2020.06.13
◎処方箋シリーズ執筆のことなど
脳の皺に資する問題を厳選する、思考の盲点を突く問題を厳選する、常識の盲点を突く、真の良問を探す。わたしは、良問ハンターとなって、再び旅に出る。わたしが、良問ハンターということを意識して、過去問集から良問を探す旅に出たのは、そう、旅に出たような錯覚に囚われたのは、平成26年都立桜修館をめざす女子のために、レジュメを作ることになり、2004年度から2013年の算数の過去問集をめくって気になる問題があれば解いてみる、これは使えると思えばレジュメとして起こす、解説を製作する、そういう作業に日夜没頭していた頃のことであった。
気に入って解いたのは、開成、灘、麻布であった。この三校は常に鞄に入れて歩いた。隙間を見つければすぐ解いた。なかなかの難問で時間のかかる問題もあった。きちんと解の道筋をつけて、解説を作成する。晩秋京都に行ったときは、ずっと解いていた。寝転がって考えた。暇さえあれば考えた。考えるというのはこういうことを言うのだろうと思った。子どもたちが、考えるということの、真の意味を知るとき、その子どもは、ひとつの殻が剥けたということなのだろう、と思った。
考えるというのは、「わからない」から考えるということなのである。少し考えると「わからない」と言ってすぐに持ってくる、そういう子は考えるということの意味がまるでわかっていない。「わからない」というのは、「なら考えろ」ということなのである。「わかるまで考えろ」というのが、考えるの、本来の意味である。
公式で考えるな!
これは何か公式はないかと頭を巡らすな!ということである。これは考えているのではない。想い出そうとしているのだ。確かに、頭は使っているが、本来の頭の使い方ではない。
考えるというのは、文章の読み取りに誤解、勘違いはないかと、何度も読み返して、確認する。
次に、事実の意味を考える。表面的な、表層の意味ではなく、文脈、全体の主旨、概観から考えうる意味を推測する。
事実の意味とは、概ね事実関係、のことである。事実関係とは、事実の意味あるつながりのことと言ってもいい。その場合の意味は、たとえば、正比例の関係とか、速さと時間の関係とか、問題文に設定された関係とか、様々である。
考えるとは、想定された正解に達する道筋を、関係から探ることである。そのための試行錯誤こそが考えるの本質にほかならない。
考えるというのは、決して知識を想い出す、脳の働きではない。
また解説を読んで、あるいは説明を受けて、その、つまり他人の解いた解答を、いや予め用意された模範解答を、理解する能力ではない。
先の試行錯誤的脳の働かせ方は、覚えた知識を想い出す脳の働かせ方とは、対極にあるものである。
このような脳の働かせ方の違いは、勉強方法にも繋がる。覚えたことを思い出すやり方は、勉強の中心が、知識の暗記になることであろう。問題を解くことよりも、解答の解き方を知識として、覚えることに時間を費やすことになる。
試行錯誤的な脳の働かせ方を勉強の軸に据えれば、覚えるよりも、いや覚えるという思考停止ボタンから解き放たれて、脳は自由に駆け巡ることであろう。
考えるというのは、畢竟試行錯誤、夥しい数の試行錯誤のことにほかならない。かつてわたしの執筆したテキストに、「思考錯誤の研究」というのがあったけど、「試行錯誤」よりも「思考錯誤」の方がより本質に近い。
暗中模索して、もがき苦しむ、人間の知恵に違いない。考えるというのは、何らかの問いについて四六時中脳を働かせることでもある。
考えるというのは、問題を設定して、そのことを24時間、365日、考え続けることである。
このことに関連して、中学生が英単語を覚えるのに、苦労しているのを見て、また理科社会の点数が取れない中学生を見て、「覚える」とは、どういうことか、いや確実な暗記法とはどういうものなのか、ということについて、わたしの考えを述べてみたい。
覚えるの本体は、想い出すこと、つまり想起にあるということをまず知っておかねばならない。暗記という仕事は、まず「覚える」、それから「想い出す」という二つの脳の使い方をする。前者は、何度も見て覚えるということをやる。何度も見ていると「確認」、際限のない確認こそが覚える方法ということになる。わたしが高校入試、大学入試で取った方法である。インプットとアウトプットに分けて、インプットに重点を置いたやり方だと言ってもいい。インプット型の覚え方である。
ところで、単語の暗記については、どうなのか。
これについては、アウトプット型が有効である。
具体的に述べてみる。
まず「覚える」。覚えたらすぐ想い出す。次に、例えば、電車に乗ったらまた想い出す。トイレに行ったら想い出す。食事の前に想い出す。そうなのだ。、なにかにつけて想い出す。覚えるを1としたら、想い出すは10である。
熟語の覚え方
その熟語を使う場面をストーリーにして覚える。
例 on the way 「途中で」
ストーリー化 わたしは塾に行く途中で財布を落とした、
要は、具体的に穴埋めしろ、ということだ。
ストーリー化は、歴史、地理にも使える。
知識は、対比して、理解する、対比して、覚える。
こうして、暗記の王道は、想い出すことに尽きる。想い出すとは、何かにつけて想い出すことをいう。覚えたら、本当に覚えているか心配になる、だから1時間後に想い出してみる。つまり暗記の極意は、本当に覚えているか心配する、ことである。心配だから何度でも想い出してみる。朝起きたら心配になり思い出してみる。トイレに行ったら本当に覚えているか心配になる。だから想い出してみる。何かにつけて想い出してみる。だからもう心配な限りずっと想い出すことを繰り返す。この心配というのは、勉強する人間には、本質的なものである。部活にはまれば勉強が心配になる。遊びにかまければ勉強が心配となる。試験準備も心配だから早くからやる。心配しない人間は試験に落ちる。心配は、注意力も高める。心配は先述の理由から記憶力を高める。心配しない人間は隙だらけである。心配は油断を防ぐ。自信家は心配しない人間のことである。自信家は細部に神経が行き届かない。自信というのは、余裕であり、それは神経の弛緩にほかならない。神経の回っていない人間は怖くない。心配は恐怖を引き出し、恐怖は緊張を引き出す。戦いにおいて緊張のない人間は勝ち目がない。ただ緊張は明鏡止水の境地と同値でなければなるまい。緊張が焦りと表裏なら既にして負けている。