2019.03.19
3月19日になりました。これからの日程について、2,3の注意点をしておきたいと思います。
●3月の通常指導は、Aが24日(日)、Bが25日(月)までです。
●3月21日(祭日・木)は、Aの指導日です。13時~20時の実施です。
●4月月謝は、3月中にお支払いくださるようにお願いいたします。お支払いの際は、同封の支払書を添付してください。
🔵負の方向へと走る人たち
あなたは、受検をすると決めたのなら、目標に向けてひたすら進まなけれならない。あなたの立っている位置を原点とします。目標と原点を結ぶ線は、直線が、いいに決まっています。直線が最短距離だからです。あなたが、この直線上を目標に向かって進む、これは正の方向へと歩を進めていることになります。わたしは、あなたたちを正の方向へと導くことばかりを考えています。ところが、あなたたちは、どうしたことか、目的地、目標から離れる、つまり負の方向へとばかり歩を進めるたがるのです。この原因は、これから分析していかなければならないと思います。いいですか。習い事をやることが、正の方向へ最短距離を進めていると思いますか。稽古事を熱心に続けていることが、目標に向かって正の方向に、進めていることになりますか。スポーツに熱中することが目標に向けて正の方向に進めていることになりますか。盆正月に1週間家族と帰省することが、目標に近づく行動と言えますか。いや問い方を変えて見ます。それで掲示板に番号が載ると思いますか?
あなたたちは、掲示板に番号を載せるということが、どんなに至難なことかわかっていない、と思うのです。
高校入試なら、都立青山の2倍はあったものの、普通は1.4〜1.6倍ですから、様相も違いますが、公立中高一貫校だと、5倍〜9倍ありますから、もう普通ではありません。都立入試の推薦入試の倍率も、青山の8倍弱を筆頭に、普通は5倍前後ありますから、似たようなものです。
もっと具体的に話してみましょう。
東京の公立中高一貫校の中では唯一区立の九段中等の女子の倍率は、約8倍です。区外枠だと、女子の定員は40人ですから、300人以上が、この40人枠を競うことになります。そう考えると、あなたたちが取る負の行動というものが、如何に無思慮な行動かわかるのではないでしょうか。バスケやサッカー、野球などに週5日、しかも土日はみっちり練習という子たちが、公立中高一貫校に行きたい、と言って問い合わせてきますが、わたしには、ちょっと何を言っているのかわかりません。
まあ、そういう負の行動を取る子たちというのが、掲示板に番号を見つけるということは、現実的には、皆無に近い、というのが、事実です。
課題を出さないというとき、それが習い事や稽古事でやれないというのが、ありますけど、塾でいくら熱心にやっていてもやはり合格することはないというのが事実でした。また習い事、稽古事をセーブしながら、続けるという子もいましたが、こういう家庭というのは、盆正月は遠くにある実家に帰省したりと比較的家庭のことを優先させますから、やはり子どもも親公認ということで甘えた気分が抜けきれず、結局課題の積み残し、指導レジュメのやり残しが、加速していき、最後はもう二進も三進もいかなくなり、潰れる、という結末をたどることになります。
こういう子らが不思議なのは、合格の期待度が人一倍強くて、わたしから見れば99%落ちると思えるのに、合格できると思い込んでいることです。だから、落ちた、番号がない、ということが意外で、激しく泣く、嘆く。まあ、この年頃というか、甘えの人一倍強い子特有のありようだとは思いますが、わたしからはちょっと何を泣いているのかわかりませんね。
やることやってきた子なら、自分の限界を見極めてきたと思うのです。ギリギリまで勉強してきた子なら、落ちたら、悲しいとは思うが、結局、落ちたということを冷静に受け止められるのではないか、と思うのです。中途半端に勉強してきた子が、自分の限界というものを知らない分、本番でも、神の能力を発揮して、自分の能力を、超える力を出せた、と思いこむものです。戦えた、と思いこんでいる、のです。随分と都合のいい話で、合格してる、と期待度100%です。ちょっと待ってください。課題を一回も休まず、解き直しも何度もやりながら、再提出を繰り返し、指導レジュメも積み残さないように必死に頑張り、家庭での解き直しもしっかりやって、指導レジュメの復習もやってきた、作文だってA取るまでは書き直してきた、そういう子がいることを忘れないでください。こういうひたすら勉強を第一にしてきた子の意識はとても習い事、稽古事なんかやってる時間などない、というものであろうと思うけど、とにかくわたしの指示を完全にやりきろうとすれば、勉強時間はいくらあっても足りないということが、この幼い年頃でも切実にわかる、はずです。これも人生を生き抜く上で学ぶべきことなのですが、習い事や稽古事ごとでは到底得られないであろう、人生の核心に関わるものを手にしている、ことは疑いない、と思うのです。
さて、こういう生き方をしてきた子たちに、先の子たちが、どうして勝てると思うのか、わたしは不思議だと言っているのです。
入学試験は、相対試験である、他人よりいい点を取ってなんぼである。ところが、かの子たちは、習い事、稽古事をやっても受かる、と思うわけです。それでも、勉強一筋にやってる子たちに勝てると思っているわけです。親も同じです。しかし、流石にそれはないでしょ。ところが、当の親子はそうは考えない。考えないようにしているというのが正確です。こういう人というのは、試験というものを、どうも相対試験とは捉えていない節がある。絶対試験、つまり一定の点数を取れば合格できる試験、と考えている、漠然とそう考えている節がある。だから合格最低点というものをやたら気にする。合格最低点を基準に、合否を考えようとする。しかし、合格最低点などというものは、それなりに勉強した人が、本番でなんとかとれた点数というのが実際でしょ。最初から合格最低点を想定して狙っていく性質のものではないでしょ。ところがそういう種類の人たちは、最初から合格最低点超えているかどうか、ばかりを気にしている。
試験というものが、他人を押し退けて、勝ち抜く、生き抜く、本質を持つものだという意識が希薄なのである。試験を誤解しているとはこのことである。
ここで中学生の部活についても、一言述べておく。部活となると、途端に親が、寛容になる、甘くなるのは、わたしには同じように理解不能だからです。小学生の習い事、稽古事、スポーツの場合と変わりはない。。
そもそも部活をやるということは、それが、週何回かは知らないが、少なくとも、部活のある日は、勉強はしないというのが、普通の中学生なら、普通の話である。最悪なのは、そういう人たちは、結局、部活のない日もたいして勉強はやらない、ということです。人間というものは、いったん勉強を休むと切り替えて勉強なんてできないものです。やらなければやらないままで過ごしてしまうものなのです。人間というのは本質的に怠惰であり、だからこそ継続してやることが大切なのである。結局、部活のない日も、疲れた、やる気にならないというのが相場です。体育会系の部活だと特にそうである。こういう生活をしている生徒というのが、理科や社会をきちんと勉強しているとはとても思えないし、それどころか、数学、英語も失速していくことは当然のように予測できるのです。次第に点は低下していくことは当然の成り行きです。
そもそもわたしは、高校入試という生存競争に勝つには、1日に最低5時間の勉強が、必要であると考え、そのように訴えてきました。勉強というものの本質から考えても、ある程度の時間と継続があってこそ初めて勉強というものは本領を発揮するものです。
かつてある中学で、3年間学年1番だった女子は、中1の時から、毎日の勉強が5時間を下回ることはなかった、とお父さんが、竹の会に入会のために見えられたとき、言われましたが、わたしの同級生は、学年1番、しかも500人以上の中で一番ですよ、その同級生は、7時間やっていました。わたしは、部活をやりながら、勉強を適当にやってて、成績がどうのこうの、と言っているのが、ちょっと何を言っているのかわからないのです。特に、中1の間はまだ乗り切れても、中2からは内容の密度も濃くなる、それに高校入試は、先取り、前倒しでやらなければとても、生存競争には勝てないという本質がある。だから、わたしには、部活をやりながら成績を気にする人たちが、ちょっと何を言っているのかわからないのです。