2023.05.02
⭕️竹の会数学の系譜
開成合格、筑駒合格、滑り止めの渋谷幕張特別特待生合格、ついでに受けた城北は時間が余り余裕の合格
数学だけは、参考書なし、外部教材なし、竹の会のレジュメだけで合格した、竹の会数学レジュメの威力
竹の会のレジュメ誕生の秘密
竹の会は、教材ゼロ、資料ゼロからスタートした。あったのは、わたしの大学受験経験だけ。家庭教師の経験はあります。国立附属中合格、トップ県立校への編入試験10倍突破など実績はありました。昭和60年,竹の会の教材は教科書と過去問のみでした。わたしは、首都圏の過去問を買い漁りました。高校受験を重ねるたびに竹の会の所蔵する過去問集は膨大な量に達しました。過去問は、最初は学参、すぐに声の教育社、コピー用としてプリント形式のものも300冊以上は集めました。いつしか首都圏のほとんどの高校の過去問が30年分以上集まりました。中学受験の過去問も有名なところはすべて集めました。わたしは入試のたびに問題を解いていましたから、いつのまにかほとんどの学校の問題を解き尽くしていました。竹の会ではこの過去問をそのまま指導に使いました。平成一桁の頃に、教科書と過去問をベースに竹の会の数学のオリジナルテキストを執筆しました。英語は、受験英語を極めるために、市販の高校の有名参考書、大学受験用参考書、学校採用の教材(プログレスなど)、塾専用教材など読みまくりました。青山学院など私学のプリント教材を手に入れることができ、それらを参照しました。東大教養学部の英語テキストも訳しました。満を持して竹の会オリジナル英語テキストの執筆に取り組みました。
こうして竹の会には、教材ゼロ資料ゼロから数年にして、過去問合格法を確立し、平成10年には、過去問合格法による早稲田実業高校合格を輩出したのです。わたしは、平成10年代には、高校英語、高校数学に取り組み、早稲田大学理工学部、慶應大学総合政策、上智大学経済などの合格を勝ち得ることに成功しました。大学受験の英語、数学の指導経験は、竹の会の高校入試の指導に深みを与えたことはもちろんでした。令和4年合格の開成、筑駒の指導に、この大学受験の知識が役に立ったことは隠しません。開成の英語、筑駒の英語、すべてわたしの掌の内にありました。
過去問合格法の集大成として、「入試数学ベーシック100問」を編集し、竹の会の受験数学テキストとしました。解答は、すべてオリジナルな解法を手書きで書き込んで作りました。
ほかに何冊か問題集を編集したのですが、今残っているのは、これだけです。
レジュメ化されたベーシック
平成17年一人の少女が中1になるのに合わせて、数年間購入後寝かせていた、ある数式ソフトを使って、竹の会の数学体系のレジュメ化事業に取り組みました。少女の成長に合わさせて、これまでの蓄積をレジュメ化していったのです。少女が中3になる直前(平成18年)に完成しました。少女が中3になってからは、偏差値70の数学に絞り、レジュメ&解説集を制作していきました。
少女は、平成20年2月豊島岡学園に合格、3月都立西に合格を果たしました。竹の会の数学レジュメはこの少女の成長とともに完成したのです。その後、慶應藤沢中学受験の小6のために、慶應中等部、普通部の過去問の解説を執筆し、その中から確率の解説をまとめたものを高校受験用に転用しました。
過去問合格法からレジュメ指導に転回が完成したのは、平成20年をもって嚆矢とします。
竹の会の数学のレジュメは、解説解答にこそその真価を見るであろう。わたしは、難関校の過去問を丁寧に解き明かしながら、高校入試に必要とされる数学テクニックを漏らさず、説き尽くしました。わたしのレジュメ集を勉強するだけで、平凡な中学生が、Vもぎ90点を可能にしたのです。滑り止めの国学院久我山の数学本番でも90点超だった生徒も出ました。共通問題は「ベーシック」だけでよかったのです。開成、筑駒に使った、「ファイル海城」「ファイル学芸大」「ファイル慶應」が駿台模試1番を実現しました。
数学はわたしのライフワーク❗️
わたしは、数学ができなかった。旧帝大に合格するためにわたしは数学を独学で克服した。九州大学入試では、数学95点が取れた。国立大学は数学で決まる❗️ 入学後わかったのは、多くの学校の秀才たちが入試では数学は50%ほどで合格していたことだ。わたしは合格の基準を高く置き過ぎていたことを、悟った。わたしは独学で受験したので、つまり予備校、模試という制度をスルーしたので、どこまでやれば合格なのか、わからなかったのだ。だから受験科目であった、英語、国語(現代文・古文・漢文)、世界史、日本史、生物すべてについて高いレベルを想定した勉強をしてきた。
塾を始めたときも、数学だけは自信というか、こだわりがあった。だから塾を始めるに際して、最初に買った過去問は、開成と武蔵だった。まずこの2つの過去問集を解いてみたのだ。それで大したことはない、と見切り、安堵したのだった。
数年後、竹の会は数学で近隣に響くこととなった。それより前に、昭和60年12月に邂逅したS君をして、一回の数学指導でたちまち魅力し、彼は二人の東大生家庭教師を首にし、最終的に通っていた河合塾もやめて、竹の会一本にしたのだった。62年かれは青山学院高等部・市川高校に合格を果たしたのだった。
平成一桁年代、竹の会は、近隣の中学に通う生徒の中で、竹の会の塾生だけで、数学5をほとんど占めるほどにまでなった。数学の名声は近隣に響き、数学の竹の会の名を轟かせた。
わたしの数学の教え方は天性のものと思う。家庭教師時代から、「算数、数学の教え方のうまい先生がいる」という噂が広まり、依頼が増えて悲鳴を上げたことを思い出す。竹の会を始めるにつけて、東京の中学生にどこまで教えられるのか、不安がなかったと言えば嘘になる。しかし、何か自信のようなものを秘めていたと思う。
教材も何もかもゼロから始めて、数年で数学の竹の会としたのは、奇跡だったのかもしれない。
奇跡と言えば、わたしの書いた数学レジュメ(問題と詳細解法のセット)が、首都圏大手進学塾(早稲アカ・サピックス・Z会など)の最上位クラスの天才たちが使ったであろう、それぞれの塾の最高テキストの上にあったことかもしれない。そうした天才たちが一堂に会する駿台模試で全国順位第一位を1回(全4回中)、一桁順位3回を取ったのだから。わたしのレジュメだけで合格できる、わたしが自分のレジュメにもっと自信をもってもいいことを教えてくれたのが開成などの合格者だった。ようやくわたしは新たに第二ステージとなる数学レジュメの執筆に取りかかる気持ちになった。考えてみれば、平成10年に早稲田実業高校に合格したときは、「入試数学ベーシック」だけだった。平成19年に「入試数学ベーシック」のレジュメ化、さらにその年に偏差値70の数学のレジュメ化が完成したのだった。
高校入試数学は、高校数学とは、異質の世界にある。と言っても開成高校など出題に困ったのか、時として高校数学の中から出すこともある。確率や整数論は高校数学に籍を置きながらいくらでも入試で出してくる。高校入試数学は、それにもかかわらず、高校数学とは一線を画する世界にあった。独自の文化を作りあげている。3次関数、三角関数、ベクトルなどの高校数学の世界とは、別世界にある。ある意味狭い範囲の中で、天才たちを悩ませる問題を作らなければならないのだから、そこに無理もあった。使えるカードは限られてきている。だから過去問を研究することは有益な対策となるのだ。ただし、受験生がただ過去問を解くという対策は思考停止、思考低下をもたらす危険がある。だから大手の教材は過去問ベースなのである。それがまた大手のアキレス腱でもあるのだが、竹の会はそのことをよく知っていた。それだけのことである。