2018.08.31
27日までに生きて父に会えるのか、26日の指導が終わると次の日の夜も明けきらぬ朝、東京を発ち、途中姉と車中で落合い気も漫ろに故郷別府に向かう。持ち直してもいつこの世を去るのかわからない、心を遺してまた子どもたちの待つ、東京に戻って参りました。
🔵わけがわかる、答案をかけ~「わけがわからん」という基準について
わけのわからんおっさん、おばさん、そして若もんがうようよいるのが、この世です。ただおっさん、おばさんは、確実に、目先の損得で動いている。だから、塾の選択で失敗する。無料というのに弱い、ただに弱い。無料に心が壊れる、崩れる。大手塾はこの辺のおばさん心理をよく知っている。一旦無料体験で入ると、その少なくとも5割以上、わたしの想像ではおそらく8割がそのまま続けることになる。これも人間の本質、現状を変えることを嫌がるという心理、をよく捉えた、いや計算したしかけである。人間というのは、何か新しいことに挑戦する時は、大きなエネルギーを必要とするが、一旦やりはじめたことは、逆に止める方がエネルギーがいる。そのまま続けるほうが楽なのである。この人間の性向が出やすいのは、そのままのほうがいろいろ新たに面倒がない、気楽だ、という心理からである。毎日続けている、習慣化した選択、行動を変えることを嫌がるのは、人間の本質に根ざす心性かもしれない。とにかくも無料で取り込むという、大手の先行投資はかなり利回りのいい投資となることは疑いない。確実に元の何十倍にもなって返ってくる、元をとる美味しい話しである。が、しかし、わたしに言わせれば、これほど子どもをスポイルする選択はない。そもそもそういうものに引っかかる親は、塾のなんたるかを考えたことはあるのだろうか。 学校の優等生と言われた子でも、わたしの経験では、割合などの基本が、まともにはわかっていない。ましてやその他大勢の普通の子たち、それ以下の子たちにとって、大手のやる授業は、無駄、子どもたちは1年、2年かけて、この最も重要な時期を、無駄に過ごすことになる。 いや学校の優等生クラスの子たちにとっても、実は取り返しのつかない、時間の無駄を選択している、ということである。わたしの経験では、学校で、「よくできる」が、8割以上ある子たち、この子たちでさえ、大手のテキストと授業を受けて、1年も経って、実は、何にも理解していない、ということである。テキストの予習、復習はきちんとやって、大手のやる土曜テストなどで、いい成績とって、実は、何も理解していない。ただテキストのベタな問題が、解けるようになっただけ。つまりは、簡単な、超ベタな問題の答えの出し方を覚えた、そういうことである。優等生以外の子は、ベタな問題も解けない、そういうことになる。 こういうところに、無料に釣られて、我が子を放り込む。そして後は、塾がなんとかいいようにしてくれると、甘い期待をする。わたしが、バカ製造過程だと言う意味を本当に理解する親は少ない。 大手に1年いたという小5、2年いたという小6、そういう子たちが、よく竹の会に来たけれど、その子たちの実態は、あまりにも酷すぎた。共通していたのは、親が、自分の子がどれほどできないか、全く、あるいはほとんどわかっていないことだった。いや優等生の親は、できるとさえ思っている。ただこのまま大手では不安だと思っていた、だから竹の会に問い合わせてきたということである。 そういう子たちを診断してわかるのは、計算力が、悲しいくらいに「ない」こと、そして割合を全く理解していないということ。優等生と言われてきた子たちも、割合となると、ベタな問題にようやく答えられる程度、それもどうやら暗記した解き方を思い出している、そういうのがわかる。大手にいた子というのは、解き方を覚えて、問題を解くとは、その覚えた解き方を思い出して、あてはめることだ、と洗脳されてきた。それはテキストと授業によって、予定のカリキュラムを進めるという大手側のスケジュールに合わせたシステムに本質的に内在する、意図的ではない、当然そうなるしかないという意味の洗脳である。 こういう訓練をされてきた子を、わたしは大手に汚染されたと言ったまでのことである。 そしてこういう子たちに、竹の会の訓練をすることは、実はもともと困難なことだったのである。なぜなら「暗記することが理解する」ことと教え込まれた子に、思考の芽を期待するのは、正直絶望に近いからである。 さらには、優等生と言われる子たちに多いのだが、彼ら彼女らが、大手でかなり都合のいいように、曜日単位に、習い事、稽古事にせっせと通っていて、彼ら彼女らが、勉強と両立させている感が強く、だから、「6年生になったら、習い事を減らす」などという考えがて出てくるわけです。そもそもの勉強観が大手前提の暗記で土曜テストでトップクラスということで、勉強というものを舐めているわけです。
これが進学教室型の大手ですと、はっきりと「落ちこぼれ」というのが、出てくるから、親も家庭教師つけたり、大手のための補習塾にも通わせたりとそれなりに現実を知っている。しかし、公立中高一貫校型の大手だと、子どものできないことをあからさまにしない商法が取られていて、1年2年もいると親も本人も気づかないうちに、バカが進んで取り返しのつかないところまで進んでしまっている。 だからわたしは、大手に1年2年いたという子は、これからは取らない、そう考えている。
解き方を覚える勉強をしてきた子が陥る、混沌地獄、これは救いようがない。定義から思考を積み重ねていくという習性は小3、小4期をそれこそミリ単位で訓練して、積み重ねていく地道な努力によってしか得られないものであり、この期間を特に公立型大手で無為に過ごした者、いや暗記型の教育、つまりテキストと授業のセットで、固定化という訓練を受けてきた子たちには、もはや後からいくら訓練しても固まってしまった型が、柔軟な、型のない思考というものをはねつける。なんとも恐ろしい副作用である。
わたしは、大手を引き合いに話していますが、中小塾というのも、本質的には変わらないと思います。 テキストと授業という手法をとっていれば変わらないからです。個人塾だと、授業のほかに個人指導というのをやるが、これも結局は、解き方を親身にわかりやすく教えるだけで、教えられる本人は、わかった気になるだけで、ここでは、わかりやすく教えられるという習性が定着するという、これまた恐ろしい副作用を、覚悟しなければならない。「 教える」というのは、「わかる」を犠牲にした、思考破壊行為であるという、薬にも似た行為であること、効くのは、毒だからだという、あの痛み止めと同じ効用なのだということを忘れてはならない。 できれば、薬など使わない自然治癒がいい。その方が、強い体力を作るからだ。わたしが心がけているのは、自分の力で考える、考える芽を大切に損なわないように伸ばしていくこと。ここで教えるというのは、薬を使うことに等しい。わたしは、考える環境を整えること、科目を教えるのではなくて、思考の取り扱いを説明すること、言うならば思考の方法を教えることに集中しているのにほかならない。子どもたちは、考えて解いたことが、それこそが、いやそれだけが、思考の栄養になる。それは、喜びという脳へのご褒美になるということを体感していく、体験していく。要は、その積み重ねである。竹の会の指導というのは、思考力を作る、育てる、その意味するところは、都合以上のような「わけ」である。 「わけがわかる」ということ、これが、なんにしても究極の目標なのかと思います。
世の中わけのわからないことばかりだという嘆きもありますが、この時に言われる「わけ」とは、何か、物の道理、筋合い、当たり前として理解していたこととは背反すること、そういうところなのかと思いますが、「わかる」というのは、どういうことなのか。よく「つながった」とか言います。これは関係性のことを言っているのだと思います。「わかる」というのは、関係が「わかる」ということになる。「合点がいく」というのもある。点が合う。これからは、「一致する」が、出てきます。
さて、勉強の世界の「わかる」です。これはもう、意味が取れる、の意味ですね。昨今は、教科書の読み取りができない小学生、中学生が、ほとんどではないか、という指摘があり、教科書も読み取れない小学生に、授業などもともと意味のないことではないか、ということも言われています。何がいけなかったのか、英語、英語と早期に始める親がいますけど、文科省もなにやら英語をどうのこうのと言い出した。ますます日本古来の文化を学ぶことは蔑ろにされる。帰国子女という英語は話すが、日本語の基本もわからないバカになにができるのか、ということである。テレビに出てくるバイリンガルの日本音痴、まともに日本語を話せない、漢字も知らない、諺も知らない、古典にも無知。そんなバカが英語が話せるというだけでチヤホヤされる、アホか、これを見てバカ親が、こどもに英語をと勘違いの暴走を始める。もともとの大切な日本語の基礎を疎かにする。漢字も知らない、字もまともに書けない子にしてしまう。日本の歴史、古典、文学も知らない。やたら英語ボケした、化け物を作り上げる。 企業もただ英語が話せるというだけでは、使えないということが、わかってきて、仕事力のある人間が求められるようになっている。
さて話しは横道に逸れましたが、塾の仕事が、「わかる」を着地点とするとして、大手のように「わかる」を演出する、キャッチフレーズで謳いあげて、中身は「なし」というのに簡単に騙される親たちの無分別は笑うしかないが、無料体験、無料夏期講習というのもあるらしく、さて、このようなものに参加して、1日何時間、それを何日体験したか知らないが、それで何が得られるか、という話しである。
※振替のないこと
竹の会では、振替はお断りしております。もともとAしかなかった時代には、振替はそもそもありえなかったのですが、最近入会された方には、入会規約にその旨お断りしていても振替をお願いしますと言ってこられる方がいまして、もちろんお断りしています。振替を言うのは決まってAの親御さんですが、私は、渋谷Bを便利に使って欲しくない、という気持ちもあります。AとBは、全く別システムであり、便宜に扱って欲しくない。AとBが、いつも振替で利用されている状況は良くない。さらには一旦認めると、振替が義務となり、常に振替可能となるわけではないことから、これは窮地に立たされる。 そもそも竹の会の指導とは、長期の見通しの下に、ある程度の期間を見て、指導計画を立て、レジュメを組むものであり、一度休んでも、期間を見ての指導に影響はない。振替を言う者は、竹の会の指導を理解していない。よく月の途中で退塾するとき、すでに期間視野の指導は不能なのに、残りの回数に出て、回数だけは出るという人たちがいますが、ナンセンスです。すでに指導を受けないというのなら、何ヶ月かの期間を想定した指導はできないのであり、意味がない。 竹の会というのは、何ヶ月か指導を受けて、効果を見る、回数で見るわけではない。
子どもたちを見ていると、勉強に前向きの姿勢に、嬉しくなります。もうとにかく私の最高の指導をしてやりたいという思いでいっぱいになります。 夏をなんとか乗り切ったことに安堵しております。もちろん体力的な心配からです。 夏の進捗の状況は一部の子を除いてよくない。 時間のかかる子は、結局あれだけ時間があったのに夏までに終わらせておきたいことのほとんどを終わらせることができなかった。遅い子というのは、二通りあって、「わからない」から遅い子、そして、じっくり考えてなんとか結果を出すのに時間がかかり過ぎるという子の2通りがある。後者は思考するというスタンスはいいのだが、試験は、時間勝負なので、ずっとこのスタンスを続けるというわけにはいかない。時間との兼ね合いで、結論を出す、時間と判断の駆け引きといったものを習得していかなければならない。前者に処方箋はない。残念ながら受検は無理である。ただもし努力することを厭わない子なら、過去問合格法の繰り返し戦略を使えばなんとも言えない。多分だめと思うがわからない。
去年もいたが、今年も課題を結局出さない子たちがいた。課題を出さない子たちが、受かる確率はかなり低い。課題イコール家庭学習時間とほぼ考えていいから、課題をやらない子というのは、家庭学習時間が極端に少ないと思われる。事実今年落ちた子たちは、課題を出さないのは、その分、何か勉強していたというのではなく、習い事、稽古事、何もしないただ怠惰なだけというのもあったが、盆正月の実家帰省、様々な家庭の事情(食事、集まり、お出かけ)ととにかく勉強はしていない。その結果の大量の積み残しが、直前期の失速を必然的に結果したというものであった。 今年は、こういう子たちに手を拱いていることはしない。手は打つ。しかし、課題をやらない子を受からせるのは、かなり厳しい。少なくとも小石川、桜修館ではあり得ない。九段、富士にしても課題をまったくやらない子は想定していなかった。課題をやらない子が、7回解き直しをやり切れるかはかなり疑問であり、7回解き直しができなければ、合格はおそらくないと思う。少なくとも期待はできない。
私の考えている、九段、富士対策
現在制作執筆中の、「適性試験のための計算問題」は、100問を目標にしている。もうすぐ80問に達する。九段対策の切り札となろう。九段はこれと、別制作の「適性試験の理科、社会」だけで受かる、そう考えている。竹の会都立中高一貫指導12年の蓄積されたノウハウとデータをこの2冊に凝縮したつもりである。竹の会の最高傑作になるはずである。
小5から来て受かるか
この一般的な問いには答えようがない。その子が知能の高い子なのか、並以下なのか、並よりやや上なのか、家庭の協力の程度、本人のモチベーション、実行力、それまでの塾経験の有無、それまでの塾のもたらした影響などを勘案しなければ何とも言えない。例えば、本年桜修館合格の子は、小5の夏から、準合格、課題は完璧、レジュメの進捗もいい、それまでの塾は、元四谷大塚の先生の個人塾だそうで算数を習っていたようだ。そういう経歴であった。 本年富士合格の子は、小5の夏から、塾経験なし、レジュメの進捗はギリギリ可、不合格が多いが、水準の問題は解ける、課題はギリギリ可、そういう経歴であった。ちなみに、いずれも習い事、稽古事一切なし。 並以下の子が、仮合格では、普通には、受からない、と思います。
小4からだと、仮合格でも、力をつけていくのは、次のような事情からだと推測されます。 まず、それまでの塾の影響がない。大手の悪癖がない。無垢の状態なので、竹の会の色に染めやすいこと。 次に、小4の間に、じっくりと時間をかけて基本を叩き込むことができること。小5の期間を基本のさらなる補充に当てられること。小5の期間に先取りして進められるなどの計り知れないメリットがあります。こうして満を持して小6を迎えることができるのです。 これが小5に来た子だとこうはならない。例えば、4月に来たとして、まず計算に2か月、割合の基本に6から8か月、するともう10月から12月になっている。これまでの経験では、14月どころか、翌年の3月になっても、例えば、割合基本5部作を終われない子が続出している。小4の4月に来た子が、遅くとも小5の夏前には、5部作を終えていることとの差はあまりにも衝撃的較差である。 ちなみに5部作とは、「算数の魁」「思考の鍵」「小学思考の素〜割合問題編」「新小学思考の素」「小学思考の素〜その他の問題編」、のことである。 小5から来て受かるか。並の子には無理である。受検に落ちる子というのは、遅い、解けない、やらない、子である。つまり、速い、解ける、やる、の合格3鉄則が、欠落している、子である。 レジュメを渡されたら、5分〜10分で出すこと、その正解率が高いこと、これが合格する子の典型である。だからずっと出せないでいる、出してもほとんど間違っている、こういう子は受からない。 試験というのは、時間との戦いである。時間があれば解けたという人はいくらでもいる。それは当たり前である。試験は、時間を制限された中での、正解率勝負なのである。とすれば私たちが、やるべきことは、時間の使い方を戦略的に、訓練することである。これからは、5分と決めて解く、問題の読み取りに一気に没入する、集中濃度を一気にハイに持っていく。よくお腹が空いた、などと言っている子は、合格の脈はない。空腹は、集中には必須である。満腹では、思考は働かない。試験本番では、空腹が基本である。 レジュメをもらったら、5分でやりあげると決める、それからすぐ取りかかる、一気に精神を集中させる、そう、一気に問題の中に入り込む、そうしたら、もう一気呵成に、判断する、結論を出す、そういう習慣をつけるのです。