2020.11.21
◎事実を読み取る!
何か方法はないか、と考えを巡らす、これが考えるということだ。思考するとは、探すことだ、何かないかと探すことだ。諦めない、必ず見つけるという強い意志で探すこと、これを考えるという。
さて、今日も、事実の深層を読み解いていきましょう。あなたたちは、竹の会で何のために算数の勉強をするのか、それは算数がこの世に二つとない、事実の深層を読み取る練習になるからです。あなたたちの事実読み取りの訓練にこれほど適したものはない。わたしが算数のこのような本質に気がついたのはここ何年かのことです。算数を通して子どもたちの事実を読み取る力を訓練できる。それまで漠然と算数という科目を問題を解くというくらいにしか考えていなかった。算数を解くには国語力が大切だという主張もその前提にある認識は変わらない。しかし、子どもたちが、算数がわからないというとき、わからないのは、問題の提示する事実そのものを理解しないというのがほとんどだということが指導を通してわかってくる。この子たちは算数がわからないのではなく、事実を意味ある事実として認識できないのだ。国語的な意味がわからないのではなく、事実を意味ある事実として認識できないのだ。言葉に惑わされて、背後の意味、深層の意味を認識できないのだ。
算数は何のためにやるのか。考えてみると、算数に特有のものなんてほとんどない。数%に過ぎない。そのほとんどは事実の深層の読み取りなのだ。子どもたちは算数事実を正確に認識できないのだ。
算数の指導は、事実が何なのか、すべ手そこに費やされる。事実を如何に構成するか、これにかかる。全体を鳥瞰し、事実を比較し、事実を言葉で表すとして、言葉に振り回されないように用心し、言葉を言い換えて、事実を改めて見直す。一義的に事実を決めつけない。
最初に書いたことに戻る、繰り返す。
何か方法はないか、と考えを巡らす。これが考えるということだ。思考するとは、探すことだ。何かないかと探すことだ。諦めない、必ず見つけるという強い意志で探すこと、これを考えるという。
2009暁星 「2010算数」所収
しじみさんは毎日、駅にある動く歩道を利用します。昨日、動く歩道の上を一定の速さで歩いたところ、動く歩道の始まりから終わりまでちょうど32歩でした。今日、同じ動く歩道を、1.5倍の速さで歩いたところ、動く歩道の始まりから終わりまでちょうど36歩でした。また、歩く方向と動く歩道の進む方向は同じであり、動く歩道の速さとしじみさんの歩幅はいつでも一定とします。
(1) 動く歩道の始まりから終わりまで歩くのにかかった時間について、昨日と今日の時間の比を求めなさい。
(2) 動く歩道を停止させると、しじみさんは動く歩道の始まりから終わりまで何歩で歩きますか。
※※※
動く歩道と聞いてパニックにならないでください。算数は、差に目をつける、この基本は変わりませんから。事実をよく見据えて考えてみてください。
まず歩道が動いていても、例えば、A点からB点まで歩道が動くとして、2点間ABの距離は変わりません。ここのところはよく頭に入れておいてください。32歩進んだときの距離は、AB間の残りの距離(α)を動く歩道が動いたということ、36歩進んだときの距離は、AB間の残りの距離(β)を動く歩道が進んだということ、ですね。αの方がβより距離は長い。
つまり、進んだ距離の比は、32:36=8:9
このそれぞれの距離を進む速さは、1:1.5、つまり、2:3ですね。したがって、それぞれの距離にかかった時間の比は、(8÷2):(9÷3)=4:3
と求めることができましたね。
問題は、(2)ですね。本問はこれが聞きたかったと思います。
さてさて、事実をもう少し丁寧に見ていきましょう。思考とは、一つ一つの事実を丁寧に薄紙を剥がすように読み解いていくこと、これに尽きます。
(1)は(2)を解く前提です。(1)の結果を使って(2)を解く。だから(1)はヒント問題なんです。
先ほど事実を丁寧に薄紙を剥がすように読み解いていくと言いました。32歩進んだときと、36歩進んだとき、このときの時間の比が4:3でしたね。
実は、32歩にかかった時間と、αにかかった時間は同じです。また36歩にかかった時間と、βにかかった時間も同じです。
ここのところは、なかなか気がつかない。
ここから、α:β=4:3
ですね。
ここで不思議な現象に気がつきましたか。
32歩と36歩では、36歩の方が距離が長いのに、時間は短い。時間は、32歩4に対して、36歩3です。ところが、α>βなのに、つまりそれぞれの残りの距離にかかる時間は、普通に4:3ですよね。つまり長い距離のほうが時間がかかる。これは、動く歩道は、速さが同じだからです。時間が短い分、距離も短いわけです。歩く速さは1.5倍になっていますから、時間が短くても距離は長いわけです。
どうですか、事実を読むということが、どういうことなのか、わかってきましたか。まるで薄紙を一枚一枚剥がすように丁寧に読み解いていく。事実を読むとは、事実と事実の関係を読み解くことです。事実そのものには本来意味などありません。事実は存在するかしないかです。私たちは、ある事実とある事実を比較して、比べて、その差異から事実の意味を読み取るのです。
よく算数を解く鍵は、「差」の意味を読み解くことにある、と言いますが、いやこれは私が言っているのですが、わたしは他の算数の書物などほとんど読みませんので知らないのですが、これは真理です。天才なら問題を見て最初から「差」を見つけて、そこから解法の糸口を見つけるに違いないと思います。しかし、あなたたちは決して天才ではない。だから事実を冷静に客観的に観察して、まるで薄紙を、剥がすように、事実を一枚一枚剥ぎ取っていただきたい。事実の意味を丁寧に読み取っていっていただきたい。
さて、それでは、動く歩道の問題に戻ります。
「差」?
動く歩道の時間の比は、4:3でした。この差の意味はわけりますか。事実の差ですよ。
この差の1は、36歩と32歩の差4歩を意味する、ということがわかればこの問題は解決ですね。簡単に解けてしまいますね。
さて、わたしは、実際の問題を、つまり事実を提示して、事実の読み取りの意味を述べようとしてきました。世の中の多くの親や子どもたちが、算数という科目を誤解している。算数は特別の解き方をする科目と思っている。だから公式を覚えて解こうなどと考える。馬鹿げた話しです。上の問題のどこに公式をつかうのでしょうか。公式なんか覚えてもなんの役にも立ちません。これは塾の方にも責任がある。商売のために特別のものとした方が都合がいいからです。
算数というのは、事実の勉強です。これは社会に出てもとても役立つと思います。わたしは子どもたちにまず事実は何かと問う姿勢を身につけてほしいと思います。世の中には大人になっても事実を見ないで、見ようとせず、観念だけで判断する人間がウヨウヨいます。わたしは決して子どもたちにこのような大人になってほしくない。少なくとも竹の会で、わたしの事実の指導を受ける子たちには、事実と付き合う体験を通して、事実を踏まえて、土台に事実の下地のある意見を言う人間になってほしいと願っています。竹の会の願いです。