2020.11.06
◎高校入試で竹の会で成功するために!
高校入試で竹の会で失敗するというのは、稀有な例です。しかし、ここ最近、2例の失敗例が出ております。竹の会で高校入試で失敗するとは、どういうことか、あり得ないことなのです。
30年、32年です。これはどうしたことか。
ここで竹の会で高校入試に成功するための絶対的前提条件をあげておきます。
1、指導に従うこと
これは、勝手な勉強をしてはならない、ということです。何をするにも全て指導を仰がねばならないということです。失敗した子たちの中には、自分で市販の参考書を使っている子がいました。また、母親の指示が常に最優先にあったのかと思います。わたしに「次は何をやるのか」必ず確かめながら進めていた27年、28年戸山合格者、31年青山合格者とは、対照的でした。母親が子どもの勉強を細かく管理していた、その管理の中でわたしの指示は斟酌された程度でしかなかった、受験に関する相談が皆無というあり得ないこともあった、直前に指導時間が少なすぎたと思う、わたしには想定できない事態がありすぎました。わたしが自由に指導時間の中で過去問を使ったチェックもできませんでした。
2、模試を受けること
竹の会経由で申し込まないと成績を管理できない。外部受験は生徒の恣意的な受験となり、結果報告もないことが多い。結果が悪いとあえて報告しない。特に、プライドの高い子はそうです。何もかも包み隠さずわたしにすべて任せるという態度が大切なのです。
3、定期試験、内申はすべて文書で提出すること
わたしが聞かなければ報告しない、報告も紙に書いて申告、これでは、ダメです。きちんと学校発行の文書を提出してください。走り書きでは証明になりません。わたしに隠して、それでいったい何の指導を、受けようというのか。
4,わたしの指示を軽視しないこと
これは、1と重複するかもしれませんが、竹の会のレジュメも自分で勝手に決めてやる。勝手に参考書をやる、指示したことをやらない、自分のやりたいようにやる、これでは受かるはずがない。
合格した子たちの親御さんは、すべてわたしに任せてくれました。何もかもすべてわたしの指示を仰ぎました。わたしは生徒が何をやっているのか、常に把握していました。わたしは常に子どもたちの全状況を完全に把握していました。模試のたびに、わたしは処方箋を出すことができました。何度となく実施した、わたしの目の前での過去問チェックで、わたしは子どもたちの学力を精度の高いレベルで把握しきっていました。わたしは、子どもたちが本番で何点取るかまで、正確に予測することができました。
いいですか、竹の会で、高校受験をやるということの意味、意義をしっかりと理解した上で竹の会に入会してください。
わたしは、高校受験では、わたしの言う通り、指示通りにやってもらえば、失敗することはまずない、そう言っているのです。生徒がわたしの知らない参考書をやっている、指示したレジュメをいつまでも出さない、かつては部活優先の母親がいまして竹の会の指示はすべて後回しにされました。それで実力が伸び悩むと「竹の会は子どもには合わない」などと言う。わたしの指示、竹の会の指導方針に背馳した時点で不合格は決まっていたのです。
受験生の考えることなんてたかがしれている。また親の考えることはわたしには害でしかない。わたしはわたしの邪魔をしないでほしい、わたしに託したなら、もう100%任せてほしい、そう言っているだけです。わたしは、その道の専門家です。ありとあらゆる場数を踏んできた、いわば強かな戦士です。
過去問を勝手に家でやって終わらせて、わたしには何の報告もない。わたしは、わたしが検査したという根拠が欲しいのです。わたしは過去問を血液検査と考えています。わたしは時期を見ながら過去問による血液検査をする。それはその都度わたしの指導の裏を取る意味がある。子どもの弱点を絶えずチェックする必要がある。だから一定の間隔を置いた検査が必要なのだ。
さらには、模試は、特に、東京都の模試は都立に関しては秀逸であり、最低でも月に1回は受けて欲しい。7月、遅くとも8月には受けなければならない。回数は最低でも5回。これは検査データを取るためである。竹の会を通して申し込むことは当たり前である。個人的に外部で受ける、これでは迅速にわたしに結果を知り得ない。結果が悪ければ隠す、自尊心の強い子なら当然そうなる。過去、数少ない都立失敗者はこの例に漏れない。わたしはとにかく正確な最新の情報が欲しいのだ。わたしの指導は、外科医が顕微鏡を使って手術するに似ている。わたしはリアルタイムに情報を見ながら指示を出していくのを得意とする。過去問チェックはわたしには検査としての位置付けであり、時宜に即して過去問検査をする。同様に、模試は、また別の角度からの血液検査にほかならない。同じ目的の大勢の他者との比較において、相対的な位置を知る。模試を3回しか受けないとかありえない。何度も受けなければ、偏りやミスなどの誤差の偏差を測れない。都立中受検にもそういう子がいたが、問い質してみると、わたしが「受けなくていい」といったとか、模試の日を間違えたとか、申込の方法がわからなかったとか、ありえない言い訳ばかりだ。結局回避するという点にはブレがなかった。なにか実力を試されるのが、白日の元に晒されるのが嫌だったとしか思えない。高校入試にはよくそういう子がいる。
わたしは、元代々木教室の時代、つまり昭和60年から平成24年の間、都立青山、都立新宿、都立駒場に当たり前のように受からせてきた。当時は生徒は地元の中学生ばかりであった。最初から合格するという子ばかりではない。なんとか指導を尽くして奇跡的に合格したという例の方がむしろ多い。今のわたしの都立指導の技術は、あの当時の苦闘の中から培われてきたのだと思う。こうすれば合格する、そういう確信は長い間に、わたしが高校入試の経験を重ねる中から獲得してきた、ノウハウに違いない。
長い、長いトンネルであった。失敗のたびに挫折し、苦しみ、気を取り直して勉強を重ね、暇さえあれば書物を読み、私は真剣さと苦悩の中でもがいてきました。成功は何も教えない、失敗がわたしを成長させた。ほんとうに長いトンネルであった。ある日、ある朝、わたしは、トンネルを抜けていた。もう悩まない。もう迷わない。わたしは、わたしの信念が合格をもたらすことを何度も確かめてきた。あるときから、わたしの指導、指示で必ず、確実に、合格が取れる、そう確信した。そのときに、わたしはようやく高校入試の専門家、受験のプロと言えるようになったのだと思う。
いつしか時は流れ、竹の会ももう36年になりました。