2024.08.10
高校入試には、Vもぎがある❗️ 駿台模試がある‼️
都立中受検には、尺度となる模試がない‼️
大手の規格品、均一品受験商法は、ツッコミどころ満載!!
わたしは、大手の規格品・均一品商法を簡単に壊して見せた。
何を言っているのか、わからないですか。
大手は規格品を与えて、規格品受験生を生産している、ということです。
詳しく説明します。
大手がカネをかけて集めた、筑駒・開成高校志望の天才軍団をごぼう抜きにしたのが、令和4年のことでした。竹の会の2人いた受験生、うち1人は令和3年6月駿台模試デビュー、たちまち全国順位3番に名乗り出ました。私が、小4から育ててきた子です。vもぎの独自校模試4回とも偏差値で測れなかった。すべて天井を抜いていたからです。駿台模試2回目には、全国1位となりました。
高校入試では、わたしは、大手の天才を規格品にするやり方なんか、わたしなら簡単に打ち砕いてくれる、ことを密かに胸に抱いてきました。しかし、そういうことを口に出して言うことはなかった。むしろ筑駒や開成は大手に集まる天才に任せておけばいいでしょ、と言ってきた。たまたま竹の会にきた野心家はたいたてい、難関をめざして、大手に転塾しましたね。わたしから見れば、中途半端な秀才でしたけどね。竹の会の、わたしのことを舐めていた。私では受からない。竹の会では受からない。、と見くびっていたのでしょう。しかし、中途半端なだけあって、大手から大したところには受かってない。
開成に受かった子、小4の夏に出会ったときは、通知表に「もう少し」が何個かあって、ひびりました。ところが、入会試験はA合格❗️これにはびびりました。 わたしは、その齟齬を母親に尋ねたのですが、はっきりとしたことはわからなかった。
それから、わたしは、ただ竹の会の普通の指導を、してきただけであった。早稲田進学会の模試では、常に上位に名を連ねていたし、レジュメ正解率も高く、当然小石川は合格と見ていたが、落ちてしまった。なぜ? わからない。この子が失敗するとしたら、問題を勘違いした可能性が一番高い、と思う。とにかく彼はわたしの下で高校受験の道を選んだ。最初から、日比谷とか、開成とかそんな話しは一切ない。わたしの指導をただ黙々とこなしてきただけだ。竹の会の指導体系というのは、本人さえその気ならいくらでも前倒しで前へ進められる、ということだ。それはレジュメ指導だからだ。レジュメは、問題レジュメと解説レジュメのセットからなり、問題レジュメをまず自分で挑戦して考える。できたら指導室に持ってきて、採点する。できていれば解説レジュメを、渡す。できていなければ「もう一度」解くように指示する。それでもできなければ何を誤解しているのか、わたしがチェック。指導して、解説レジュメを読ませる。この繰り返しだ。早い子なら中1の冬期には、中3まで終わらせる。中3までというのは、数学を例にすれば、国学院久我山、帝京大学、日大二高レベルの問題は解けるようになったことをいう。
英語なら中2の夏休みが終わる頃には、都立の共通問題なら8割は取れる程度だろうか。もっともそこまでいかない子も当然出る。勉強サボっていれば当然だし、部活口実、学校口実、定期試験口実と口実はいくらでもある。
遅れる、つまり箍(たが)を外すのは自由だが、その不利益は一身に自分が被るだけである。
わたしは、大手の規格品・均一品製法を簡単に壊して見せた。
大手の規格品とは?
集団授業、同じ授業、同じテキスト、同じ講師による横並び授業で、できる序列は、もともとの能力差以外は考えられない。つまり、規格化された指導で、何によって差がつくか、ということである。
そこで問題となるのは、専門家と自称する大手の教材である。この教材は、必然過去問の範囲を逸脱することはないのが原則である。数学なら飽くまでも中学で学ぶ数学である。高校数学は対象ではない。これが数学の限界である。ただし、高校数学と中学数学のグレーゾーンは狙われやすい。例えば、整数、確率である。しかし、基本、中学数学の範囲で難しくするしかない。
英語はどうか。はっきり言って、英語に関しては、高校英語、つまり大学入試の英語との区切りがかなり曖昧である。大手塾がどの程度をもって線引きしているか、であるが、これもおそらく過去問の枠を出ないはずである。
理科、社会は、都立と私立では、一線を画するとして、さて、どのレベルを想定しているか、である。当然過去問を基準に、調整していることであろう。
国語の読解は、過去問しかない。
さて、こうして作られる大手の規格テキストを、開成などを受験しようとする天才諸君は勉強することになる。
ここに大手の、いや大手に通う天才君たちのおおいなる弱点がある。
彼らは規格化された天才なのだ。
これを破るのは、簡単である。少なくともわたしには簡単であった。規格教材で作られた規格天才など怖くはない。
答えはもうわかった人もいるでしょうね。
わたしが、中3の6月の駿台模試第1回からいきなり全国順位一桁を取らせたのは、当たり前のことであったのです。
かつて大した私立でもないのに、大手に転塾する親子がよくいたが、わたしも、舐められていたものである。そういう親子がどれほどの私立に受かったかは知らないが、わたしは昔から舐められていた。開成を、受けたいという子などやってくるはずもなかったのである。みなあたりまえのように大手にいった。そこに迷いはない。親からして竹の会を舐めていた。
平成10年の早稲田実業高校合格は、初めて竹の会を、わたしを信頼してくれた生徒がいたからである。小4から日能研に通い中学受験をして第一志望に失敗し、竹の会にやってきた。もともと大手嫌いの親子だったのがよかったのか、わたしをたよりにしてくれた。たよりにされたときのわたしは強い。彼は、立教新座突破、早稲田実業高校商業突破、同普通突破、慶應義塾高校一次突破と快進撃を続けたのだ。
よくわたしのことを「たいしたところに受かってもないくせに、高校入試専門家など」とよく言えるものだ、という類いの批判なのか、実は悪意の非難なのだろう、罵倒がなされる。わたしは頼まれれば開成だってうかせることだってできると思ってきたが、実績もないのにと罵倒されることはわかっているから何も言わないできた。
わたしのことがほんとうにわかるのは、真の天才しかいない。真の見識の高い親御さんしかいない、と思ってきた。真の天才なら、わたしの指導を受けただけで悟る。
そういう天才というのは、不思議と、素直で、素朴でしたね。
中途半端な秀才ほど、妙にすれていて穿った見方しかできない。そういう子の親もわたしから見れば三流でした。
わたしは、「この子は受からせなければ」と思ったとき、ほんとうに真剣になりますね。だからわたしを真剣にさせなければならない。肩透かし、失望、落胆させられると途端に冷めてしまう。あっ、この子はやる気がないんだ、試験よりも大切なことがあるのか、試験の結果は隠すのか、模試はこっそり受けるのか、あっ、過去問はお母さんがやらせるのか、……わたしが冷めることはそんなことかな。冷めたらまず100%落ちますね。事実落ちました。わたしが手をかけたわけではないので、何の感情もないですね。