査します。どの辺から指導を始めるか、だいたい見当をつける。それで、このくらいかなというレジュメを試す。うまくいけば、そのまま進める。ダメなら段階を下げる。段階下げても、使えるレジュメがなければ、創ります。ただレベルを下げたレジュメを作り、指導するというのは、本来わたしにはやりたくない仕事です。だから入会試験があるのです。ただ入会試験は合格の見通しのある子を見つける試験ですから、本来、見通しのない子、つまりレベルを下げたレジュメを創作しなければ指導できないような子は入会を想定しておりません。小3入会や、仮合格には、そのようなものが、紛れ込むことが多いと思います。こうしてまず計算を徹底して鍛えます。小4前後入会なら、順調なら、3か月で、かなり高度な、分数、小数混合、大括弧まである、四則混合演算、難関中の入試問題ですか、こういうのをやれるようになる。計算ができるようになっても、毎回の指導開始前にまず計算4題解いて、それから割合指導開始。割合は、レベルを段階的に、上げていく。そのために、段階を変えたレジュメを製作。一年かけて、割合の達者に仕上げる。
割合だけ? そう思いますか。な、わけない。割合と言いながら、いろいろ忍ばせている。縮尺、流水、速さ、比、一通り学ぶ、面積図も使いこなす。気がついたら、算数がかなり解けるようになっている。竹の会の算数はどこまでいくのか。灘中、麻布などの最難関問題、つまり第6問を極める。解説は、わたしのオリジナル。もちろん難関中と言われるところは、第6問だけでない。結局、徹底して、潰していく。 算数は、竹の会で、極めることができる。今年、桜修館合格の女子は、東京農大第一附属に、合格しているが、竹の会が、私立中学受験で、対応しないのは、理科、社会だけである。公立中高一貫校のための理科、社会指導では、完全に対応している。 誤解してほしくないのは、竹の会で私立のための理科、社会はやらない、と言っているだけで、やれないということではない。実際、わたしは、私立難関のための理科社会レジュメの原型はすべてを執筆を終えている。そして、指導の具体的ビジョンもある。事実、公立中高一貫校指導でも、例えば、「教養のための理科」を終えた者には、「必要十分条件の研究〜理科」を使っているが、これこそその中身は、私が私立難関のために執筆してきた、竹の会の眠れる、魔法のレジュメだったのである。
わたしには、33年に渡って、研究し、執筆し、書き溜めてきた、膨大な原稿がある。いつも明日のために、わたしは、アンテナを張り、本を求めて、探して、読み、アイデアを原稿に立ち上げ、塾で、実際に試し、反応を見ては、また、考え、また読み、原稿にする、こういう生活をわたしは、何年も何年も過ごしてきた。竹の会のレジュメは、わたしが、長い間に、描いてきた、わたしの心の映像を思うようにパソコンで、描き、イメージを作品として仕上げていったもの。かつて大手全盛の頃、わたしには、今のようなツールはなかった。ワープロ専用機の時代、文字はかけても、図はかけなかった。だから、英語とか、文字だけでつくれるプリントが中心だった。「英語指導案」は、ワープロ専用機で書いた。ワープロ専用機は、少なくとも5台は潰した。平成10年頃、買ったのが、マックのクラッシック、それからNECの98、NECのノート、それからDELLのデスクトップ。DELLはもう数台潰した。今は富士通のデスクトップで安定した。この頃、運命的な出会いがある、新宿の量販店でたまたま目に入った数式ソフト、数万円した。わたしは、これを買っていた。ただ、わたしが、このソフトを実際に使うまでには、さらに、1年以上のブランクを必要とした。ある時、使って見ようと思った。それから、分数とか、グラフとか、図形とか、そういうものをかいたりして、教材を作ってみた。最初は、ソフトを覚えることが、重点で、試作品が中心だった。こうして、かなりの量の試作品が、蓄積し、わたしのソフトの技術も格段の進歩を成し遂げた。こうして、わたしは、平成17年に、いよいよ竹の会で長く使われてきた、オリジナルテキスト、と言っても、数学と英語なのであるが、これらのレジュメ化に取り組むことになった。たまたま小6からいた女子が中1からも来てくれる、ということで、わたしは、この子の成長に合わせて、レジュメ化していく、3年計画で、進めていった。2005〜2007にかけては、これまで竹の会の主軸テキストであった、「英指導案三部作」の、これはワープロ専用機で書いたもの、ワード版の製作に取りかかった。フロッピーに保存していたが、ワードに変換できた。不完全だったが、とにかく新たな執筆を加えて、ついに、「新英語指導案」を完成させた。
中学3年間の数学のレジュメ化、そして高校入試数学過去問のレジュメ化へ
わたしは、夢中で、執筆した。この3年間の執筆で、わたしの数式ソフトの腕は、飛躍的に上がった。20年には、わたしの高校入試レジュメで、遂に、都立西、豊島丘学園、立教新座、桐蔭理数などの合格者を出した。この頃から、わたしのレジュメの関心は、公立中高一貫校に移っていった。いろいろな試作品を書いた。たくさん書いた。この頃は、まだ都立中受検は、過去問合格法が、中心だった。わたしは、いよいよ都立中にも、レジュメ化を決意する。この頃には、わたしは、微細な、繊細な、図をかく技術を身につけていた。平成24年、竹の会では、入会試験が実施されることになり、わたしは、そのための入会試験問題の作成に没頭することになった。10問作り、試す、さらにと作り続けていたら、100問を超えて、竹の会の指導に使われるようになった。だから最初のレジュメの名前は「竹の会入会試験第1類」だった。次に、「合格答案への道」(後の第2類)、「第3類」、「第4類」と製作は、続いた。わたしは、中学入試の問題から、推論のための問題の製作に取り組んだ。それまでの経験を活かし、解説を充実させた。解説を見ればたちまちわかることを理想とした。繊細、微細かつ色彩豊富な図を駆使して、わたしは、徹底して説明した。かつてわたしが夢見た、心の映像を紙にそのまま表現できるなんて、これでわたしは、どんな大手にも負けない、そう確信した。 無名の竹の会、23区の誰にも知られていない竹の会。竹の会は、こんなに、いい塾なのにと、訴えてみても、誰も振り向かない、そんな時期が長く続きました。元代々木教室の時代は、地元密着型、20年以降は、近隣の区から来ました。少子化で、生徒は集まっても、言葉は悪いが、バカばかり、かつてのように優秀な子は来なくなりました。原発事故の年、いよいよ竹の会の廃業を覚悟した。わたしの長年の夢、渋谷駅近くに竹の会をの夢は、わたしの心の中の、口には出せないまぼろしで終わるはずでした。平成24年5月6日、夢にまで見た竹の会渋谷教室が、スタートした。 わたしの竹の会、もう少しだけ、頑張ろう、東京23区の皆さんに、竹の会という塾を見つけてもらえることを願いつつ、もう少しだけ頑張ろう、とわたしは、自分に言い聞かせた。 子どもたちは、竹の会が、大好きという。 親御さんからのメールには、よく「この子は、竹の会が大好きです」とあります。言われて、「あっ、そうなんだ」、と嬉しくなります。今年は、わたしの誕生日に、寄書きしてくれた子たちがいました。多分、去年のAの子たちを見てのことかな。しかし、そういう心というか、心情が、嬉しいですね。 子どもたちには、わたしの真摯な気持ちが、通じているのでしょうか、だったら、嬉しいことですが。