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都立日比谷という選択

2023.04.10

都立日比谷という選択
 都立日比谷ともなるとその受験者には、内申はオール5に近い生徒たちが、一定数いるのだろう。しかし、この学校が、早慶などの難関私立の併願校であることを考えると、40前後から45の間にある生徒が8割を占める、と思われる。私立第一志望者は往々にして内申を軽視する傾向があるからである。
 日比谷は、開成、筑駒の併願校でもある。中には、開成に受かって日比谷に来るという生徒もいるだろう。
 オール5クラスは、推薦選抜試験を受けてみる、だろう。ただし、開成、早慶志望の生徒は、推薦は敬遠するだろう。受かったら入学手続きをしなければならないから。
 オール5クラスのほとんどは、併願校としてというより、第一志望なのだろう。今の内申制度を考えると、オール5には、「実力なし」が相当数含まれると思われる。つまり、推薦落ちたら、格落ちの都立の一般入試に回る、と思われる生徒である。
 こうして、推薦合格というのは、喜んでいいのか、わからない。なぜなら、その大半は、落ちこぼれ予備軍となるからである。
 日比谷は、上位層は、開成、筑駒、早慶受験組が、その合否はともかく、占めることになる。
 なお、話しは変わるが、上位の都立高校の生徒の大半は、数学で落ちこぼれる、のを知っていますか。高校数学は、開成、筑駒、早慶クラスの受験勉強をしてきた者でないとついていけまい。つまりは、受験勉強を極めた連中が上位を独占するのであり、都立第一志望で内申を取ることに懸命に励んで来た者の出る幕はない。
 落ちこぼれは、英語でも落ちこぼれる。英語の落ちこぼれは、二とおりある。
 高校のリーダーは、一単元で出てくる単語の量が半端ない。定期試験の対応は、この単語量で潰される可能性が強い。これは難関私立の受験をやってきた生徒たちには、問題なくクリアできていることである。
 二つ目は、単純に怠けるからである。部活に熱中するのももちろんこれに属する。
 上位都立の高校生の大半は、数学に理解が追いつかない。ほとんどの生徒が「わからない」「難しい」と諦める。私大文系しか選択肢がないのだ。
 高校数学は、中学からの連続性がないとまでは、言わないが、高校受験の科目としての数学とは、一線を画する。断層が明確である。
 数学固有の記号言語を駆使して理論を積み上げていく、という数学本来の思考パターンに馴化ができないのだ。
 まず数学は数学固有の言語である記号言語を数学語として使うということを知らなければならない。ここでは、記号言語の定義の正確な理解が基本になってくる。まず、数学は、理解するためには、数学固有の言語たる記号言語を正確に頭にたたき込まなければならない。言語の定義は、正確に覚えなければならない。数学は、記号言語の定義のところが、最も大切である。ここを曖昧にしたり、飛ばしたりするから、「わからない」とか、「難しい」とか、嘆くことになるのである。
 何が言いたいか、と言えば、高校数学は、最初の定義とその運用のところさえ理解すれば、それほど難しいものではない、ということである。多くの高校生が数学で落ちこぼれる実態は、誰かそこのところを要約的に説明してあげればクリアできることなのだ。しかし、高校教師にその役目は期待できない。それなら予備校の講師か、ということになるが、予備校に行っても「わからない」という生徒がたくさんいる現状は予備校がその役目を果たしていないことを推測させる。そもそも数学を「教える」というのは、数学の得意な、いや専門的にやっている先生たちには、できない相談なのだ。わたしのように数学ができなくて、苦しんできた者にしかわからない。教科書の説明を読んでもそこから問題が解けるということにはならない者がたくさんいるのである。そして授業を聞いてもわからない。それは教科書の基本のところはあたりまえとして飛ばしていきなり問題を解く、その説明をやるからである。進学校の授業は基本なんかは自分で理解しているだろ、の前提である。わたしが苦労したのは記号言語というものが特別なものだということを知らなかったからである。国語力で数学を理解しようとしたからである。数学には数学を理解するための言語があるのだ、ということを知らなかったのだ。
 「要約的に」説明する、ということについて
 指導というのは、子どもにどうやって簡潔に「わかる」を伝えるか、に本質がある。
 例えば、小3に、小数の計算を説明するとき、指導レジュメは必須であり、それに、簡潔な、つまり超要約した言葉で勘所を伝えること、これである。その意味では、指導語というのがある。子どもの脳にスッと入っていく、言葉というものがある。
 この指導語は、長い間に、子どもに「伝わる」語として淘汰されてきたものであり、子どもの脳内で、思考語として思考細胞に取り込まれていくものである。つまり、子どもは、わたしの指導を通して、思考の用具たる言葉を獲得していくのである。反復し、繰り返し吹き込まれて、子どもは思考語を自分のものとして、問題に対して、その思考語を使って考える、までになる。都合「指導」の要点とは、思考を作るという目的に則して織りなす言葉の当意即妙にある。
 また竹の会では、指導を助ける、いや指導が助けられると言った方がいいのか、レジュメの果たす役割が大きい。竹の会の指導レジュメは、一つの芸術作品として、その基準は、「一瞬にして理解」に置かれている。つまり、このレジュメを読めば、氷解する、というものとして、位置付けられている。
 レジュメ作りは、一問完成させるまでに、時間のかかる工程をとる。まず、良質の問題探しから始まる。わたしは好んで「みくに出版」の過去問題集を使っている。毎年最新版が出るが、熟読して、良問の匂いのする問題を探す。「これ」という問題を見つけたら、まず解いてみる。それでも良問と得心したら、初めてパソコン作業に入る。問題レジュメを制作。ただし、問題には手を加える。次に、解説レジュメを執筆する。簡にして要を得た、要約を極める解説を心がける。図を要所に配置する。図は全くのオリジナルで、カラーで色彩豊かにする。百聞は一見に如かず、つまり、図が全てを一目瞭然に語ることもあるのだ。図に加えて、説明の妙を図ることもある。解説レジュメが完成すると漸くレジュメ1セットが完成する。適性問題レジュメもそうだが、実はわたしのレジュメは、算数や数学において、その説明の妙を遺憾無く発揮する。英語は、流石にwordで作るが、芸術作品に匹敵するレジュメは、専ら数式ソフトに依存する。このソフト、なかなか厄介もので、これまでに何台も新パソコンを壊している。何層にも渡る図を重ねるとパソコンの基盤が壊れるという厄介な奴だ。思わぬ、苦労を強いらながら、竹の会のレジュメは、作られてきた、いや生まれてきたのだ。
 どうせ作るなら、最高水準のものを作りたい、そういう思いが、今の竹の会のレジュメが、合格者を作るほどのものになり得た所以なのであろあか。

 

 

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