2023.03.02
都立広尾高校合格に寄せて
高校受験とは手をかけてやること‼️
手をかけてあげなければ必ず落ちる‼️
失敗するのは、当の生徒が私との間に距離を置く、あるいは障壁を築くことに依る。
距離を置くとは、情報を隠すことに顕著に現れる。その閉ざされた心、自らを囲い込む姿勢は、私に「いいかっこう」したい、いいところだけを見せたい、そういうことなのだろうか。
定期テストの正式な報告表、通知表一切を隠すから、こちらは一切の情報を持ち合わせていない。紙に点数を書いてもらうように頼んだが、その真偽は定かではない。公式の文書ではないから。模試を外部で受けて、結果を私に知らせない。回数も自分で決める。距離を置くとは、こういうことかな。
家で母親が差配するのは、指導が事実上ないのに等しい。母親の経過報告を聞くだけというのもあった。過去問をやって、その結果をメール添付写真で送ってくる。わたしの指導はないのと同じ。都立入試の前日、天体の問題ができない、のに気づく。訊いたら、全くわかっていないことが判明ということもあった。入試前日の話しである。私が指導していたなら、早期に手を打てたのに時既に遅し。母親は、素人です。何のために過去問をやっているのか、わからない。ただ得点がどの程度取れるか、見ただけです。弱いところを見つけて手を打つ、これは重要なことです。
弱いところ、できないところをすべて曝け出すこと。指導とは、弱いところを早期に発見して、手を打つ、そこに妙手、妙味がある。
このままでは、受からない。そういう状況、それを修羅場と言えばそうなのだろう。私はそういう事態に追い込まれても、不思議と落ち着いて、対応できた。わたしが絶望したら、当の生徒はどうなるだろう。わたしが余裕ある姿勢で臨まなくてどうする。英作文がダメ、さてどうする。次の指導日には、手を示す。社会が取れない、どうする。今回ばかりは打つ手、打つ手が全て功を奏しない。理科ができない。化学式、イオン、オームの法則、重要テーマを潰していく。いろいろとテキストを使って手を入れる。数学ができない。さて、どうする。「数学ベーシック」の中から、慶應女子などの難問を抜いて、やりやすいようにして、7回解き直しをやらせる。理社の過去問を使ってのチェックは、どれくらいやったかな。模試形式の理社をやらせる。用語ノートを急遽手に入れて解かせる。どれくらいの手を打ってきたか、わからない。
最後は、正味の力を見切った。本番では、これだけは取れるだろう、という得点を見切った。ギリギリ合格ラインだった。後は、本番平均でのプラスαを期待するしかない、
幸いなことに、今年は、社会と数学が難しかったらしい。苦手科目が難しかったなら、差はそれほど開かないかな。淡い期待かな。国語と英語は、かなり易しかったようだ。これは差がつかないな。比較的得意となった理科は頑張ったほうかな。これで合格基準点を30点は上回ったかな。
高校受験というのは、わたしに全面的に任せてもらえることを前提に、すべていいことだけでなく、どんなに悪いことでも隠さないで、情報を、共有できることが必須である。そこから私の手をかける、指導が可能となる。母親が裁量でやる、口出しは、指導妨害となり、過去のそういう例はすべて不合格で終わっている。母親の口出しは即不合格❗️
手をかける、とは、わたしの、やり方である。これが、プロのやり方かはわからない。わたしの性格かもしれない。とにかく過去問を、まず解かせる。それで採点して、できないところを見つける。そこで手を打つ。今回も理科が悪くて、「過去問→検証→手入れ」という繰り返しをどれほどやったかわからないほどやった。そのために様々な手入れのための教材を探してはやらせた。このような過程は、5科目すべてにわたってやったわけだが、数学と英語は、やはり中2までの勉強がすべてとなる。だから数学は「ベーシック」(竹の会の受験レジュメ)の繰り返し、英語も「人種英語指導案」をベースにした復習が指導の中心であった。
都立入試の社会については、例年「難しかった」という受験生が多い。今年も、教科書の片隅に載っている「大阪紡績」について問われて、お手上げの受験生が多くいたのではないか。これは、指導する側の大手塾にも責任がある。社会の重要事項として扱われない扱いのため、問題集、用語集、要点整理などでは最初から載せていないのだ。
都立社会の対策としては、最近の過去問の出題内容と教科書を逐一対照して、新たな視点からの整理が必要である。それにしても社会の対策は、見えているではないか。教科書からしか出てこないのだから、変な予備校のまとめ本とか、問題集なんかやる必要はないわけで、教科書を角度を変えて整理する。例えば、産業史としてまとめる、とか、そういう対策が求められる、ということではないか。
これはこれでプロに任せていたらいい。ただし、そういうプロがいるか、という問題はある。
12月の段階で、Vもぎは、A判定でも、過去問で、社会50点、理科50点、英語60点、数学50点とか取られたら合格なんかできるはずがない。A判定と言ってもなんの根拠にもならない。Vもぎの合格基準点は、例えば、広尾なら1000点満点の700点だが、この基準点は、もぎでこの基準点を取っていれば、60%は合格する、というものである。ここはわかりにくいかもしれない。Vもぎの担当者もここのところは深い説明はしない。私見だが、模試で10人が700点取れても、そのうち60%の6人が受かる、というのであるから、残りの4人は、本番当日700点を遥かに取れなかった、ということを想定している、ことになる。してみれば、本番に必ず700点を取るならば合格する、ということを暗に言っていることになる。
だからVもぎ担当者が、700点というのは、10人のうち6人が受かる、とだけ言って、本番で700点取ってもわからないというニュアンスで言っているのは相当おかしいし、それを受けていろんな塾の人たちが、それを前提にいろいろ述べているのもおかしな話しなのではないか。模試時点で700点取っても本番で700点取れるのは、60%だ、と説明する方が余程わかりやすい。合格は上から順に定員まで決めていくのだから、700点で定員に満たなければ700点取れば全員合格なのは当たり前の話しでしょ。
だからわたしは700点を一つの目安として、それを上回るような手立てをしてきた。本番で700点を越える得点を取ること、そのために、かかり切りで、指導してきた。毎日患者の容態を診る医師のようなことをしてきた。脈拍、血液検査、体温、そうした諸々の処置と同じような総合チェックを欠かさずやり、不穏なところを発見し、処方してきた。それは日々の処方の積み重ねであり、その効果が表れるかは、必ず過去問で調べた。わたしに指導を任せるというのははそういうことであり、母親がいろいろ差配するのは、妨害でしかない。母親は邪魔をするのである。だから合格者の母親は一切まるで無関心かのように口出しをしてこなかった。どの模試をどこそこで受けさせたなどという事後報告をしてくる母親もいたが、受験は成功した試しがない。これと対極なのが、子どもが一切の情報を出さないのに、母親が一切何も言ってこないことだ。模試も勝手に受け、結果も知らせてこない、それで母親が一切黙している、これも奇異なことではある。
母親にも、説明会には熱心に参加し、ママ友仲間と情報交換し、ネットの検索も毎日のようにやる。そういうことで受験の情報は誰よりも詳しい、というのがいます。こういう母親はよく口出しをしてきますね。しかし、私から言わせれば、ただのど素人にしか過ぎない。実際に、子どもを教え、教科の内容に精通し、過去問を解き尽くし、過去問を知り尽くし、その上で、子どもの実力を知り尽くしている、入試指導歴40年に及ぶ、わたしに何を言いたいのであろうか。
手をかける指導をとことん突き詰めてくると、最後は「素」の力、実力、もうどんなに悪くてもこれだけは点が取れるだろう、というのが、見えてくる。私はだから最後にその生徒に「あなたの素の力というのはこうだ」と、5科目の素の点数を示してやる。この点数が合格基準ならなんとかなるかな、と少しだが安堵するわけである。だが、生徒には、危ない、と思わせておく。プラスαがなければ安心できない、と決して緊張は解かないようにする。