2020.01.10
富士山登山に譬える勉強の性質
自分自身に核がない。だから核を与えてやる。大量の情報ではなく、情報の核を与えてやる。本来プロの指導とは、そういうものでなければならない。
わたしの受験時代
わたしには見えていなかった。受験というものが、何なのか何も見えていなかった。中学時代、何のためにあんなに頑張っていたのか、ただ高校受験のためには勉強しなければならない、ということだけが、今の正解とだけ思っていた。いやそんなことも考えていなかったに違いない。中学にはいって定期テストが当然のように「ある」とされて、勉強しなければならないのだと思ったのは、父と母も先生もだれも疑わない、あたりまえのこと、それが真実、現実なのだと信じて疑わなかったから。「本を読め」と言われてもそのことが面白いことなのか、わたしにはそんなものには見えなかった。小学五年生の頃だったと思う、学校図書館の本を毎日借りては一晩で読んで返してまた借りる。図書カードのはんこが埋まっていくのが嬉しかった日々。読んだ本? 怪人二十面相、怪盗ルパン、十五少年漂流記、地底探検や気球世界何十日みたいな本ばかりだった。あのときに少しだけ何かが見えてきたのだと思う。小6の頃、クラスの気の利いたやつらが休み時間なのに勉強していたので、「何をしているの」か聞いたら、得意げに「試験勉強だ」と言ったっけ。へっ、試験勉強って何? 遊ぶことしか知らなかったわたしはキョトンとして、頭をめぐらした。試験のために勉強なんかするのか、不思議な感覚だった。まずわたしは試験のために勉強をするということが新鮮な感覚としてわたしの中に入り込んできたのだ。中学に入るとすぐに試験があるというので、わたしは教科書を読み返した。いつも午後10時には寝ていたのが、0時〜1時まで起きて教科書を読んでいるのが、新鮮だった。中1は550人ほどいたか。試験の結果が、廊下のうえの壁に張り出される。1番から200番ぐらいまで、名前が長い白い紙に墨書されて、書き出された。わたしは名前を探したんだ。あった! 66番。その時からわたしは上位に名前をのせるために勉強し始めたんだ。小学時代、勉強というものをまともにやったことがなかったわたしが初めてようやく勉強の舞台に突然姿を現したんだ。延岡市立中学、父の転勤で中1から中2の1学期までわたしが過ごした中学。中2の2学期から別府市立中学に転校。もともと小学校は別府でした。だから知ってる奴ばかり。やはり550人は変わらない。3年8組55人。12クラスあった。学年20番ほど、クラス2番、わたしのスタートだった。この頃から、わたしには、勉強の核がなかったのだ。何のために勉強していたのか。たまたま成績が良かった。だから勉強した。この時に、わたしの中になぜ勉強するのか、絶対的な核というものがなかった。なぜ成績が良くないといけないのか、そんなことを考えることもなかった。中学を卒業する、最後の実力テストで、わたしは100点、100点近くを取り続け、一躍躍り出た。勉強に核のないわたしは高校に入ると勉強よりも柔道や空手に興味を惹かれ、一日でも勉強をサボれば落ちこぼれていく高校のレベルの高さに気がつかずにいた。わたしに勉強というものに対する低い認識しかなかったこと、ただ勉強して成績をよくする、そういうレベルの意識しかなかったこと、すべてはそこに帰着する。大学に入ってもわたしの意識のレベルは低かった。わたしには勉強の核がなかった。だからわたしはずっとブレ続けた。勉強を方法の問題と確信して、軸のない、全体を鳥瞰する勉強をすることはなかった。
幸いに、大学入試は、わたしの方法に辿りついた。差し迫った試験にわたしがとりうる方法は、結局高校受験で確かな手応えを確信できた、ひたすら読み返すという方法であった。今、竹の会の子どもたちに推奨している7回解き直しは、最低の希望である。例えば、わたしは、赤尾の豆単は、50回は回しているし、Z会の数学問題集は何十回読み返したか、わからなくなるほど読み込んだ。わたしの失敗は、大学というところを徒らに崇高なものとしてとらえて、国家試験もそれを越えたところにあると勝手に妄想してしまったことである。高校の勉強の延長と捉えるくらいでちょうどよかったのだと思う。そうすればそれなりに具体的な方法があったのにと思う。
全体を見て、巨視的に、鳥瞰すること、核心を捉えること、正体を素直に受け取ること、それでよかった。正体はいつもシンプルであった。私たちは、人の妄想が作り上げた、見せかけの幻影に惑わされて、方法を見誤ることになる。世の中というのは、権威とか、見栄とか、見せかけだけとか、人が勝手に付け加えた、偽の付加価値というのか、真実を隠して見えなくしてしまって、何も考えない人、日常に埋没する人、今しか見ない人、自分の周りにしか関心のない人たちを騙す構造になっている。わたしは完全に世の中に当たり前のように流布する見せかけの価値に騙されでしまっていた。
間違いか正解か、どうでもよかったのだ。素直に自分の見たまま、考えたまま、が、実は、一番間違いない道を選んでいる、そういうことが、こんな簡単なことがわかるまでにわたしは何十年もかかってしまった。見たままを素直に見ること、考えること、それだけでいい。ただし、世の中が嘘と偽で構成されているということは、忘れてはならない。真実を見なさい、とわたしは言っているのである。だからわたしは、私たちは、本物を見なければならない。
権威とは、嘘を核とする、害悪を撒き散らす。意識の世界では、怖い存在に違いない。有名な弁護士が言うから、権威ある医者が言うから、大学の教授が言うから、大学の学長が言うから、国が言うから、と私たちは判断する。しかし、この人たちは、自分の言ったことに、何の責任も持たない、ただ言うだけ、言ったことに責任をとらない。言いっぱなして、後は知ったことではないのである。マスコミが、新聞で、テレビで、何を言っても、言いっぱなしであることは変わらない。それを信用して、動いても、結果は自己責任である。テレビでコメンテーターや専門家、最近では、芸人が、コメントする、どこかで借りてきた意見を自己の意見として述べるようになったが、所詮不完全で、たいていは、不毛な議論に終わる。テレビは、スポンサーの機嫌をとりながら、結局言いぱなしで終わる番組を社会派を気取りながら、感心したり、笑い話にして、お茶を濁すことで、終わらせる。
私たちは、結局自己の判断を信じて行動するしかない。評論家の意見をそのままに、専門家の意見をそのままに、信じて、行動の拠り所とするわけにはいかない。そういう人たちは、ただいかに自分が優れた専門家かを弁証することにしか関心はないのであり、言いっぱなしの無責任な人間には違いないのであるからである。
私たちは、自分の頭で考えたことを行動の拠り所として行動すべきなのである。したがって、私たちが、磨かなければならないのは、拠り所とする情報の真偽である。私たちが、もっとも注意しなければならないのは、私たちに、確たる根拠がないということである。人の意見はすべて伝聞であり、その人にも根拠がないのである。伝聞に伝聞が重ねられて、私たちの耳に入ってくる話しを信じてどうして私たちは行動できるのであろうか。
福島の原発事故のとき、政府は国民に真実の情報を意図して隠した。政府はパニックを起こすという理由で、国民に真実を隠し、多くの国民を被曝させた。これは、政府が、国民をバカと見ている、そういうことなのだ。私たちは、自然災害に限らず、これから起こるであろう、例えば戦争のような国民を、国民の生活を危難に陥れる国家の行動にも、国民はバカだという論理で、真実を知らされることなく、突然結果だけを突きつけられることになるのであろう。
新聞もあてにはならない。真実を報道しないだけでなく、事実を伝えない。事実を偏向的に選んで報道したり、しなかったりするに違いないからである。
比較的真実を伝えているらしいのは、海外のメディアである。日本のメディアが、目を瞑っていることを伝えているのは海外のメディアである。私たちは、新聞に書かれているから、テレビが伝えていることは、頭から疑ってかからなければならないし、新聞やテレビが、伝えないことを、それらが伝えていることから、推測することをいつも迫られている。
さて、勉強の問題を考えるとき、わたしは、いつもいや違う、これじゃあないという、思いが、突き上げるような思いが、わたしの中にいつも頭をもたげている、ことを意識してきた。鳥瞰というか、概観というか、全体の輪郭、形、その全体を支配する核、全体を流れる、全体を貫く何か、そういう漠然としたものを読み取らなければ、ただ盲目的に読む、断片を理解する、ある部分を理解する、そういうことではない、という思いが、わたしを突き動かしてきた。
かつてわたしは、高校の授業を放棄していた。それでも京都大学に行きたいという思いはわたしの中で燃え続けた。どこで知ったのだろうか、学校の図書館かな、いや街の書店かな、旺文社の「数学解法事典」という1500ページくらいあったろうか、当時のわたしには救世主であると思われた本を見つけた。なにしろわたしが高校時代苦しめられた問題のほとんどが、取り上げられて、すべて解答がのっていた。わたしは狂喜してこれを読めば受かると信じて疑わなかった。わたしは1ページから一問一問読み始めた。しかし、これはいつ終わるともわからない気の遠くなるような試みであることを悟ることになる。わたしが、数学で、開眼したのは、「数学技法IIB」という参考書であったと思う。三角関数、数列、特に、隣接項の問題、高次関数、微分積分、順列、組合せ、そうした理論をわたしは初めて理解できた。同じ「技法数学I」で、わたしは、対数関数、指数関数、集合、因数分解などの基礎を固めることができた。わたしは初めて数学が見えてきた。最後に、わたしは、Z会(大学受験通信添削)が、通販で販売していた、数学I IIBについて、問題と解答を1ページでまとめた、薄い二百ページほどの問題集であったが、これを取り寄せて勉強した。わたしはこの問題と解答の手順を完全に頭に入れた。例によって何十回も読み直した。実際に、手を使って解いたのは、最初だけで、次から問題を見て、解答を頭の中で再現した。7回解き直しについて、子どもたちには、ノートに解くことを指示しているが、直前には、頭の中で解くだけでいい。実は、頭の中で、解が自然に流れる、これこそが、アウトプットの究極の姿ではないか、と思う。だれかが、難関大学、難関国家試験の勉強は、インプット3、アウトプット7というようなことを言っていましたが、その理論的根拠が、パーレットの2-8法則だったのは笑えた。実際的根拠は、実際に、合格したという事実しかない。つまり、合格していない者が、語る資格はない。
わたしの解き直し法は、インプットとアウトプットを常に同時に再現するもので、どちらかという発想はない。ここから、一つの勉強方法の形か見えてくる。問題と解答ごとに、まとめたものを読む、ひたすら読む、これが基本となる。自分で、そういうまとめをつくることも、もちろん時間が許せばやる。この際、最初は、問題と解答が、インプットになる。解き直しの時は、問題部分がインプットであり、頭の中で再現する解答がアウトプットになる。頭の中で再現するのは、時間の節約になる。
わたしのこの方法が機能しなくなる場面について
難関国家試験
受験情報が氾濫する世界である。これだという方法論を提示できないために、個々人が、雑誌、関連本、受験予備校、大学の私的受験団体などの情報からまさに個人の趣向で選んだ基本書と言われるものを選び、ひたすら読むことになる。ここでは、解き直しの対象となる参考書を一つに絞れない悩みがある。不安から一つに絞れない人たちが、いる。次から次に出る「いいという参考書」に乗り換え続ける人たちもいる。予備校の参考書に絞る人もいる。大学の先生が出した本は使えない、というのは、最近では当たり前になっているが、ほんの二十年前までは、司法試験委員となった大学教授の本は絶対的に支持されてきた。
問題の核心は、大学受験との決定的な違いにあった。大学受験では、これをやれば受かるという参考書が存在した。だからあまり迷うこともなく解き直しに没頭できた。しかし、かつての司法試験にはそれがなかった。だからまずそこから整備しなけれならなかった。
今のように、新司法試験などという法曹の大量生産時代になる前の話しである。
勉強の核というとき、情報の氾濫する難関国家試験ほど情報を絞れない。そのために、つまり核に絞れないために、解き直しが、機能せず、失敗することが多い。このような情報が氾濫する試験では、早くに解き直しの対象となる核に絞ることが、成功の鍵となる。
難関国家試験でなくても、受験というのは、情報が錯綜するのが普通のことであり、塾というのは、夥しい情報を取捨選択し、核となる情報を提供するのが、一つの仕事といえる。塾は、当然に、具体的方法を示す必要がある。竹の会に限って言えば、核情報の選択提供と方法の提供はセットである。情報を如何に処理するかまで、示すのが塾の回避できない仕事と考える。少なくとも竹の会は、受験のプロである。あなたたちが、自分以外の人を信じないという狭隘な心を持つのは、わたしには、あまりにも危険な行為にしか見えないのです。受験は失敗するのが目に見えています。少なくともわたしにはそう見えます。自分以外の人を信じないというのは、先人の言葉に耳を貸さないということです。歴史の教えることにも目を閉ざすということです。これは流石にないでしょ。自分以外の人を信じないというのは、歴史や先人の言葉を否定することにほかなりません。人の経験を無価値とすることでもあります。あなたたちが、自分の成績をわたしに報告しないのは、自分の判断で、受験を進めようとする表れでしょうか。あなたたちが模試を自分で管理するのは、自分で判断する、ということの表れでしょうか。竹の会がプロとして認めてもらえなかったということですが、それなら竹の会に来る理由はなかった。竹の会は「利用する」という塾ではないからです。竹の会は、合格を請け負う塾として生きてきた。だから請け負うには請け負えるだけの生徒の資質を求めてきた。ただわたしは合格請負人という意識を常に持ってきた。だから、そのためのノウハウも磨いてきた。
具体的に述べてみよう。
かつて数学2他はオール1の生徒を都立玉川に合格させたことがある。あのときは、合格点を500点満点の200点として、対策をとった。数学は、第一問の小問8問、一問5点計40点に絞る。計算を中心とした基本問題だ。第二問から第五問までは、それぞれ小問が3題ずつあり、小問(1)はサービス問題。だから50点は取れる構造になっている。英語は、記号問題の当てずっぽうで、30~40点、国語は、記号問題の当てずっぽう狙いで、50~60点、ここで三科目計110点と見て、後は、理社で、90点とる戦略。理科は思考問題もあるが、ほとんどが記号問題。過去問をやり、社会と理科の暗記事項を絞り、徹底して、覚えさせた。こうして、本番では、250点超えをとって合格した。彼は無事卒業もできた。合格を請け負うというのは、必ずしも学力をつけてやるということではない。とにかく合格させることが目的なのである。
平成十年早稲田実業高校合格は、学力をつけて合格させた例である。かれは代ゼミの全国模試で、200番前後だったか。とにかく名前を載せた。これも合格請負人の仕事である。数学を鍛え、英語を鍛え、国語を鍛える、というプロの指導を徹底させた結果の仕事である。
わたしの合格請負人としてのプロ意識は、現在まで脈々と生き続けている。わたしは、常にどうしたら合格を取れるかという問題意識を持ち続け、その具体策を練り、戦略を構想し、手を打ち、また修整し、また手を打ってきた。わたしを信頼して、すべてを委ねた人が成功し、自分の見込み、判断で動いた人が、失敗した。それだけのことである。
学校説明会をいろいろ回って情報を収集するのは、そしてそこから具体的な対策を取ろうととすること、は、あまり意味のないことである。そこで取られる対策とは、もっと英作文に力を入れろとか、総合力が試されるから、総合力をつけろとか、漠然としていて、具体的に何をやるとかについては何も指示されない、言ってみただけというだけのものである。
そもそも学校の傾向なんて、実際に、過去問を解いてみたらわかることである。少なくとも、巷でいう対策論なんて、ただの臨床的対応であり、意味のない、時間の無駄である。
受験というのは、小学低学年から計算という抽象思考、割合という思考訓練を重ねて、思考力をつけていくこと、勉強を生活の中に習慣化することによって、小学高学年期の思考訓練に磨きをかけたことを前提にして、高校受験という目標から逆算して、仕上げていく、単純な仕事にほかならない。世の中の、中学生、その親たちは、何もわかってないですね。高校入試なんてちゃんと手順を踏んで勉強していけば、開成だって、日比谷だってどこだって取れますよ。
手順とは、小学低学年、小学高学年、中学期、それぞれに適切な指導訓練をすることを指しています。小学低学年、高学年の訓練をしないで、中学期の指導をしても、効果はありません。中学になって、計算は未熟、割合を理解していないという子が、高校入試で成功することはまずないといっていいでしょう。中学生になった子を指して「うちの子は文章題が苦手だ」などと言っている母親がいますが、アホの骨頂です。すでに小学低学年からの手順を踏まなかったところから間違っていたのであり、時既に遅しということである。
中学期の手順
遅くとも小6の2月には、英語、数学を始めなければならない。いずれの科目も始めたら、前へ前へ進める。どこかの塾のように、学年で区切って、カリキュラムを組み、テキスト授業などしていたら、第一巻の終わりである。竹の会では、中3までのレジュメが完成しており、早い子で中1の夏には、中学三年間の数学を終わらせる。高校入試は、富士山登山に似ている。早く登山を始めた者は、次第に急となる山道を上へ上へと登っていく。もちろんそのための基礎体力あっての話しである。五合目まで登った者をのんびり登ってようやく一合目にある者が追いつき、追い抜くことは不可能である。部活をやりながらの子が、かなり上に進んだ者をどうして追い越せるなんて考えるのか、わたしにわからない。繰り返す。受験は、早く前へ、上へ、登った者が、勝つ仕組みになっている。部活で道草をすれば、無心に登っている者に、追いつくことさえ不可能なはずである。このような簡単な理屈さえ否定する人たちがいる。根拠のない否定であるから、答えは現実が入試本番が出してくれる。もともと能力が高く集中力も高いという人が稀に富士山の急坂を必死に登り追いつくということがあることは否定しないが、そのほとんどは、挫折して終わるのである。