2018.02.22
都立入試を前にして霙降る、冷たい空気が震撼とさせる朝。3月になったら暫く心と体を休めて、それから塾を整理していきたい、そう思っています。
今年1年がまた受検で明け暮れる。受検に関しては、いろいろ思うことはある。「実行しない」子は、結局どんなに能力があっても受かることはない、というのが経験則である。平成28年の小石川を受検した4人についても、類い稀なる能力を持っていた子たちに、ただ一人を除いて、唯一欠けていたもの、それこそが実行力であった。夏休みにほとんど勉強しなかった子が、いくら知能が高くても、受かることはなかったし、発表会、進級試験などにかまけた子たちも成功することはなかった。受検のための勉強に専念しなかった、それで失敗には十分であった。盆と正月の実家帰省、連休のレジャー、それだけで落ちるには十分であった。特に、小6になってからのそれはきつい。確実に、わたしの指導レジュメは積み残されていったし、課題レジュメはほとんど出されることがなくなっていった。一度でも「遅れる」タイミングをとれば、それが最後まで遅れの連鎖の引き金になっていった。
これから来年の2月3日の本番に向けて、勉強するとして、問題を抱えたままの船出となる子たちがいることにまず言及しておかねばなりません。
本年失敗した子たちの共通点をまずあげておきます。
竹の会では、基礎訓練課程において、基本5段階のステップを予定しております。「算数の魁」、「思考の鍵」、「小学思考の素~割合問題編」、「新小学思考の素」、「小学思考の素~その他の問題編」、以上です。すべてを終えたら、時間の許す限り、「推理の素」、「思考の源」、「1%下巻」などに進むことになります。受検対策指導には、最低でも、基本訓練課程を終えていることが必要です。もし「小石川受検」なら、「推理の素」はクリアしておくべきでしょう。
注意すべきは、以上のレジュメはいずれも7回解き直しが義務になっていることです。今年合格した子たちからは、いやそれ以前に過去の合格者もそうでしたが、7回解き直しの状況というものは、逐一わたしに報告されていたものです。ところが落ちた子というのはすべてというわけではありませんがこの報告というものが、一切ない、わけです。おそらくやっていない、ということなのだと思います。落ちた子の中にも少数ですが、7回報告をした者はもちろんいます。
ところが、今年受検して落ちたという子たちはなべて基本訓練課程を終えてはいなかったか、課題レジュメをほぼ皆無というほどに出していなかったことが、わかっております。時間ならあったはずです。それなのにやらなかった。いろいろと習い事、稽古事、その他でやらなかったのか。中には、そういう事情もないのにただやらなかったという子もいたようです。
課題レジュメについても、中途半端なままに終わらせたことが、失速をさらに加速、つまり超減速したようです。
受検というのは、実行しない子には、不向きです。どんなに能力があっても結局失敗します。
以上の認識から、現状を踏まえて問題を抱えたままの船出になりそうな子たちがいるということです。入会時期が遅い、小5以降の子でのんびりとしてきた子はどうしてもこうなります。
竹の会で成功するには、ひとつのルールがあります。小学生も中学生もこのルールが守れなければ、竹の会に「いる」理由はない、これだけは明確な経験則です。成績をひた隠す、レジュメをその都度出さない中学生の悲惨な結末の例ならいくらでもあります。そもそも竹の会にいてわたしに成績表をいちいち提出しないというのはありえないことです。
ルールとは、タイミングよく指導レジュメを出すことです。課題レジュメを先送りしないことです。指導レジュメは、その日の指導のためのレジュメです。ところが、とうとう出さないままに終わる、そして次の指導日には前回の続きからやる、ほとんどの子がそうでした。なぜ家でやってこなかったのか。「わからない」から? それでこの指導レジュメは2週間しても返ってこない、そういうことが常態となっていた。これは指導ができていないということです。それなのに家庭の事情だけはいつも優先的に実行されるわけです。
指導レジュメを出さない、これが常態となったら、竹の会にいる理由はない。課題レジュメを出さない、これが常態となったら、竹の会にいる理由はない。「落ちる」のは、こういう子だからです。「落ちる」ことが、わかっていて、そのままにしておくこと、これは、世間の塾が、みなやっていることです。大手塾などは完全にこの体です。合否は不確定なものゆえに、確定的にダメな子をその不確かさの中に埋没させて、不作為を決め込み、利益だけをあげる。これが世間一般のほとんどの塾がやっている受験指導の実態です。わたしにはこれができない。塾は営業ですから、顧客に、諂(へつら)い、阿(おもね)り、子どもの成績を伸ばすということを掲げて親を説得する、しかし、「もっと努力すれば」成績は上がるとか、受かるとか、可能性を臭わせるだけで、もちろん確約などはしないし、できるわけもない。親は、阿りと諂いを本当に信じてかはしらないが、とにかく塾の営業トークを受け入れる。
わたしは、失敗するのは、勉強しないからだ、と言っているだけです。そして他塾と違うのは、勉強しないのなら竹の会は止めてください、と言っているだけなのです。他塾はだからこれからは心を入れかえて勉強してください、そして塾は止めないでください、と言っている。竹の会は止めてほしいと言っているのです。勉強しない子の家庭というのは、そういうことを許す雰囲気というものがあります。「勉強ばかりしていてもだめだ」という論理が恣意的に罷り通ります。種々の家庭の事情、親の都合で子どもの勉強を中断させることも往々にしてあるから、逆に、子どものそうした申出にも寛容です。失敗の契機を内蔵した家庭は試験で成功するには不向きなのです。
竹の会には少ないが中学生がいます。中学生というのは、続かない、中1から都立トップ校をめざして威勢よく勉強宣言するのはいつものことですが、この決意が3年間続くことは難しい。たいていは中学に慣れる中1後半から中2までに勉強しなくなる。竹の会で高校受験まで残るのは、たいてい1人ないし2人である。たいていいなくなる。中学指導は、「熱心さ」が消えたときに、退塾とする、これが経験則です。
話しが多岐になりましたが、受検に戻します。適性問題というのは、考えるということのできない子には無理です。普通の小学6年生にいきなり適性問題を解かせてみればすぐにわかります。ほぼ全員が白紙のはずです。このときなんとか食いついてくる、そういう子が、必ずいる。こういう子を発掘して、指導して初めて受かるかもしれない、というところまでもっていけるのです。それほどに難しい適性問題を茫漠と解けるようになると信じているのが世間の親です。だから迷わず大手塾に行く、大手では最初から適性類似問題をやる、しかしです。最初から白紙しか出せない子が、適性問題をたくさんこなしたら解けるようになる、と信じている牧歌的な頭の構造をした親はともかくとして、そういうやりかたが一番大量のバカ小学生を取り込むに適しているという商業優先の塾にこそ問題があります。
これが進学教室の大手だとこれはこうしたバカ小学生を大量の落ちこぼれにすることになります。昨今の塾の巧みなところは、こうした小学生に落ちこぼれと気づかせないほどの巧妙な営業方法です。有名進学大手塾に「いた」という子で、まともな子を見たことがない。知識偏重で、暗記が優先し、わからないのは、知らないから、と信じて疑わない。算数を解かせると、頭の中では習ったことのある公式を探してそれを適用することにばかり頭がいっている。考えるという思考作用が、思考の枠組みがほとんどないのである。だから大手に1年、2年いたという子ほど指導しにくいものはない。大手進学塾というのは、ある水準以上の天才にのみ意味がある。そういう天才は知識というものがもともと備わった思考で咀嚼されるのである。ところが、凡人小学生は、知識を覚えようとする。膨大な知識量にたいていはカチカチに固められて、思考の欠片もない、つまりは、応用の利かない、知っていることしかわからない、バカができあがるのである。
わたしには、中学受検にしても、高校受験にしても、合格の手順というものがある。だからこの手順どおりの指示を実行で応えてくれる子しか、成功しないことになっている。実行しない子、つまり、勉強しない子は、受かることはないのである。
わたしには、合格の定石がある。合格のレシピがある。しかし、子どもたちがわたしのレシピ通りにやらないから失敗するのである。子どもがやらないのには、そういうことを許す家庭の空気があるからである。過保護な親が増殖し、口では、厳しいことを言っているけれど、世間向きにも、厳しい意見、あるべき論を言うけれど、自分の子どもにはどこまでも甘い。成績がいい子だと勉強しなくても何も言わない。かえって勉強しないのに、こんなにも状況がよくないのに、こんな成績を残せましたなど言いかねない。だから甘いと言っているのである。こういう過保護な親は子のわがままを結局認める。実行しない人間、過保護な母親ほど、後付けの言い訳をするものです。その言い訳はいつの間にか正当な論拠として罷り通るほどです。勉強しない、正当な論拠など、何の益があるというのであろうか。勉強した人間のみが生き残るという生存の原理は少しも変わらないでしょ。
人間には2種類ある。「引く」人間と「前へ進む」人間である。受検では、「引く」人間は失敗することになっている。「引く」というのは、相撲では、負けるパターンである。勉強でも「引く」子は伸びない。ほどほどで止める子はだめである。指導していると、この引くタイプの子というのが必ずいる。課題を出さない、指導レジュメを終わらせない、あえてやらない、家庭の事情は、この「引く」という心性をさらに強めるはたらきがある。
この「引く」という行動類型に出会うと、正直、わたしは、もう喉から「どうか退塾してほしい」という言葉が出かかる、のを我慢している。
3月は少し休みたい。それで新しい入会希望者については、新小4のみ受け入れることとし、特に、中学生、もちろん新中1についても新規の受け入れはない。
また現塾生については、指導が一進一退を繰り返す場合は、このままお引き受けすることはできないと考えております。進捗があまりにも緩慢な場合、本音を言えば、竹の会の仕事ではない、そういう子を見る塾、ケア塾というものがあれば、そういう塾に行くのが一番いい、こうした子というのが、時として、竹の会にもいることがある。もちろん竹の会は、そういう子にとっても天国にちがいない。なぜなら、ケア塾としても、竹の会は一流だからである。かつてわたしは落ちこぼれ、学習不振児を何人も立ち直らせてきた実績がある。昔、竹の会をそういう塾と誤解する人たちが出てきて慌てたこともあった。そういう子たちにとって居心地のよさがまた竹の会を苦しめることになる。そもそも竹の会はそういう子の育成を考えてはいないからである。竹の会渋谷教室はわたしの最後の仕事である。今年こそ公立中高一貫校10人中10人合格を果たして、身を引きたい。東京の渋谷に、「竹の会といういい塾があるんだよ」、と23区の皆さんに噂されるようになればそれで十分です。渋谷に名塾あり、竹の会あり、と言われればそれで十分です。