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都立中高一貫校受検の変貌  小学生指導の意義 その将来に及ぼす影響

2023.06.15

小学生指導の意義 その将来に及ぼす影響
 小学生指導の意義は、学習習慣の固定化、勉強スタンスの確立にあり、これを早期に始めることが肝要である。小学高学年になってからではもう遅い。理想は、小2であろうか。小4はギリギリ、能力によっては遅いという事例が多々ある。小3でもそれまでの家庭学習のしつけの有無でそもそも指導が可能なのか、ということが決まる。小3で指導不可の子もいたし、小2で十分指導可能という子もいた。
 「字」が汚い子は、損をする。そもそも将来学問に関わることを困難にする。ただパソコンの普及で酷い字を書く若い学者もいるから学問と関係ないという主張もなりたつが、大学入試の時、ノートを作るというのが基本的な作業であることを考えると、不利であるのは間違いない。
 小2から学習習慣をつけるというのは、ただ家庭で学習をやればいい、というわけでもない。世阿弥の指導書「花伝書」で、芸事を躾けるのは七歳をもって是とするとあったか。七歳ならまず字の訓練を由とする。小1前後が字を覚える唯一のタイミングではないか。この時期を外すともうダメな気がする。小学生で竹の会にやってきて、字が汚い子は最後までそのままであった。つまり,改善した例を見たことがない。
 家庭学習は子ども一人で、あるいは親が見ていたとしても、あまり意味はない。わたしの経験から言えば、小2をもって指導開始の至高とする。子どもは訓練しなければだめである。小2から指導、すなわち訓練を始めるのである。子どもに自主的勉強などない。子どもは確固とした指導体系の下で指導の手順に従って、訓練する、鍛える、ことである。これが勉強の習慣をつけ、学問、勉強に向き合うスタンスをつけることになる。勉強の習慣と勉強に対するスタンスは、表裏の関係にある。

 中学になって,勉強習慣のない,勉強に向き合えない子というのがそれはたくさんいますが,これも小学の,しかも低学年のときから子どもの教育というものに関心をもってこなかった親のつけというものでしょう。中学になって「うちの子は勉強しなくて」と嘆く母親はそもそもの小学時代の躾から反省されたほうがよろしかろうかと思念する。
 さて,訓練とは、一定の見通しをもった、段階的に、導く予め用意された手順のもとに、子どもを引き上げていく、子どもに見通しを与え、到達点を示す、ものでなければならない。
 竹の会では、まず計算を仕上げる。どの程度の完成度をもって「仕上げる」というのか。これは中学受験の難関とされる中学の入試で出題される計算問題をものの数分図で解ける程度ということになろうか。これは小2とて変わらない。小2だとおそらく整数の足し算・引き算・かけ算。割り算,しかもせいぜい2桁の計算ができる程度かと思われる。竹の会で実際に小2を訓練した経験では,小2の夏開始で小2が終わる頃にはほぼ難関中レベルの計算をこなせるようになっていた。これは,一口に言うが並大抵のことではない。整数の四則をマスターして,小数へと進む。小数では余りのある割り算をこなせるまでが一区切りである。これがこなせるようになれば分数へと進める。通分,約分へと進める。竹の会の約分は実は分数のかけ算・割り算の実体を有する。それと意識しないままに分数の四則を操るようになる。そこで竹の会の定番の「計算300日」を投入する。これもやり方は変則である。わたしが「これ」というのをいちいち選んでやらせる。これを続けていると気がついたらけっこう難しいかっこのある,小数,分数込みの四則を解いているようになる。気がついたら中学受験レベルの計算をこなしている。そういう計算に慣れてきたところで今度は逆算の手順を教える。これも長年の指導法の研究で効率のいい指導法が開発されている。昔は3か月も6か月もかかる子から数日でこなす子までいろいろであったが,今ではたちまちこなす子が多くなった。もちろんひっかかる子もいるわけでそこは時間はかかっても根気よく教えていく。こうしてめでたく計算を乗り越えることになる。そうするといよいよ竹の会では割合思考の訓練開始となる。小2の夏から始めて、小3の1学期には、かなり高度な四則混合演算をこなすようになる。もちろん分数、小数、逆算すべてこなす。子どもは訓練の方法さえ間違わなければ、訓練次第で小3にして、難関中学の計算問題を2~5分もあれば解けるようになる。もちろん竹の会で実証済みである。
 計算は、指導のたびに高度な問題4題を解くことで、正確さと速さをさらに磨くことになる。
 計算があたりまえにできるようになると、割合の枠組みを頭に構造化していく、そうなのだ。それは脳を敷地として、建造していく、骨組みを組み込んでいく、割合建築物なのだ。この骨格がこれから様々な思考の枠組みとなる。竹の会では,竹の会の開発した割合思考法「ミクロマクロ法」のおかげで瞬く間に割合の概念を習得していく子たちばかりである。もちろん能力的な問題で時間のかかる子もいるわけであるが,基本段階で2年,3年とかかる子には,わたしは受検よりも将来の高校受験を見据えて勉強してほしいと訴えている。それは当の本人に「受検は無理だから高校入試のためにがんばりなさい」と言うわけである。親も子も受検しか頭になく,割合を理解することもできないのにぎりぎりまで稔るはずもない適性問題をやるなどという子がいたわけである。しかし,最初から失敗することはわかっていて,区立中に行くしかないこともわかっていて,理解もしていない割合を放置して,適性もどきの問題に時間を費やし,結局区立中に入り,割合もわからない中学生として当然のように成績などいいわけもなく底辺を這うことが想定したとおりというのはどういうものなのでしょうか。親は受検の夢に流されて本質のところを見て見ぬ振りしてきたわけです。わたしは最近はそういうばからしい結果がわかっているのに親に言われるままに受検指導するなどということに耐えられないわけです。それで本人に「受検は無理だ」「将来の高校入試に備えて基本を徹底してやれ」と実際にも適性などやらせないで,基本にこだわって何回も同じレジュメ・テキストをやらせています。それで受検指導してくれないから止めるというのも致し方ないと思っております。わたしは子どもの貴重な未来を無碍にしたくないのです。できないならできるまでとことん指導してやろう,それがこの子が中学生になったときの唯一の救いになる、と考えたのです。高校入試の指導で中学生にもなって割合を理解しない子の指導は絶望的なものでした。なんで小学生のときにもっと何かしてやれなかったのか,それは憤りでした。親はここまで子を放置していいのか、という怒りでした。去年の小6はそういう子が多かった。わたしは割合もまともに理解していない小6たちに正直「今は受検よりも割合に時間をかけるときなのだ」という強い気持ちがあったけれど,目の前の受検という夢に目を輝かせる子たちにはわたしの思いはあまりにも無力なものであった。受検がせっかく竹の会に来て,大切な基本を身につける機会だったのに,そういうことは飛ばして高度な適性問題に時間を費やすことがわたしには将来をも犠牲にしているようでとても良心が痛んだのです。竹の会で学んだ子たちが将来飛躍していくのはとことん基本をたたき込んできたからなのです。合格者も不合格者も竹の会で割合を徹底的にたたきこまれた子たちなら入学後学校でトップ層にあることはよく知られていることです。受検はこれだけ必至に指導に取り組んできても落ちれば竹の会を恨む人も出てくる。それは塾におカネをかけたという意識がそうさせるのでしょう。しかし,大手では大量の不合格者が出ているのに,それで大手が恨まれるなどということはありません。大手だと落ちたのは自分の力がなかったのだと納得する親が個人塾だといっせいに塾のせいだと言ってくる。それまでの竹の会の指導の成果などゼロであったかのような口吻です。しかし,基本を徹底して意味は中学に行けばわかるはずです。割合をすんなりと理解して困らないことに気がついたでしょうか。竹の会が何をあなたたちに与えようとしたかわかったでしょうか。考える人になった,あなたたちこそ竹の会がめざしてきたものでした。恨まれてもわたしの思いはこれでよかったと精神はとても心地よい。

 そもそもまず竹の会のカリキュラムそのものが大手と比較して費用的にもかなり低額であり,大手のようにいくらカネがかかってもフルでやれるというのとは違うのです。週に6回,土曜特訓,日曜特訓,夏期講座も本科のほかにオプションだらけで,合宿まである。そういうところに通う人たちこそカネをかけたというのです。しかも,大手から小5,小6になってやって来る人たちでまともに計算をこなし,割合を理解している子などこれまで一度も見たことがない。聞いてみると,割合はテキストの1単元で多くて4ページほどをやっただけだというのばかり。それで竹の会では小3や小4でも解ける割合の問題を小6や小5が手も足も出ないというのだから,大手にカネかけて2年以上通って,これなのですから,中学生になってどうなるのかは火を見るよりも明らかでしょ。そういう類いの子たちが公立中に入ってどうなっていくのかはわたしの知ったことではありませんが,竹の会の子たちが中学で活躍するのもわかる話しです。

 竹の会は割合だけで早くから来れば2年以上かけます。わたしは中学入試の問題から割合だけに特化したレジュメを何冊も段階的に使用できるように編纂しました。またそういうレジュメに入る前段階の割合概念の導入では特に綿密にレジュメを作りました。子どもたちが迷うことのないように最高の道案内をしようと,日夜研鑽を重ねて創作してきたものばかりです。割合だけで竹の会では10冊以上のレジュメテキストが用意されています。いや子どもたちは気がつけば割合どころではない,算数という難解な思考物を自然に受け入れて考えているのです。こういう割合からいつのまにかさまざまな算数の問題を思考を巡らして考える訓練をしているのです。竹の会の算数は開成中学・麻布中学・早稲田中学などの難関中学を特集したレジュメで最高レベルの思考訓練へと達します。すべての問題はわたしが実際に解いて考えたオリジナル解説・解答で,カラフルな図を駆使してレジュメ化されております。

 竹の会の小6が桜修館志望ながら,巣鴨算数特別枠(定員3人)や攻玉社算数特別枠(定員3人)に受かってきたのもわかっていただけるのではないでしょうか。大手のように特に大量の高価なテキストや講座をやることもない。竹の会の出身者たちが桜修館で九段でトップ5番以内にいるというのもその理由をわかっていただけるのではないでしょうか。

 竹の会は小学生指導において最高レベルの指導のできる東京では希少な個人塾なのではないでしょうか。しかも,大手やそれに準ずる塾のように定番のテキストを売りにして高いカネをとって商売するということもありません。ただ大手にも真理はあります。特に進学大手は費用は高いがそれに見合うカリキュラムを組んでいます。合格に必要な日数をカネは高いが用意しています。竹の会のように大手に比べて安い価格でカリキュラムは少ないというのは,親の懐には優しいでしょうが,それで合格するのは,もともと頭のいい,自主的な勉強を厭わない,精神的に熟した子たちに限られます。親に怒られながら勉強する未熟な子たちにどれだけの意味のある家庭学習を期待できるのでしょうか。その意味でも竹の会で最低の講習に出て受からなかったからと恨むのも実はおかしな話しなのです。ほんとうに受かりたいなら目一杯カネかけてやるしかないのです。大手とはそういうところでしょ。

 その竹の会の費用も高いという家庭にはもともと受検などというのは無理な話なのです。特に,近年はSAPIXや早稲アカ,日能研,Z会という進学大手塾の子たちの併願校としての都立中学を闘うのですから,低額で,つまり安く済まして,最低の費用で,夏はせいぜい10日ほど,新型コロナ蔓延時期は中止,という講習で勝てる状況にはすでにないということです。

 竹の会にはかつてSシステムというのがありましたが,これは夏は1日10時間以上30日のカリキュラムでした。ここまでやれば受かるという設定です。費用はかなり低額で実施していました。平成一けた年度の時代の話しです。とにかく公立中高一貫校をめざす家庭というのは,塾代もそんなには出せないという,倹しい家庭が中心だったと思います。竹の会もそういう背景を考えながら費用を設定してきたわけです。しかし,近年都立中高一貫校の受験層が一変し,大手進学塾の私立難関中学受験の子たちが上位を占める様相です。もはや牧歌的な・田園風景的な思考の家庭は閉め出されるしかない。公立一貫校対策塾では勝ち目はない。発想の転換が求められています。もともと竹の会が進めてきた算数を軸とした指導がかえって効果を発揮する事態となっています。思考軸中心の指導をしてきた竹の会の指導方針が受験戦線の潮流と軌を一にしたというのが実感です。ただこれまでの低価格・最低日数のカリキュラムでは難関狙いの大手進学塾の猛者には勝てないでしょうね。

 

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