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開成・筑駒合格・駿台模試1番~竹の会のような市中の一介の小塾からどうして駿台模試全国1位が出たのか、筑駒・開成・渋幕高校にトップを争う合格ができたのか。  なぜトップを争う合格と言えるのか❗️

2023.05.11

🟡竹の会のような市中の一介の小塾からどうして駿台模試全国1位が出たのか、筑駒・開成・渋幕高校にトップを争う合格ができたのか。
 なぜトップを争う合格と言えるのか❗️
 駿台模試全4回で、開成、筑駒3位以内、都立日比谷全志望者中1位、慶應志木全志望者中1位、早稲田高等学院全志望者中1位を記録したこと、渋谷幕張高校では、特待生のさらに上の特別特待生に合格したこと、筑駒高校定員40人を争って、開成全合格者、不合格者はもちろん、他の難関校受験者が集った中で、合格を果たしていること、からです。
 開成、筑駒、渋谷幕張、慶應、早稲田などの 難関校をめざすメリット
 トップ都立(日比谷・国立・西・戸山)を滑り止めとすることができるほどに実力をつけられる。
 仮に都立日比谷に入ったとして、定員320人の80%は、難関国立、私立の受験者で占められるであろう。難関の不合格者ばかりではない。合格者もかなりの数いると推測される。
 そのことは、慶應女子の辞退率47%、早実の辞退率70%を例に挙げるまでのないことである。知っての通り、今は、女子が東大などの国立をめざすには、中学受験から進学校を選ばないと、高校受験からでは「ない」のだ。だから国立大に行きたい女子は、国立か、日比谷などの都立しか選択肢がないのだ。そういう優秀な女子が、日比谷などには集まるということである。もちろん東大志望の男子だって日比谷などトップ都立に集まってくる。そういう中で、内申がいいだけの学校の優等生がやっていけるか、ということである。難関私立の勉強もしたことのない、学校の受けのいい、つまり、学校行事、生徒会活動に熱心で、学校の課題、提出物も完全にしてきた優等生が、難関私立受験で揉まれた秀才たちに勝てるのか、ということである。すでに都立側も推薦合格者の入学後の成績が芳しくないことは説明会などで吐露してきたことではある。
 わたしが、都立日比谷に行きたいなら、日比谷のための勉強をするのではなく、難関私立、国立の合格をめざして勉強することが、入学後の成績を上位に置くためには、必要なことだ、と言っている理由が、おわかりいただけるであろうか。
 竹の会は、難関国立、難関私立に対応できる塾である。
 これまでトップ都立を看板にしても、難関私立を目標にしない、純粋の都立志望者は、内申が足りない、内申が足りても実力が伴わないなど、日比谷第一志望としていても、直前で、志望校を下げるパターンが多い。オール5にしても、日比谷推薦狙いであわよくばという、輩ばかりだから、受かって大喜び、しかし、待ち受けているのは、落ちこぼれ地獄。受かったとテンション上げて部活動などに所属すれば、瞬く間に最下辺を這うことになる。日比谷に行きたいというのはいい。しかし、それは合格することが目標ではないはず。合格後校内順位上位、理想は50番内、にあること、そうでなければ合格しても意味がない。
 鶏口となるも牛後となる勿れ〔戦国策韓策・史記蘇秦伝〕
 大きな集団のしりについているよりは、小さな集団でもよいから、そのかしらとなれ。
 日比谷で、最下辺にいるなら、戸山や青山で、トップ層にいるほうが、マシだ。竹の会でも都立青山で3年間学年1番で現役で東大に合格した生徒がいた。日比谷で大喜びして、落ちこぼれるより、マシということだ。
 トップにいることが、大切なのだ。トップを走るということは、トップにだけしかできない、わからない精神のランナーズハイがある。
ランナーズハイ〖runner’s high〗
ランニングの途中で、苦しさが消え、爽快な気分になる現象。
 青山で1番なら勉強に拍車がかかる。しかし、日比谷でドベなら何もやる気が起きない。
 竹の会では、都立鷺宮で3年間学年1番で、東京理科大千葉大工学部に合格した、不登校の生徒がいた。学年1番というのは、それほど子どもを高揚させるのだ。あらゆることに積極的に精力的に取り組むことになるのだ。
 日比谷に行くというのは、そういう意味である。だから、私立難関を狙う勉強こそが肝要であり、日比谷は滑り止め感覚でなければならない、ということだ。

 竹の会は昭和60年から、都立を看板にしてきた。また平成18年からは都立中高一貫校対策をも標榜してきた。
 そうすると、竹の会は、難関私立の受験はできないのではないか、と思われて、竹の会から大手に行く親子もこれまでにいた。しかし、竹の会は、平成10年に、早稲田実業学校高等部に合格させたこともあるように、難関合格のノウハウは知っていた。ただB層の親たちにはわからないだけ。また難関めざして竹の会を止めて大手に行く、つまり竹の会を信頼できない生徒の能力も底が浅い、ことは、その後大手で成功した話しを終ぞ耳にしたこともないことからも自明であった。
 子にも親にも竹の会を見抜く、眼力はなかったということだ。わたしを見くびっていた。そういう人なら、過去いくらでもいたけど。
 わたしは、開成、筑駒、渋幕にギリギリ合格させたわけではない。トップ10合格させたのだ。もしかしたら1番かもしれない。そう推測するのは、全4回の駿台模試で、全国順位1位を取って、全開成志望者中3位以内、全筑駒志望者中3位以内を堅持したからだ。ちなみに私立難関志望者は相手にはならなかった。慶應志木全志望者中1位、早稲田高等学院全志望者中1位を全4回取ったからだ。
 

 竹の会はどうやってここまで導いたか。
 基本は、竹の会のレジュメにある。竹の会では、高校受験の指導は、小6の2月開始をもって至高とする。春までに数学「中1関数」まで終わることを最大値とする。中1が終わるまでには、中3数学、というか、入試数学を終わらせることを理想とする。英語は、小6の2月から春までを目安に英単語500語を覚えるのが習わしである。中1文法の前半はたいてい春までに終わらせている。つまり、高校受験にとって、最初の春は、今後の、3年間を決める、重要な節目となる。春から一気に駆け抜ける、これが、竹の会のやり方である。
 徹底して、レジュメをやることが、そのまま受験対策となる。
 中2の指導
 夏休みまで
 「新英語指導案」を終わらせる。終わらせるたとは、都合3回回すこと。英文解釈の訓練をする。高校用教材を使う。夏休みは、英文解釈をとことんやる。特に、英語5文型思考を確実に身につけること。
 竹の会が、難関国立、私立を制するために、具体的に何をやっていたか、いるか、これは書けないことは、ご理解ください。ただ竹の会には予め決まった方法というものがあるわけではない。戦いの場で、私が最良の方法を考える、だから子どもの能力によってやり方は異なってくる。開成、筑駒のときは、国語がいずれも全問「記述式」だったので、ここは戦略をめぐらした、ということはあります。その前に、読解問題そのものを取れるようにと対策を取りました。そのうえで、記述対策を講じた。私は、よく自分のこと、やり方を、戦国武将の傍らにいて策を授ける軍師にたとえることがある。豊富秀吉に、黒田官兵衛、竹中半兵衛という名軍師がいたように。軍師は戦いに勝利すべく戦略を、練り、策を講じる。
 わたしは、この策を立てて、戦略を練って、軍を勝利に導く、そういうことが、生まれながらに、得意なのだ、と思う。
 敵を読解に見立て、わたしは策を講じた。策が当たり、わたしは読解を克服させた。しかし、敵は、記述式ということになった。そこでわたしはまた策を講ずる。次に、打った策も見事に的中して、わたしは、国語という科目を克服させることに成功した。
 英語長文の読解のための策、英文法のための策、わたしは、難局に突き当たるたびに策を講じて、突き破っていった。だからわたしは受験の軍師なのだと思う。英語は、駿台模試で85点を取っても全国順位は70〜80番ぐらいだ。目標の10番内を取るにはどうすればいいのか。英語は得意な生徒が多いということがわかった。そこでわたしは秘策を実行した。この秘策で一気に7番の点になった。そこでわたしはその秘策を完全にするために、また策を講じた。この策は英語全国1位を可能にする作戦だった。
 国立の理科、国立の社会、わたしは、開成、国立に通じる定本(参考書)のないことを改めて悟った。そこで戦略を考えた。定本がないということは、実際に出された問題から範囲を地道に確定していくしかないのか。そこでわたしは全国の名だたる学校の理科、社会の問題のみを集めた市販の問題集を探した。3種類ほど見つけた。それから大手塾の理科、社会の難関向け教材を手に入れて内容を精査した。また、わたしが、昔からよく使う「ある方法」をやるために、年度版で出る「ある本」を10年分集めた。基本事項を身につけさせるためには、大手教材会社の「マイクリア」を採用した。さらに旺文社の「総合的研究」シリーズを渡して読ませた。こうして、わたしの理科、社会の軍策は実行に移された。中2の秋のことであった。
 数学は、最も簡単に駿台模試トップテンを実現した科目であった。投入したのは、竹の会の最強レジュメ「海城ファイル」「学芸大ファイル」「慶應ファイル」だった。海城と言っても、中身は、海城の問題はほとんどなく、偏差値70以上の難関高校の問題ばかりを扱っていた。直前には、家庭学習用として、関西の難関高校の問題ばかりを特集した問題集を渡して、毎日1問解くことを命じた。数学は竹の会の最も得意とする分野であり、特に、苦労はなかった。比較的楽に全国トップになれた。
 竹の会は、私は、受験軍師である。受験戦争の中で、勝ちを導くために、策を講じる、これが私のやり方である。

 

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