画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

面倒くさい、というのは、勉強にとってどうなのか

2021.05.29

 

◎面倒くさい、というのは、勉強にとってどうなのか
 

 面倒くさい、だからやる気をなくす、普通はそうなのだろう。しかし、やらないわけにはいかない。そうなると、考える。面倒くさい方法を取らないで済む、何かいい方法はないか、と。
 面倒くさい、というのは、やらない言い訳ですよね。
 よく頭のいい人の「やらない」理由に、「やってもしかたないから」というのがあります。頭のいい人は、やる前から「無理だ」と結果が見えてしまってるわけです。
 確かに、普通に考えたら、客観的に見たら、無理なのかもしれない。
 しかし、こういう生き方していると稚拙な脳、未熟な脳の見たてそのままに、最初から無理と何もやらない生き方をしてしまうのではないか。
 さらにこういう人たちは、重大な勘違いをしていることに気づかない。
 いいですか。
 なんでもそうなんです。やる前から何もかもすべてがわかっていることなんてないのです。人間なんてみんなどんなにできると言ってもたかが知れている。自分の未熟さに思い至らず、自分は頭がいい、だからわかるんだ、結果は見えている、だからやってもしょうがない、それで何も結局何もしない人生を送るとしたら、そんでええの? ということになる。
 勉強というのは、やるかやらないか、と判断するものではない。やるということは前提なんです。勉強は生活の一部でなければならない。朝起きたら歯を磨くように、学校から帰ったら勉強する、それだけなんです。勉強しないという選択などないのです。あなたたちが空気を吸うように勉強するのは呼吸と同じなんです。するかしないかの選択などない。呼吸にするかしないかの選択がないように勉強にもない。
 さて、そういう話しが前提で、つまりやるというのが前提なんです。
 いい遅れましたが、実は、やるとやらないとでは、月とスッポン、提灯に釣鐘ほどの違いがあります。やる前からわかっている、そんなことはないのです。やる前からわかっているとしたら、あなたは全知全能の神ですか、とツッコミたくなります。
 やってみなければわからないことだらけです。予め、やる前から結果がわかっているなどということはないのです。
 実際やってみて発見できることがたくさんある。
 実行が新たな発見を可能にする。頭の中だけで、つまり狭い了見で想像できることなんか、たかが知れています。
 勉強するというのは、迷うことなく机に向かい、ただ黙々とやること、疲れたら少し休む。休むのです。ここでゲームしたり、漫画読んだり、テレビを観たり、とかとにかく遊ぶことは、勉強の枠の外にある。
 迷ったら、だめである。人間にとって「迷い」というのは、行動を止める、厄介なものである。
 古来人間は「迷い」という魔物に囚われると、脆い。迷いは、判断を曇らせる。いや迷いは判断を狂わせる。誤判断は「迷い」がもたらす。デカルトの「方法序説」は、迷うことが、つまり最初の選択を覆すことが、損失においてはるかに凌駕するということを述べております。
 ところで、「迷い」にもいろいろある。服を買う時に迷うし、職業を選ぶ時にも迷う、レストランを選ぶとき、メニューか選ぶときも迷う。人に何かを勧められてまた迷う、人生とは迷いに始まって迷いに終わる、と言っても過言ではない。だから何かと迷わず決断する人に騙される。人間は迷うからかえってそういう人に惹かれるわけだ。自分にないものに惹かれる。それはないものにに憧れているからだ。だから、そこでも人間は騙される。
 迷いと一言で言って、迷いの問題一般を考えるのは、だから乱暴に過ぎる。
  ただしかし、勉強については、迷ってはならない。というか、迷いという問題にしてはならない。迷いは意識から消す。ただ黙々とやるだけ、それが勉強です。
 いつかわかる。勉強が、勉強だけが、あなたを助けてくれる、ということが。その時、心ゆくまで勉強をさせてくれた、あなたちのの父と母に心から感謝してほしい。

ページトップへ