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難関校の高校受験 わたしたちは、既に答えのある問題を解け❗️と迫られている。

2023.05.20

🟡わたしたちは、既に答えのある問題を解け❗️と迫られている。
 緊急時に「考える」ということ、これは緊急時の冷静な判断が、しばしば感覚的で、後から考えれば、どうしてこんな愚かな判断をしてしまったのだろうか、と悔やまれることからも、ほとんど不可能に近い。押し寄せる危難は本能的に恐怖を生むから冷静な判断はなおさら不可能にちかい。
 これは、死というものを普段から正面から対峙して達観していないと無理と思う。秒を争う緊急時に冷静に「考える」ことなどできるのか。少なくとも凡人、日常にどっぷり浸かりきった人間には不可能に思える。
 そうではなくても、わたしたちは、「考える」というとき、答えのない問題について、いつも答えを求められている。
 さて、ここで「考える」を問題にしたのは、わたしたちは、試験勉強においても「考える」「考えろ」と言われる。たしかに、考えるということは、必要と思う。しかし、例えば、数学の問題がわからないときの、「考えろ」の意味である。これが、答えのない問題なら、わからないからと諦めれば答えはないままである。そうではなく、試験の数学、いや問題一般は、予め正解の用意された問題だ、ということである。
 数学の実力段階にもよるが、頭から考えろはない。というか、わたしはもっとも効果的な、というか正しい方法は、筋のいい解答を読むことで、ないか、とよく思う。「筋のいい」解答を読むこと、これは実はわたしが大学入試のとき、取った方法である。私は、Z会の通信販売で買った一冊の問題集を何十回も回した。問題と解答が1ページに収められた、とにかく薄い、厚すぎない本だった。ちなみにどんなに良書でも分厚い本だけは避けたほうがいい。精神を破壊される懼れ大だから。

 件のZ会の参考書は,都合200題ほどあった。「数学I・IIB」というタイトルだつたが、ほとんど数IIBの問題だった。表紙も何かの雑誌の付録みたいな体裁で、昔のZ会は質素だった。わたしには、暗記している意識はなく、ただ理解すること、反復して復習すること、しかなく,当然のように、ひたすら読んだ。200題しかなかったが、すべて最高レベルの問題、難関国立大仕様で,17,8回も読むと,さすがに私は、問題を見ただけで解の流れを思い出すまでになっていた。数式が勝手にフラッシュバックした。解法の一つ一つを問題と関係なく思い出すことができるようにもなった。だから、未知の問題を見ると、複数の解法が頭の中で閃いた。国立大学入試は数学で決まると言われた。私は、倍率6倍の九州大学法学部の入試で、なんと数学90点を取ったのだ。
 私の指導法、竹の会の7回解き直しは、竹の会の変わらぬ指導コンセプトである。それは、わたしの受験体験に根差す信念の方法であり、その精神を理解して、7回解き直しに取り組んでくれた子たちが、その成功によって、証明してきた、究極の方法である。
 数学ができない? 上等だ❗️ それなら「問題&解法」を最低17回は読め❗️ なぜ17回❓ それは高校受験のとき,反復繰り返してたら、17回回したあたりで5科目100点取れるようになった、高校受験の体験から。わたしが7月17日生まれだからではない。ちなみにわたしが大学を受験したときの受験番号は2017でした。
 読むからには、最高の教材を使え‼️
 Z会には、昔は、数学にいい参考書があった。もう絶版となってしまった名著をわたしは今でも大切に使っている。平成14年に慶應大学に合格させたときも、実は同じ方法でやらせた。そのとき使った数学の参考書は、1冊だけだったが、市販のものだった。彼女は慶應を数学で突破したのだ。わたしの大学入試突破法をそのまま伝授した。
 問題は高校受験にそのような解き直しに耐える、解き直しだけで、難関を突破できるスーパー参考書があるか、ということだ。実は、「ない」。探してみたが、ない。だから、わたしは、問題と詳しい解法をセットにしたレジュメを執筆したのだ。開成高校、国立筑駒国立をトップテンで突破した、私のレジュメ、そこには、わたしの大学受験の数学方法論がその精神が脈々と流れている。
 今、わたしは、また、新たな最高の数学レジュメの執筆に取り組んでいる。今度は、数学が苦手な生徒を念頭に、難関のための数学レジュメの制作である。解答、解法は、過去にない、充実した、最高レベルの域にある今の私の最高水準の知見を織り込んだ作品として仕上がりつつある。完成目標を夏休み前とした。数学は解き直しが命であり、そのために夏休み全期間を使わなければなるまい。
 市販にいいものはない。大手進学塾の教材を凌ぐ竹の会の教材は、竹の会の生徒、一人、二人のためだけにある。

 

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