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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

わたしの想定が裏切られた時‼️

2022.11.08

 

わたしの想定が裏切られた時‼️
 すっかり騙されていた!としたら。わたしには子どもたちの家庭や学校のことは何もわかない。わたしの想定通りにやってくれているはずだ!と思うしかない。 
 ところが、おかしい? まず模試の結果が冴えない、というより、明らかに悪い。これはどうしたことか。
 特に、最近の受検の子たちは、伸びない、明らかに力不足である。だから有効な「手が打てない」。正直、数年前の子たちとは、何か異質なものを感じていた。何かが「欠けている」、ずっとそう思ってきた。

 特に、才能がなかったというだけのことなのか。確かに、特に、私を驚かせるほどの才能の片鱗に出会ったことはないとしても、「何かが欠けている」というのが頭から離れなかった。それだけで落ちるには十分な徴憑であったのかもしれない。
勉強にかける絶対時間量が少ない。
 それは、習い事、稽古事、スポーツなどに時間をかけていたからなのか、家族旅行その他の家族の行事に時間をとられたせいなのか、それはわからない。連休、夏休み、年末など帰省は常に最優先で勉強の順位は2番目以下からなのか。私には実際のところはなにもわからない。ただ事実が私の想定と大きく齟齬があったことだけは確かであった。過去にない齟齬であった。
問題を本当に自分で解いたのか、疑わしいことがある。特に、教室ではほとんど解けないのに大量に家では解いてくる、これは明らかにおかしいわけです。これも重要な齟齬の一つであり、疑問のひとつでした。
指導レジュメの正解率が悪い子は受からない、という不文律があります。できない、解説レジュメを読む、その繰り返しは、これは張子の虎になるだけです。
 ※張子の虎が、7回復習で、合格することの可能性について
 限りなく不合格に近いと想います。かつて富士に2名が受かった年がありました。直前の大原の模試では、2人とも50%の判定でした。この2人は、膨大な量のレジュメをすべて7回解き直しした子たちです。つまり、家庭でもかなりの勉強量をこなしたことです。特に、才能を感じたことはなかったけど、たまに「おっ」と想うことはあった。しかし、才能については、消極です。しかし、この2人は人の何倍も勉強したと思います。しかし、最近思うのは、試験に対する情熱度が常温、淡々としていることです。強い意志でやりぬく、そういうことがなくなりました。
 ほかに気になるのは、自己流で解いて、終わりにする、つまり、学ばない、そういう姿勢がもたらす、伸び止めというのがあったと想います作文をほとんど書かないままに本番に突入した子もいました。作文拒否症なのかと思ってしまう。親、特に、母親が、受検を主導する。だから、竹の会の指示は、二の次となる。わたしのコントロールの外にあるわけで、ほとんど間違いなく落ちています。
 私の想像、イメージが裏切られている‼️ ということの詳細でした。
 サッカーやってたり、ピアノやってたり、ゲーム、スマホと、そういうものに時間をかなり費やしていてもわたしにはわからないわけです。わたしは勉強にすべてをかけていると思っている。しかし、成績が伸びない、おかしい、おかしい、….。そういうときは、そういうカラクリがあったわけです。
 受検、受験を舐めている親子が、あまりにも多いのです。習い事、稽古事をやっていても「受かる」と本気で思っているのです。盆、正月のたびに離れた実家帰省を欠かさない家族も多い。しかし、それで「受かる」と思って欲しくない。小5までの「手抜き」が小6で伸び悩む原因に繋がっていると確信しています。「まだ、小5だから、今のうちに」という親の子に対する甘やかし。しかし、受検、受験を甘く見たらいけないのです。
 失敗の根源は、親の見通しの甘さにあった、ということは肝に銘じて、高校入試で同じ轍を踏まないことです。しかし、不思議とこういう親は喉元過ぎれば熱さ忘れるの諺通りに、また同じ過ちを冒すものです。子どもが部活に興じてもそれは認める親も多いのです。
 総じて区立小学校に通わせる親は、早くから中学受験のために子を塾に通わせる親に比べて、危機管理がザルである。受験というものを知らないから、甘い、手ぬるい。公立中高一貫だから、そこまで、つまり中学受験まではないだろう、と決めつける。しかし、近年の都立中高一貫校は、中堅以上の私立中学受験生の併願校化して久しい。早くて小3から大手進学塾に通って訓練してきた子たちが、こぞって小石川や桜修館などを併願受験する時代である。それまで塾にも行かないで、程度の低い公立小の教育しか知らない子たちが、いきなり小5後半あたりから受検する、と塾に入る。こういう子たちは、内申も悪く、勉強意欲も乏しい、というか勉強に対する成熟度が低い。たまに内申がクリアできても、総じて親も子も呑気である。学校で内申がよければ、それで問題ないか、と言えば、そうではない。内申=知能が高い、とはならないからである。仮に知能の問題をクリアしても、小5の遅くからのスタートというのは、あまりにも遅い。計算レベルが低い、割合の本質的な理解が曖昧というか、初心者レベル。これで私立受験の猛者と戦えるはずがないのだ。
 早くから、できれば小2から、計算の訓練を始めて、1年で計算マスターにならなければならない。竹の会で計算マスターとは、難関中学の計算問題を苦もなく解くレベルである。竹の会の小2入会の小3なら、そのレベルにある。普通はそうなる。もしそうならないとしたら、能力的に無理と考えたほうがいい。もちろん高校受験まで踏まえて基礎訓練を続けるというのは、受検は無理としても、ありなのかなと思う。
 早く計算マスターになること、それから割合を学ぶこと、割合を通して、思考訓練をすること、である。割合指導は、竹の会の指導体系の中では、思考力をつける最良の方法として位置付けられている。割合の考え方を手を替え品を替え叩き込む。竹の会の算数指導用レジュメ集は、割合に特化している。割合の指導法も、竹の会が開発した独自の方法である。ミクロマクロ法と名付けられた竹の会、私の方法は、驚異的な右上がりのカーブで割合思考力をつけていく折り紙付きの保証ものだ。割合の型は、いつしか思考の型となり、その亜型を形成し、発展的に、新たな思考枠組みを獲得していくのである。割合思考は、分数の基本の意味、割り算の仕組み、単位あたり量の理解、百分率という枠組み、縮尺から単位変換の意味を学び、食塩水から%の理解を深め、面積図という新手法を学び、そこから比の働きに繋げる。比の理解は、割合の利用の幅を広げ、ダイヤグラムの利用へと導く。もちろん面積、体積の理解も欠かせない。ダイヤグラムには、相似の利用が欠かせないからである。
 竹の会の子たちは、短期間に算数の達者に成長する。竹の会では算数が「できる」のが、あたりまえになってしまった。かつて公立小の子たちの学力の低さに呆れて、竹の会算数の開発に没頭した頃が、懐かしく思い出される。平成18年、19年、20年、21年とわたしは算数の指導法の開発に没頭し日夜研究に身を投じた。朝目が覚めると、アイデアが閃き、すぐパソコンを開き、レジュメにしたものだ。それからそのレジュメはその日の指導で使った。子どもたちの割合の理解の反応を観察し、一喜一憂したことを思い出す。棒グラフの右と左に目盛りをつける。右の目盛りは、実際の量、左の目盛りは、「1」を基準に、小数の目盛りをふる。考えたアイデアは何百枚になっただろうか。平成23年に指導した2人の男子の何気ない会話が耳に入った。「あのレジュメよかったよな! あれで割合がわかったよ!」
 わたしは会話に割って入った。「そんなによかったのか。どのレジュメ、どの」と私は急かした。「先生、あれですよ、ほらミクロマクロのやつ」、「おー、あれか」、わたしは帰宅すると、すぐそのレジュメを開いた。ファイル名「ミクロマクロ」。40ページほどかな。わたしは、直ぐに、その原稿を元に、新たに次々と書き始めた。「これだ‼️ これだったのか‼️ やっと見つけた!ようやく見つけた
 今では、竹の会の子たちは、当然のように、ミクロマクロという言葉を使い、「ほら、これって、ミクロマクロで解けるよ」という会話が普通に使われる。わたしが何年も苦しみ抜いて、やっと見つけた、私の方法、これで、小学生を救える、算数難民の多くを救える、わたしは感動の中にいた。
 よく親御さんから、「今までの算数の勉強がなんだったのか、学校で教わる算数と全然違う、こんなやり方初めて習った! もっと早くこのやり方を知りたかった!」という声を聞きました。
 残念なのは、他塾、特に大手が多いのですが、それなりに頭も悪くないのですが、早くから通っていて何も身についていない、そういう子ばかりだということです。大手に通っていたという親御さんで多いのは、竹の会に猜疑心を持ち、なかなか信用しきれないのか、躊躇して結局入らない、それで一年前後して、やってくる、そういうパターンが多いのです。それでそういう親御さんは、必ずといって、「もっと早く来てればよかった!」と悔やむのですよね。大手というのは、それほど離れ難い何かがあるようです。”寄らば大樹の陰”と申しますが、そういう心理が強く働いているのでしょうね。たいてい「間に合わない!」。私は、竹の会に来るのは、小2が理想と考えています。今、来年2月から、算数教室を開こうか、という話しが出ています。入会試験なし、でとにかく2年ほど算数を鍛える、特に、受検ということは考えていません。週2回ほどを予定しています。実現するかは未定ですが。
 今日のテーマに関係すると思いますが、失敗する例でよくあるのが、母親の口出しです。というか、受検を実質的に差配している母親というのがいるのです。こういう母親の子は必ず失敗しますね。竹の会の親御さんというのを見ていますと、たいてい母親が竹の会の窓口になっている。父親はタッチしない場合がほとんどです。そして合格者の母親というのは、「わたしは何もわからない」からと、一切口を挟まない、そういお母さんしかいない。嘘だと思ったら、竹の会の合格体験記を読んで見てください。いろいろと指導に口出しする、差配する母親というのは、たいてい子を不合格に導いているのです。わたしの立場から言えば、指導妨害をしている。わたしの想定した通りに進められるということはなく、母親の指示が私の指示を歪める、妨害するのです。
 それからいつも思うのだが、私は、合格したいのなら、一筋に勉強だけに最優先させた生活をしてほしい、そう思うのですが、小5のときに、何かと勉強の手を抜く、後回しにする、夏に出ないという選択をしたり、最小の時間で済ます選択をする。また盆正月の帰省は譲れない、その姿勢は小6になっても変わらない、そういう親や子に限って、直前に伸び悩むのですが、そのときになって何がなんでも合格したい、という思いが強くなって、嘆き苦しむのです。しかし、試験は非情なものです。そういう思いを一ミリだって斟酌してくれるわけもないのです。冷酷に素の実力を秤り、判断するだけです。秤りの指すめもりは、どれだけ実のある勉強をしてきたか、それだけです。合格に、100量が必要だとすれば、何かと勉強を後回しにしてきたこと、それで100量に足りない、まあ、何かと先送りにしていれば、25量でしょ、それで受検突入、そういうことなんですよね、絶対的に勉強量が足りない、質も良くない、だから秤りにかけても軽い、そういうことなんですよね、だから余裕があるときなんかない、とにかく暇なんかない、まだ先だから時間があるなんて、考えはありえない、のです。
とにかく早く100量を超えること、それしかないのですね、高校入試だって同じ、早く、早くです。わたしが竹の会に早く来なければというのは、そういう気持ちがあるからです。遅く来たら間に合わない、そういう思いがあるからです。

 

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