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3年型都立、日比谷、国立、西が強い/都立中高一貫校は3年型トップ校を越えられるのか/勉強の極意とは

2018.03.18

 今日は春の陽気漂う、青空が広がり、昨日の春雨を一掃してしまいました。花粉にはほとほと手を焼いておりますが、なんとか市販の抗アレルギー性のスプレーと目薬で凌いでいます。わたしがほとんど風邪をひかないのは体を冷やさないようにと用心してきたこともありますが、おそらく教室では必ずマスクをしていることが大きい、医者の中にはマスクは意味がないみたいなことを断言する人もいますが、予測しがたいなかで知らずにウィルスに感染した子と接する機会のある、わたしのような仕事をする人間には必需品と思っています。かつて面接にきた母子が咳をしていまして、翌日インフルエンザに感染・発症した苦い経験がありまして、あれには参りました。元気そうに見えた子どもたちと接して、その子どもが翌日熱を出して、インフルエンザだった、ということなど何度もありました。とにかくわたしが熱を出してみなさまにご迷惑をおかけすることだけは避けたいといつも緊張して臨んでおります。

 今日はお休みの日ですが、ゆっくりする時間はないのが実状です。新作のレジュメの創作・執筆の時間もかなりとられるのですが、それよりも今は課題レジュメの処理に追われることが多い。課題レジュメはまず提出されたレジュメの解説レジュメと次回課題をプリントアウトすることになります。わたしが課しているレジュメの種類がとにかく多いことがひとつあります。四字熟語の由来文を読んで200字ほどでまとめる課題、様々な時の話題を教養として提供する課題、理科の重要点、社会の重要点を掘り下げる課題、作文の基本を学ぶ課題、読解の作法を学ぶ課題などあげればキリがないほど制作しております。これをまともにやれる子というのは限られておりまして、入会当初はまじめに出していても次第に出さなくなってくる、そういう子が多い。当然「受かる」のは、やり抜いた子に限られることになる。課題はドサッとまとめて出しますが、提出するときに、小出しにバラバラという子もいまして、出さないよりはいいのかもしれませんが、これでは早晩失速すると思います。竹の会で失速する子というのは、基本的に、レジュメを出さなくなった子です。レジュメのやりとりがない、そういうことが続けば結果は見えています。とにかくわたしに頻繁にチェックの機会がないような常況というのは非常によろしくない。

 注 以上は、実は昨日書いて途中になったものです。時間がなくなりました。

 竹の会というのは、常に、レジュメのやりとりがなされていないとダメなんです。ずっとレジュメを出さない中学生というのが、よくいます、いやいました、という表現も言える。レジュメを出さない中学生は確実に落ちるところまで落ちます。実は、竹の会では、中1から中3まで「いる」ことがかなり難しい。中学生というのが、主として部活なのであるが、もちろんさまざまな事情で勉強しなくなることが原因です。まったくレジュメによるチェックを受けなくなったらもう終わりです。レジュメというのは、竹の会では、指導を進める、必須の道具なのです。このレジュメによるチェックが頻繁になされていることが絶対に必要なんです。

  ところで、ひとつだけお断りしておかなければならないことがあります。指導困難な事情が日常的に生じる、これが竹の会の実際です。それは、わたしが、常に真剣勝負で指導にかけているからとも言えます。その日の指導で1回もレジュメを出さなかった中学生、基本的なものの習得が困難と思われる小学生、課題を出すことが困難な小学生、さまざまな指導上の難局に日々接しています。時として、これ以上の指導は「無理」と判断することもあるのです。そういうときに、竹の会に入会したときのことを思い出してください。竹の会は、指導可能かどうか、「わからない」、だからとにかくも指導してみます、それでだめなら退塾してください、竹の会では無理だと、竹の会を突き放してください、そういう主旨で、入会の申し出をお受けしております。

 「仮合格」者については、2ないし3か月で退塾していただくことがあることは入会時当然にご了解していただいていることです。また正規に合格された場合でも指導に支障があると判断したときはやはり退塾していただくというのも入会時に当然の前提としていたことと考えております。特に、中学生については、魔の中2というのがありまして、中2前後から勉強しなくなる一般的な傾向が強く、竹の会では、そういう場合、迷うことなく退塾としてきましたので、よくご承知おきください。実は、28年に戸山に合格した生徒でさえ、中2のときに、退塾の勧告が一度なされたことがあります。ストレスなく受検指導に専念したい、そのために指導に支障となる小学生についても、わたしのわがままととられるかもしれませんが、退塾していただくことがあることも当然に入会時のお約束としてお考えください。竹の会は、勉強する小学生、中学生だけがきてくれればいいのです。それから竹の会が入会試験に合格した者のみに入会を許可するのは、一定の能力以上の子に限り、わたしの高度な指導が意味あるものとして生きるからです。竹の会は学習不振児を導く塾ではありませんので竹の会にそういう期待をされて申込されるのはご遠慮ください。特に、最近通知表で8割基準にはるかに足りない子の申込が多く、不合格となる事例が続いております。またたとえ入会試験に合格したとしても、勉強しなくなれば、それは退塾するほかないのであり、惰性で通い続けることはどうか止めてほしいのです。竹の会の指導に従わない常況が続く場合は、どうか自主的に退塾の申出をしていただければとても助かります。わたしからやむにやまれぬ事態になって退塾告知をする事態は回避したいのです。

 ◎勉強の極意

 かつて法律の体系書を読むときによく言われていたことがありました。クロスレファランスという言葉です。憲法の体系書だと京大の佐藤幸治の「憲法」や中大の橋本の「憲法概論」、東大の芦部の憲法などほんとうにたくさん読みましたが、一昔前だと東大の宮沢とか東北大の清宮四郎というのもいました。憲法書というのは抽象的な記述が多いもので、そこだけ読んでもどうもわかったようなわからないような、あたりまえのことを書いているようなところがあります。こういうときに、他の該当する、関連するところを索引なんかを駆使して、読みながら、読み進めていくのです。これをクロスレファランスと言います。要は、関連する事項を読み合わせながら、読むということです。理解を立体的にするにはこれがいちばんです。また同じ問題についても、数種類の体系書を読み比べてみると、何を言っているのか、何が問題なのかが見えてくることがよくありました。

 前振りが長くなりました。端的には、中学生が理科や社会を苦手とすることが多いこと、そのために都立を棒に振る生徒がいかに多いかということ、そういうことを念頭において、この文を書こうとしたのですが、どうも風呂敷を広げ過ぎてしまいました。要は、知識を追い求めすぎるな、知識を網羅的に覚えることが、理科、社会の対策などではないということをなんとかみなさんに理解してもらおうと意図したわけです。ほんとうに理科、社会のできる生徒というのは、知識量がただ単に多いということではない、少ない知識ながらも、知識と知識が見事に関連づけられているということです。ここで「クロス」ということばが出てきます。「クロス」というのは糸のことです。知識と知識を糸で結ぶ、これが勉強のこつです。クロスは、関連づけるといってもいいでしょう。そうなると、よれ根源的な知識をまず理解することが大切です。知識は必ず根拠付けられたものでなければなりません。大まかな、その意味で抽象的な方向性というものを示唆するような枠組みによって説明された知識でなければならないのです。そこから他の派生的な知識に糸をかけていく、つまりクロスしていくのが、勉強の極意なのです。できない生徒というのには、これがない。すべての知識を同じ価値序列で平等にとらえようとする、だから知識というものを網羅的に捕捉しなければ不安でしようがない、ことになる。だから勉強とは暗記という、苦しい作業だ、と信じて疑わないことになる。しかし、実は、ちがう。勉強というのは、より根幹となる知識の趣旨、原理なりを理解して、その他の派生的な知識は、その根幹となる知識と結びつけるもの、そういう視座で勉強するものです。知らない知識も自分の根幹となる知識から推論するとどういうものになるか、そういうことが推測できるような勉強をしていくのが真の勉強なのです。だから理科、社会のできない生徒というのは、そこのところがわかっていない。理科、社会のできる生徒は、そういう勉強のこつというものがわかっているのです。ただむやみに暗記はしない。できない生徒ほどただ暗記しようとする。つまり考えない。知恵がない勉強をする。

 実は、今ホームページの会社にお願いしているのですが、竹の会のHPに非公開ページを作り、勉強のノウハウなどをログインすれば読めるようにしたい、ときには算数の問題の考え方、理科や社会の対応、国語読解の方法などについても説いてみたい、そういう趣旨でいま依頼しております。

 思考ということで言えば、思考というのは、心の余裕がなければできないしくみになっています。試験などは時間を制限しますから、思考にとっては、かなり厳しい制約です。この時間と思考、いや思考と余裕の関係については、またお話ししたいと思います。

 まとめ

 理科、社会の勉強のしかた  

 知識というのは、雑然と頭から覚えるものではあり得ない。 思考というフィルターを通して濾過していく、 本当に必須の知識は、暗記ではなくて、原理、仕組みから、理解する。核となる知識をのみ頭に入れるだけでいい。 それ以外の知識は、重要度において、核知識から推論、推測すれば、わかるようにしておけばいい。 できるだけ覚えないのが、コツである。理科、社会は、核となる、他の知識を推論から引き出せる知識のみを理解という楔を打ち込んでいく。 知識は全て原理から演繹する、これが勉強の極意である。

 心の余裕が思考を生む

 敵の動きを読む。それには、己の心に、余裕を生む、余裕を作ることだ。捨て身というのは、余裕を生む点において意味がある。 いくらかの余裕が生まれた、その瞬間に、まるで靄が晴れたかのように敵の心の動きが読めるようになる、だから問題は、 心の余裕の作り方だ。危機管理とは、緊急時に際しての、心の余裕をどう確保するかだ。 余裕とは、思考の入る空間をいう。 思考とは、心に余裕というシールドがなければ機能しないのだ。 思考の天敵は時間が限られること、これである。

 

 

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