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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

都立御三家、日比谷・国立・西時代か、小石川・桜修館か/貫くべき塾の姿勢

2018.03.16

 

 利益優先の塾の姿勢が子どもをねじ曲げる構造

 このところ大手塾に限らず2年、3年とそれぞれが小3なり小4なりにこの塾と決めた塾で学んできていよいよ受検、しかし失敗、そういう過程をとる人たち、倍率8倍前後ともなれば、当然にそういう人が多数派なのであるけれど、そういう志し厚き人たちが竹の会に問い合わせて来る、そういう人がよくあるわけです。それで入会試験をしてみてわかること、やっぱりと想像したとおりにできない、そういう真実を実際例で確認することになる。受検で失敗するまで、自分のあまりにもできない、それは基礎学力がないということなのですが、そういうことに気がつかないというのがわたしには不思議なわけです。親も子も塾を信じ切っている。これは塾というのが相当に巧妙な嘘をついているということであるのか、親は塾に相談すると「大丈夫です」と言われて、それを信じる、そういうことなのだそうですが、同じ塾をやる身として「大丈夫」などということがよく言えるものだ、と驚くばかりです。

 世の中には信じられない親がいる。自分の子の能力がどれだけ高いと思ってか、小3、小4で平気で大手進学塾に入れる。2年なり通って、落ちこぼれて、ようやく自分の愚行を悟るしかない、こういう親が多すぎる。かと言って決してダメだと言わない地元の塾がいいわけもない。本物の塾を探す、見つけるということは、それくらいこの東京では難しいことになっている。わたしなどは塾というとその内実を知っているだけになんとも胡散臭い感情しか持ち合わせていない。

 さてその竹の会であるが、他の塾と一線を画する、姿勢というものは、厳として「ある」と思っております。それは、常に指導に全力をかけるからこそ言えることであると思っていますが、いつも1回の指導にかける思いは強く、それは失敗すれば退塾も辞さないという姿勢で臨んでいるということです。世間一般の塾の態度とは真反対の姿勢です。巷に溢れる塾は、多かれ少なかれ「止めてほしくない」「止められたくない」という思いがまず核にあり、そこから諸々の言動というものが発せられるということです。「大丈夫です」という塾の常套句もその文脈で理解できるのです。大手を始めとして、巷の塾というのは、塾本来の果たすべき使命というものを犠牲にしても利益を確保することで一貫しております。止められたら困る、それで親に阿り、子に媚びる。そういう姿勢では、子に対して、本来為すべき指導というものが為し得ない、この機嫌を取りながらの指導に意味はない。また塾の信念を貫かないで、親の言うことに阿る塾の姿勢などに子の未来のあるべき位置など最初からない。そういうことを嫌と言うほど味わってきたからこそ、わたしは竹の会渋谷教室ではわたしの信念を貫く、そのためにこの最後になるかもしれない一年、一年に今のわたしの信念を貫き通すことにしたのです。竹の会は「いつ止めてもいい」とわたしは渋谷教室に移転したときに思いました。渋谷教室を開設して今年の5月6日で満6年、7年目に入りますが、ほんとうに生徒はほとんど集まらなかった。さしたる宣伝手段も持たない、この無名の小塾にわざわざ、大手などを蹴って、あるいは地元塾の便利さを棄てて、来る人などいるはずもなかったのです。それでもわたしは信念を貫くことにブレはなかった。わたしの渋谷教室という夢の実現をまさに夢見てきたのです。「東京の渋谷に名塾あり」と23区の人たちに言われるようになりたい、そういう夢は持ち続けてきました。

 それでもけじめをつける姿勢が子を正しく導くということを信じております。人もろくに集まらないのに、せっかくわざわざ「竹の会に入りたい」という熱い思いを抱いて見えられた親御さんに、入会試験の現実を示して、お断りしてきました。教室には閑古鳥が鳴いているのに、お断りしてきました。生徒がこれほどいなくなれば、塾は続けられない、そういう時期もありましたが、そのときは潔く廃業する覚悟はできていました。塾の一分は貫き通す、そうでなければ苦労して渋谷教室を開いた意味がない。指導が功を奏さない、それがいちばんのストレスです。こういうときは、礼を尽くして、退塾していただく、それがいちばんいい、お互いにいい、そう思っております。おそらく竹の会であれば、基本的な素養だけは確実につけてあげられる、それはわたしには分かっておりますが、竹の会はそういう塾ではない、いや渋谷教室はそういうところではないとしてスタートしました。こんな無名の塾が入会試験をやるのは、勉強という世界に身をおく価値を有する子をのみを指導したいというわたしの強い思いからです。わたしにはもう残された時間は少ない。元気なうちに、1年でもいい、2年でもいい、わたしの思い通りにやって、竹の会を終えたい、今はその思いしかありません。わたしにはその子を見れば、その子が向後どうなるのかわかるのです。そういう勉強姿勢では結局塾に無駄にお金を使う、そういうことがわかるから、それはわたしの良心が許さない、ということなのです。ですから、わたしが、退塾を言うのは、ほかに悪意などなにもないのです。竹の会というのは、確かに、成績不振児を指導してもそれなりに伸ばすことはできる。しかし、だからといって、そういうことを期待して来てほしくないのです。どうかそこのところを理解してほしいのです。わたしがもっと若ければそういう子たちを熱心に指導して燃え尽きるという選択もあったとは思いますが、今はわがままを言ってもわたしの信念を貫くしかないのです。

 ◎竹の会には過去問合格法というスーパー指導法があった

 過去問合格法は、わたしの思う以上に、何か想像を超えた、見えない、強力な、力が、働くようだ。 この力がなにか、おそらく、過去問、年度単位、総合的な完結性、影響し合う様々な、何か、そういう諸要素が相乗的に大きな力となって、相互作用という言葉だは形容できない、大きな力をもたらす、それが真相なのではないか。 過去竹の会で、奇跡的合格というものが、数多もたらされたのは、わたしの想像をはるかに超えた過去問合格法のなせる技ではなかったのではなかろうか。

 過去問合格法は、竹の会が昭和60年10月に開設して以来、一貫して取られてきた、わたしの方法であった。過去問合格法を駆使するには、その前提として、ありとあらゆる過去問を過去、時には30年間も遡って解くことが必要である。首都圏の高校なら高校のどこの過去問でも過去何年にも遡って解き尽くしていること、つまり知り尽くしていること、さらにはそのそれぞれにわたしの考案したオリジナルの解法を創出していること、これができて過去問合格法は初めてその強大な力を発揮する、わたしはそう信じている。竹の会という小塾が過去幾多の奇跡的合格を打ち出してきた背景、いや真実はここにあった。この過去問合格法が実際に使われてきたのは、都立中高一貫校では、平成22年~23年までであったと記憶している。24年から、今の中軸的指導法であるレジュメによる指導が本格的に開始した。もっとも高校入試では、平成17年からレジュメ指導が開始し、20年の西合格へと結実している。竹の会はレジュメで合格へと導いていく、その基本姿勢は変わらないけれど、今年の富士合格に見る、過去問合格法の威力はやはり、すごいものがある。奇跡的ともいう効果抜群のこの方法を眠らせておくのはもったいない。だから今年の指導では、過去問合格法を見直し早くから導入することにしている。

 

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