画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立小石川中等/作文の書き方と起承転結

2019.12.10

 

第39章 起承転結と作文の書き方
きしょうてんけつ【起承転結】
①漢詩の絶句で、句の並べ方。起句でうたい起こし、承句でこれを承け、転句で趣を転じ、結句で結ぶという形式。絶句では第一句を起句、第二句を承句、第三句を転句、第四句を結句という。起承転合。
②文章の構成や物事の順序。

引用 コピーライター田中泰延の解釈
起 発見
承 帰納
転 演繹
結 詠嘆

具体的には、
起 実際の経験だという前置き
承 具体的に何があったか
転 その意味は何か。テーゼ化
結 乾燥と提言。ちょっとだけ

起 わたしの目の前にはたい焼きがある。たい焼きは、すべて同じ形をしている。同じ型にはめられ、次から次へと焼かれるからだ。
承 それは国民をすべて同じような兵士として育て上げ、次から次へと戦地へ送る国家の姿勢と似てはいないだろうか。
転 日本と近隣国との緊張が高まるいま、このような同じ型に人間を当てはめ、送り出す行為。それは危険な道へと続く。
結 ああ、軍靴の音が聞こえてくる。

ここまで引用

注釈
テーゼ〖These〗
①定立。
②政治運動などで、運動の基本的な方向・形態などを定めた方針ないし方針書。綱領。

えんえき【演繹】
(名)スル
〔朱熹「中庸章句序」の「更互演繹、作為二此書一」より〕
①諸前提から論理の規則にしたがって必然的に結論を導き出すこと。普通、一般的原理から特殊な原理や事実を導くことをいう。演繹的推理。⇔帰納。
②一つの事柄から、他の事柄に意義をおしひろめて述べること。「他の事象にも━して述べる」

きのう【帰納】
(名)スル
①個々の特殊な事実や命題の集まりからそこに共通する性質や関係を取り出し、一般的な命題や法則を導き出すこと。⇔演繹。
②反切によって漢字の音を導き出すこと。〔西周「百学連環」(1870~71年)で英語のinductionを「帰納の法」と訳した〕

 

起承転結の解釈については、様々な自己流解釈がそれこそ氾濫しています。もともと漢詩絶句の形式であったものですから、これをそのまま文章の作法として転用できるのか、といった疑問もありますが、世の中には、これを当然の文章の原理として説く者も多いようです。
田中泰延の起承転結の検討
「承」を帰納とすること、「転」を演繹とすること、いずれの命名も概念の定義からすると、無理がある。
帰納とは、具体的事実から抽象的な体系に至ることであり、演繹とは、その逆で、抽象的な体系から具体的事実を導くことである。
田中泰延の解釈では、どうも「承」は、具体的事実を言い、「転」は、その抽象化を言っているに過ぎない気がする。つまり、帰納と演繹の意味を誤解している。
そもそも起承転結は漢詩の方法であり、作文には転用できない、とする見解も多々見られる。そのせいか、起承転結についての解釈も、多様で、みな自分勝手な解釈をして、憚らない。
わたしは、これから起承転結を作文に転用できるとする立場で、まさに自分勝手な解釈を展開していこうと野心を抱いています。

 わたしの見解を申し述べる前に、もう少し起承転結について扱った文献がないかと探して見ました。ところが、これがほとんどないのです。
 ライティングの本を検索してみたところ、文章の方法として起承転結を解説している本がありました。
「webライティング実践講座」ASCII刊

 2、3ページですが、参考になります。下記の某説2がそれです。

起承転結の巷の解説
某説1
起承転結とは、簡単にいえば物語の構成を意味する言葉です。
まず、起承転結の『起』は始まりを意味します。
起承転結の『承』は出来事を意味します。
起承転結の『転』は転換を意味します。
『承』の出来事を経て、物語がどのように転換されたのかを書き出します。つまり、『承』と『転』は表裏一体となりますので、内容が繋がっていなければなりません。
最後に、起承転結の『結』は結末を意味します。

起承転結の比率
起承転結には、正しい比率が存在します。
それは、『起』が10%、『承』40%、『転』40%、『結』10%という黄金比です。

某説2
起承転結は「転」から考えるとする説
方法1  当たり前を転にする。
方法2  常識を覆して転にする。

この説は、起承転結でもっとも大切なのは、「転」ということを主張しております。そして起承転結を「起」から書き始めると文章は書けない、と言います。「起」から書き出して「転」を考えようとしても行き詰まる、というのです。この説は、文章には、構造が必要であり、それを可能にするのが、起承転結であるとし、「転」から「結」にうまくつなげるためにも転から書くべきだとする意見です。
 その上で、「転」に何を書くか、を論じたのが、上の方法です。例えば、「転」を当たり前の内容にするなら、「起」は当たり前ではないことを書きます。方法2も同じ発想で、「転」で、常識を覆したことを書くには、「起」で常識を書くという構造になります。

序破急とは何か? これも文章を書く方法のことです。
鳥影社という出版社の解説を見つけました。
以下引用

序破急は日本伝統芸能の「能」の基本理念です。
さらに、雅楽や浄瑠璃などの楽曲を構成する際に使われますし、連歌や俳諧では形式や原理を表すものとして使われています。

作品を作るうえで序破急を使うときは、明確にテーマを打ち出したい時などが良いでしょう。
起承転結で作るよりもよりストレートにテーマを伝えることができます。

例えば、
序…健康に悩みがある
破…これはいかが?
急…悩みがなくなりました!

CMなどをイメージしていただけると、より序破急が分かりやすいと思います。
破を経由することで、序と急が一転する、それにより破の凄さを伝えることができるのです。
「序」「破」「急」個別の役割は?

もう少し詳しく序破急について見てみましょう。

■序
作品の開始や導入部です。これは起承転結で言うと「起」の部分に当てはまるため、序で読者を引き込む必要があります。
物語であれば、簡単なストーリーや登場人物などの説明を済ませて、核となる出来事や事件を発生させておきます。
また、CMなどではテーマや事実を示す部分となります。
 
■破
作品において展開や転換が起きる部分です。
序で引きこんだ読者を、破で面白くなりそうだと期待させ惹きつけます。
起承転結の「承転」の部分に当たります。
「承と転」ではなく「承転」であることに注意が必要です。

まず起承転結よりも序破急の承転の方が、文量的に圧縮されていることが特徴です。
葛藤や挫折を織り込み、作品の中で決定的な部分に行き当たるまでにスピード感があるとなお良いでしょう。

承と転が持つ特徴をうまく組み合わせたものが破と言えます。

■急
作品の結末となる部分です。起承転結の「結」にあたります。
物語であれば、感動や爽快感、幸せな気持ちになれる、といった部分で読者に満足を与えることが必要です。

引用が長くなりまして、申し訳ありません。

さて、わたしが、子どもたちによく薦めるのは、以下の構文です。

◉「確かに、‥‥‥‥……だ。しかし、………だ。したがって、……だ。」の構文
 
 この構文は、序破急の破の部分を定型化された言い方に当てはめて書こうとするもので、初心者が使ってもそれなりの論理文になる、ものです。
 「確かに」の後は、反対意見に対する理解を示す。「しかし」の後は、自論を書く。「したがって」の後は、結論を書く。
 注意しなければならないのは、反対意見の配慮にもその理由を書くし、自論にはもちろん根拠を書かなければならない、ということです。

◉起承転結による作文(私見)
 先ほど挙げた田中泰延の定義は、実は、序破急に近い、いやむしろ序破急そのものだということに気がついたであろうか。田中は、承を帰納と言い、転を演繹と言う。しかし、帰納というのは、具体的事実から抽象的な体系に遡ることであり、演繹とは、逆に、体系から具体的事実へと降りることである。しかるに田中の定義は、どうも承転併せて、帰納法を意味しているように見える。つまり、演繹の定義はどこにも見当たらない。
さて、いずれにしても、作文において、もっとも重要なの部分が、承転であることだけはわかった。ここに一番の字数を割かなければならない、こともわかった。
さて、そこで承と転の関係については、どう捉えたらいいのか、である。
 これは、「承」で、具体的な事実を書いて、「転」で、その事実を抽象化して、一定の原理に遡る、定義化すると言ってもいい。要するに、帰納である。
定義というのは、自己の価値判断である。抽象的な言い換えである。場合によっては、この定義から、具体的事実を評価することもある。これが演繹である。
 さて、ここでわたしの作文論を詳細に展開することはできない。なぜって、わたしは竹の会の塾長であり、竹の会の子どもたちにのみわたしのノウハウを伝えるのが仕事だからです。

◎冬期A サプライズ講義 予定

 国語読解の方法を講義する予定です。もともと竹の会が昭和60年10月にスタートした当時は、学年別に授業をしていました。主として、高校入試の中3には、平成10年までは授業をやっていたと記憶しております。もちろん授業一辺倒ではありませんでしたが。平成10年にはもう「考えさせる」指導法を軸にしていたと思いますので。当時は、わたしが講義をする日は親御さんたちが色めき立ち問い合わせがすごかった。「先生、今日講義があるのですか」。わたしの講義は秀才の諸君から「とにかくわかりやすい」、「おもしろい」とたちまち評判、人気になりました。普段考えさせてばかりいるせいか、わたしの講義がほんとうに楽しいという感じで、竹の会の授業のある日は笑いが絶えませんでした。

IMG_2095[1] IMG_2094[1]
 今回、読解指導用にと特に編集しました。80ページ超になりました。解説冊子も70ページあります。

もともと竹の会にはわたしが執筆した大量の作品が眠っておりまして、毎年新作を執筆していきますので、今では、受検1年で終わらせることは不可能であり、どうしても選んで実施することになります。

第38章  竹の会出身の子たちはなぜ伸びてゆく子が多いのか

 竹の会というのは、もともと都立中受検生というのが、3人ぐらいしかいなかった。公立中高一貫校の指導を正式に始めたのが、平成18年4月のことで、あの時、九段志望の小6が、1人、東大附属中志望の小6が2人いた。幸いに、翌年3人とも合格した。九段は、人気で、特に、男子は11倍という難関となった。わたしはいつも変わらず過去問合格法を指導して、送り出した。奇跡的に合格した。それからも竹の会にやってくるのは、毎年3人前後と変わらない。竹の会は、小塾であり、大手のように資本をかけて宣伝する力もない。元代々木教室は、昭和60年から平成24年まで続いた。渋谷教室に移っても受検の小学生はたまたまブログを読んだ、悩める親たちが入会するくらいで、受検生は、いつも多くて5人前後と変わらなかった。
 竹の会は、思考力をつけるという指導理念を掲げて、そのために研究を重ねて、指導技術を蓄積してきた。昔から竹の会出身者の高校進学後の成績が、いいということは、よく言われてきた。いいというのは、どのくらいいいのか、という話しになろうかと思うが、例えば、都立青山で学年1番とか、都立新宿で学年2番とか、日大系列校全体の7番とか、あげればきりがない。
 渋谷教室に移転してからも、小学出身者が、都立日比谷に、2名、都立戸山に3名、慶應志木に1名などがわかっている。桜修館で2番という成績優秀者も出た。もちろん都立中高一貫校に合格した者の中には、ギリギリのところで合格したのではないか、と思われる子も過去にはいた。しかし、最近の合格者の傾向にはある特徴が顕著である。それは、高得点合格者、上位合格者が、続出しているということである。また、平成22年から竹の会の子どもたちが、早稲田進学会の模試で、上位の成績優秀者に名前を載せてきたことは事実であった。
 竹の会は、単なる公立中高一貫校対策の塾ではない。如何にしたら思考力というものを培うことができるのか、このテーマをライフワークとして35年の歳月をかけて取り組んできた。子どもならどんな子でも思考力を伸ばすことができるのか、それはどういう子が伸びていくのか、そういう問題意識から生まれた疑問であった。長年の研究成果は、どんな子でも竹の会の手にかかれば遅速はあれ、伸びていくことはわかっている。しかし、受検に対応できるまでに伸びるかは、また別問題である。そこまでは無理という子も出てくる。かつての仮合格では、予め6か月という仮指導期間を設定していた。だからほんの少しの例外を除いて仮合格者はいなくなる。ところが正規合格でも伸び悩む事例が出てきて、入会試験を低学年に実施することに、疑問が出て、今では、小3には入会試験は実施していない。指導をある期間やって見なければわからないからである。小4早期の仮合格は伸びた例が多いが、小4遅くになればなるほど伸びないことがわかっている。余程に知能が高ければ別であるが、入会時期が遅ければ遅いほど成功の確率は下がっていく。
 竹の会は、将来の成功者を生み出す塾であることは間違いない。それは、単なる受験のための塾ではない。まず子どもたちにまず思考力をつける、そこから初めて考えるスタイルの指導を重ねていくこと、さらには受験対策を進めていくことになる。長期のスパンを見越して指導していくことが最初から予定されている。だから最近の竹の会は小3までの入会者を特に重視して募集している。竹の会の指導体系は確立完成されており、今では多くの竹の会の子たちが竹の会体系に従い確実に力をつけていっている。
 竹の会は、わからないから教える、そういう巷の塾のやり方を批判してきた。知識を教える前に、まず思考力をつけて、考えることを学ばせる、そしてその考える力で自ら、つまり教えてもらうのではなく、自分で知識を習得していき、ステップを上げていく、スタンスをとっている。わたしの、竹の会の指導とは、その意味で、言葉では到底説明できない、実際に竹の会に入って指導を受けて初めてわかるものなのである。
  

    る

ページトップへ