2022.10.15
大手塾信仰のもたらした、あまりにも定型的な、真面目な子たちの失墜‼️
東京の親というのは、そのほとんどが迷うことなく大手塾に子どもを入れるものです。
それがどういうことを意味するのか、竹の会で大手からやってきた子たちが、その典型的な失速パターンを余すところなく見せてくれました。もちろんほとんど稀有ですが、大手から来て成功した例もありますが、これは参考になりません。そういう稀有な子を成功に導いたのは才能だったからです。
失速した子たちの例は枚挙に暇がない。
もともと能力的に足りない子たちなら仕方ない。しかし、中には、学校の優等生、つまり内申が、「よくできる」が、明らかに多い、そういう子が、大手に行ったことで自壊している、そういう子たちがそれなりにいるのです。私は、そういう子たちをもう何十人も見てきました。小5の後半、小6になってから、大手を辞めて竹の会に来た子たちです。小6というのに計算は未熟で、割合もできない、もし竹の会で遅くとも小学4年の4月、理想は小2の夏あたりですが、そういう時期に来ていれば、間違いなく、思考力を深め、算数をマスターした子たちでした。そういう子ほど、竹の会に来て、自分より低学年の子が、難しい算数の問題に挑戦している、そういう姿を見て、大手に行ったことを後悔し、「もっと早くに竹の会に来ていれば」と、10人いたら10人が、言いました。その子たちの母親は「早くから竹の会のことは知っていました。ブログもずっと読んでいました。でも大手を選びました。」と口をそろえて言っておりました。これほどまで大手に対する信仰は強いのです。
それにしても大手に2年も通って、なぜ満足に計算もできないのですか。割合の問題をまともに解けないのですか。変だとは思いませんか。
もちろん頭のいい子は、大手でも、計算もできる、割合もわかる、だから大手を辞めてということにはならないのかもしれません。しかし、竹の会に大手から流れて来る子たちは、内申もよく、学校では優等生と言われている子たちです。そういう子がまともに算数ができない。だからおかしいと言っているのです。
竹の会は、算数革命を起こしたと自負しております。竹の会の算数は私が開発した算数のアルゴリズムによって躍進を、遂げています。才能さえあれば、たちまち開成レベルにまで持っていける、そういうアルゴリズムです。
竹の会の許容範囲の下限は学校の優等生ですが、下限に達しない子たちでも、竹の会の指導を受ければ、計算、割合の基本を確実にものにしていきます。受検は無理でも公立中に行って困らないだけの学力はつけてあげられます。ところが、親はそうは考えられないものです。塾に行ったのに、受からなかった、と考える。塾に行けば受かるもの、と考える。しかし、大手だと落ちても誰も文句を言う者はいない。あれだけ費用をかけても文句は言わない。落ちたと言って騒ぐこともない。大手というのは、大きいと言うだけで、人が集まり、散々〇〇講座なんかとカネを貢がせて、挙句落ちても文句の一つもない、なんともお得な塾です。これが小塾だと人は集まらない、月謝が高いと言われ、落ちたら恨まれる、といいことはない。
しかし、竹の会の真実は何も変わっていない。できない子は、計算、割合の基礎をマスターし、才能のある子は、才能を極限にまで伸ばしていく。合格はその延長にある、ただそれだけのことだ。
大手信仰者たちの大手生活1年後、2年後の子どもの状況を見れば自分の子の現状がどんなことになっているのか、わかるであろう。計算やらしてみればすぐわかる。竹の会で小4の子たちが解く中堅私立中学の割合の問題が解けるとはとても思えない。算数が得意とやってくる大手の小5や小6の子たちが竹の会の子たちが普通に解ける問題に手も足も出なかったのだ。これが過去の偽りのない事実でした。大手で躓いている、落ちこぼれているというのであれば、それは大手の問題ではなく、才能がないだけのことです。しかし、親はそうは考えない。才能はあるのにと考えるから子も苦しみ親も悩むことになる。
才能がなければないで、受検は無理でも、最低限の計算力、割合の理解だけはと考えるしかないのだ。問題なのは、学校でも成績のいい子がその才能を伸ばしきれないままにくすぶるということだ。竹の会ではたとえ受検には失敗しても、それは残念だが最初からわたしの想定していたことですが、竹の会で培った算数力は中学で開花し、難なく中学のトップ層に位置するというのが竹の会出身の子たちの姿です。大切なのは、小学時代に計算を鍛え、割合対応力をどれだけ鍛えてきたか、ということです。大手で学んだことが何の糧にもなっていない、そういう子たちが公立中に大量に溢れても、もはや敵ではないでしょう。