画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

🎶受験はカネで決まる!!

2023.08.12

🎶受験はカネで決まる!
 竹の会では、指導に耐えうるか否か、の判断に際して、入会試験で使う定番問題がある。

 この問題を無難にクリアした子の指導はうまくいく場合が多い。逆に、この試験で0点近い点しか取れない子というのは、その後の指導がかなり困難なものとなることがわかっている。
 これまで実施した入会試験で、唯一例外があった。入会試験でA合格だったのに、指導が困難を極めた例が一つだけあった。このような子がなぜ入会試験の成績が良かったのか、未だにわからない。その後、この入会試験には一分の狂いも見られないからなおさら謎である。
 入会試験をクリアした子、裏から言えば、それなりの知能がある、したがって、指導に耐えうると判断された子のその後は順調である。いわゆる勉強する「気」に満ちている。そうなのである。入会試験のできなかった子には、この「気」が限りなく薄いのだ。これはその後の指導及び進捗に大きく影響することになる。「気」のない子というのは、自ら進んで勉強するということがない。したがって家庭学習の質も甚だよろしくないと推量される。「遊び」の習慣に支配された生活を基調とする子である。勉強そのものに面白味を感じられないのは、持って生まれた知能の為せる業なのかなと思う。そうなのである。入会試験に対応できないというのは、普通に考えれば、知能がそこまでではないということであり、当然指導に支障を来たすし、そういう知能なら勉強に関心を持てないのは当然のことなのである。そもそもやる気とか、知能などというのは、勉強の意欲と大いに関係していて、世の親が勘違いしているのか、そういうことを認めたくないのか、おそらく後者なのであろう、我が子ができないのは、「教え方」が悪いからだとか、塾のやり方がうちの子には合わないからだとか、断じて疑わず、現実から目を逸らすのが常である。
 こういう親はなぜか大手を選ぶ傾向がある。例えば、小4で大手に入って、たいていは1年も経てば、自分の子が能力がないというのはわかりそうなものだが、実は、大手もさるもので、小5までは、能力がないなんてわからないように巧になっている。テキストが平易なのだ。だから「できない」なんてわからないのだ。親は塾についていっていると信じて安心している。また大手に通う子の多くが「塾が楽しい」「友だちと会えるので楽しい」「講師の先生がやさしい」などの印象を持ち、親も「うちの子は講師と相性がいい」からとそれを決定的とする親が意外に多い。塾の方も親や子のそういう意識にそった経営政策をとってのことであろう。お客様は神様の大手らしい商売テクである。

 ところが、小6になると、さすがに受検レベルをやらないわけにはいかない。すると途端にできない。それでどうなるか。もっと特別講座とか、オプション講座を受けなくてはダメだ、と煽ることになる。それで夏休みもあれこれとオプション講習を勧められる。こうして大手の巧妙な蟻地獄に堕ちていく。
 さてどうでしょうか。小4のときに迷わず大手を選んで2年経ち、あなた方の子どもさんは所期の成果は得られましたか。
 わたしは答えを知っています。伊達に40年近く塾でメシを喰ってきたわけではありません。
 そのことは、最初からわかっていました。計算力もない。割合も理解していない。新規の問題は解けない。誰でも解けるような問題ばかりを解いてきたツケはこれから大きくのしかかる。中学受験の生徒が普通に解ける芝中レベルの問題なんか手も足も出ないはずです。
 そんなものでしょう。都立中なんて落ちると最初から決まっていたことです。それよりもこのまま区立中に進んでいったいどうなるのでしょうか。割合も理解していないような子、というより考えるスタイルを身につけられなかった子の未来がどんなものか。もはやそんな子の未来は誰にでもわかる、そういうことでよね。
 小学生というのは、指導のチャンスは一度しかない。小2、小3あたりから、訓練しなければ取り返しがつかない。この時期に計算を鍛える、割合は一年、二年かけて、思考の枠組みを作りあげるために、必須の概念システムである。割合というのは、具体と抽象の関係が如実に示される、格好のモデルである。私たちは、具体的な数値をとにかく「1」と置いて(これが抽象化である)考える。この一先ず抽象化して考えるというのが、具体的なものを抽象化して考える、訓練になるのである。
 わたしは、この割合を特に取り上げて、思考の枠組みを作る訓練に使った。具体と抽象の、いわゆるミクロマクロ思考が、子どもたちに考えるということの手がかりを与える。考えるということが、とりあえず何をすればいいのか、ということを教える。この枠組みを最初は機械的に、よくわからないままに、やる子もいるが、何か月も、一年、二年とかけてやるうちにわかってくるものだ。ただし、それでも理解できないという子もいる。これはもう方法の問題ではなく、能力的な問題である。
 塾ならどんな子でも教えられるというのは、もしそんなことを信じている親がいるとしたら、それはわたしにはとても対応できない親子である。一定の水準以上の子でないと指導できないから、入会試験、ないしは指導可否判断試験をやるのだ。
 そんなことはわかりきったことなのに、合格実績を見て、「わたしも」と思うのだろうか。竹の会にはよく入会試験の合格水準に達しない子がやってくる。学校の内申の「よくできる」が、8割前後はあることを入会試験を受けられる要件としているのだが、ある時期、2、3年ほど、「よくできる」が5割にも満たない子たちを入れた年があった。また、小5後期、小6前期の子(そのすべてが大手塾からの子)を受け入れたこともある。それはやはり予想された通り、指導に支障を来たすこととなった。しかし、そういう子たちでも受け入れた以上は責任を果たさなけれならない。最低限の基礎学力をつけて送り出さなければならない、そう観念し、何度も挫けそうになりながら、ひたすら基礎の習得に力を注いできた。親は受検のために竹の会に通わせた、と思っているだろう。しかし、小6になり、あるいは小6から来た子に、基礎も不十分※なのに、適性レジュメを使うのはもともと無理なのである。全く対応できないか、不十分を承知で進めることになる。こんな子が受かるわけはないのである。
 しかし、残念なのは、受検という魔物に惑わされて、自分の子どもの人生を棒に振る親のことである。わたしには愚行としか思えない選択をして、子どもをダメにする。
 そもそもどんな子でも勉強で満足できる結果が得られるという前提はないのである。ところが親は自分の子だけは別だ、早くから塾に通わせれば他人よりできるようになる、と信じて疑わない。だから大手が一番信用できる、折角の、唯一の、機会に、大手を選ばない選択はない、とこれはもう思い込みでしかない。
 さて、それで、2年なり、3年なり経って、結果はどうなのか、という話しになる。

 その結果が今、出ているのではないですか。

 都立受検の親には、受検にはカネがかかる、カネをかけなければ受からない、という意識はほぼない。できるだけ安く済まして合格できればもうけもの、という意識が普通なのではないか。だから中途半端にカネを使う。ここぞというときにカネを使わないを選択するのだ。だから落ちる。
 これは中学受験の親とかなり意識が乖離している。私立受験の親は、「受験はカネのかかるもの」と最初から覚悟している。そもそも私立にやるということが、前提としてカネのかかることを承知の話しである。
 だから合格のためには、最高のカネのかけ方をする。必要ならどんな講座も迷わず申し込む。子どもが算数が苦手と言えば、家庭教師を雇うか、サブ塾を探す。ここで躊躇しない。つまり、カネの心配はしていないのだ。
 これに対して、公立中学受検の親は、できるだけカネをかけない方法を選択する。講習もできるだけ安い、カネのかからない方法を工面する。基本カネはかけない前提なのだ。

 しかし、これは受検というものの性質には真逆の選択である。入学試験、資格試験、要するに選抜試験は、基本的に「資本試験」である。塾、予備校、つまり利用できるものをすべて利用したものが勝つようにできている人為的な仕組みである。
 カネのない者は受からない。難関の資格試験なら、大学に通いながら、さらに予備校を2つ利用する、そういうカネを使える人間から受かっていく。
 高校受験も本質は変わらない。開成、筑駒だって、カネをどれだけかけられるか、である。塾の特別講座、オプション講座をすべて受けて、教材費、参考書代などにカネを惜しまない人が受かる。講座費をケチって、講習を受けないで、済ますとか、そういう人は最初から目指さない方がいい。
 教育はカネのかかる投資である。投資額が大きければそれだけの見返りがある。それは子どもの成功であり、安泰である。
 教育費を安く済ませて、子どもに苦学させる、というのは、明治時代か、戦後のドサクサか、とツッコミたくなる。
 今は、中高一貫校も、私立難関受験生の併願校の選択肢の一つである。つまり、小4前後から大手進学塾で鍛えてきた受験生が普通に都立中を受ける時代である。塾代を節約する人たちが相手になるのか、という話しである。
 一頃は、私立の問題と適性問題は違うし、私立には理科・社会があるから、私立受験生には不利だなんてことが言われたが、そんなことはないことがわかってきた。
 まず、難関私立の算数は、適性問題とそっくりだ。つまり、開成、麻布などの受験生には、適性問題など何でもないのだ。
 また適性問題と言っても、算数分野、理科分野、社会分野と、実質は、理科、社会は出題される。ただ、適性社会は資料問題が中心であり、私立のような知識問題はない。適性理科も最重要定理・法則に限られている。私立のような細かな出題はない。しかし、それだからこそ、算数で推理を鍛えられた私立受験生には問題なしと言える。
 問題は作文だけ。しかし、私立受験生は、国語読解を鍛えられている。適性作文はもちろんそれ特有の対処法の訓練が必要だが、都立中受検の子たちがそれに卓越しているわけでもない。
 ただ私立志望でも公立志望でも、作文を書けない子というのは、必ずいるわけで、これは共通の問題である。
 こうして、都立中受検生が昨今合格しにくい事情は説明できたのかな、と思います。もともと私立にまで出すカネはないと、受験は他所の世界の話しと決め込んでいた家庭に、突然舞い降りてきた公立中高一貫校受検ですが、もとが、カネをかけられない人たちでしたから、カネのある私立受験軍には勝ち目はありません。
 子どもは手をかけてやらなければ、できるようにはなりません。あの開成、筑駒に合格した生徒でさえ、わたしは四六時中手をかけて指導してきました。どんな天才も手をかけてやらなければ日本一の難関校筑駒には受かることはなかった。
 
 都立中受検の塾として、わたしが、経済的理由でそこまでカネをかけられない子たちを指導してとにかくも合格者を出せてきたのは、やはり入会試験で選別してきたことが大きい。ただ学校の優等生が必ずしも合格レベルに達しないのは、さまざまな事情からである。学校の内申評価が適切に知能を評価していないこと、だから内申がよくても知能はそれほどでもないという子が多数いること、さらにそういう子たちが、なぜか習い事や稽古事は続けるほどに親子にこだわりがあること、中にはスポーツ命の親子もいますから。これは私立受験の子たちにはまずない。開成をめざす子が習い事などに時間を費やすことなどあり得ない。私立の親子は受験というものを知っているのだ。
 公立中高一貫校受検の家庭というのは、習い事、稽古事にはカネを出す。習い事、稽古事の費用はたかが知れているから。また低学年から続ける家庭も多く、途中で「これだけは続けたい」という家庭が多く、私立志望の家庭とは根本的に考え方が異なる。その習い事も区立中に進むとほとんどがヤメてしまうのもその特長である。
 こうして公立志望でもカネをかけられない家庭の子はその子の能力だけがたよりの受検、区立中学に進めばもともとの能力たよりの受験をするしかない。
 中学でも塾に行けない、行かない、カネをかけない家庭の子は、低偏差値都立か、底辺私立高校に行くしかない。後者は曲がりなりにも私立なのだからそれなりのカネはかかる。しかし、3年だけはカネを工面して、社会に出すという考えなのだろうか。
 教育はカネがかかる。
 竹の会はそうした、そこまではカネをかけられない人たちを対象にしてきた。だから季節講習も大手に比べたら比較にならないほど短い。少数の生徒のために、長い時間、より多くの日数を組み込むことは、家庭が出せる費用を超えるからである。だから最低の、ギリギリの時間を用意する。しかし、親はそうは思わない。最低の日数なのに言われた期間出た。それなのに落ちた。それでも費用は「高い」と言う。その上竹の会の用意した日数をやれば、塾の言う通りにやったのだから、受かる、と思い込む。
 私立受験の家庭が最大の日数、最大の時間をかけて、どんな講座にも惜しまずカネを出すのとは違うのだ。その私立の親たちは、落ちてもそれは力が足りなかったとは思っても、カネをもっとかけたりなかったと思う。
 公立の親が、少ない日数しかかけていないのに、落ちたら、塾の言う通りにやったのにと言うのとは、如何にも異なる。
 受験というのは、カネをかけてなんぼの世界である。大手の繰り出す特別講座はすべて受けて、通常課程もすべてこなして、季節講習も目一杯受けて、初めて開成なりに合格しているのだ。
 竹の会にも昔はSシステムというのがあって、毎日16時から22時までやっていたこともある。季節講習なんかは、朝9時から夜22時までほぼ毎日やったこともあった。合格するのはS出身の子に限られていた。その他大勢の合格については一切書いていないけど、底辺都立、底辺私立に行った生徒は、Sにはカネを出す余裕などなかった家庭の子たちである。
 かける指導時間が多ければ多いほどできるようになる。これは受験の真理である。しかし、それはおカネとの兼ね合いである。大手のようにそれが当然とわかっている親が集まるところは問題ない。しかし、竹の会のような小塾ではそういう家庭はほとんどないから、限られた時間の枠内の指導で、後は家庭学習に期待して、なんとか成績を上げる、合格を出す、それが精一杯である。家庭学習を有意的にやれる子なんてほとんどいないだろう。報告させれば、「10時間やりました」なんてのが、軒並みいるけれど、なぜか夏休みが終わった後の成績は冴えない。まあ、子どもの勉強やりました、というのは、信用ならない、わけです。親監修の時間報告なんだけどもそこがさらに信用ならない。親が見張っているわけもないし、子から親への時間報告だろうから、そもそも10時間のうちどれだけ本当に勉強したのか。わたしは根底から信じていない。

 家庭学習はもちろんやらなければならない。
 ただ、連日家庭学習ではどうにもならない。
 できれば指導回数が多ければ多いほど効果が出るのはわかりきったことである。少なくともわたしには自明のことである。都立中は今や私立難関受験生の重要な志願先の一つである。都立中志願者が、これまでと同じ勉強姿勢のままに、勝てるのは至難になりつつある。塾代に惜しみなくカネをかける大手進学塾のライバルたちに、できるだけ塾代を節約して受かろうと考える、多くの公立受検一択の子たちが、勝てるのか、ということである。
 都立一択受検生も、大手進学塾に通う私立難関受験生に勝つには、どうしたらいいのか、考えることだ。
 そうすると、かけられるだけの指導時間をかけて、手をかけてやらなければ、ということになる。
 時間もかけない、塾費もかけない、かけてもできるだけ少なくて済ます、そういう家庭は、子どもの能力頼りで受けるしかない。しかし、すべてがすべて能力に恵まれた子たちではないのは当たり前で、多くの子が必然排除され、淘汰されていくことになろう。
 こうして、都立中は、私立難関受験生と公立一択の比較的知能の高い優秀な生徒に独占される、ことになる。いずれ近い将来には、受かる生徒は限られたものとなるであろう。
 受験はカネのかかる投資である。最初からカネをかけない家庭は区立の選択しかない。
 区立選択の生徒の区立中学の3年は険しいものとなるであろう。なぜなら、区立にしか行けない程度の能力、学力の生徒が行けるところは限られているからである。
 そうは言っても、都立日比谷などの3年型都立のうち、いわゆるトップ都立と言われるところには、区立に進んだ1割弱が入れる。どういう種類の生徒か。まず都立一択の都立中を惜しくも落ちた生徒、受検はしなったけどたまにいる知能の高い子、難関私立中失敗組、など、残党組の主戦場となる。
 都立中合格組と不合格組、すなわた3年型都立の戸山、日比谷、青山、国立に進む者のどちらが有利なのか。
 3年型都立は大学進学で都立中高一貫校より上と見ていい。小石川、武蔵を除けば、白鷗などの都立中は日東駒専レベルに入る者がほとんどである。

 その程度の都立中に血眼になって行く意味がわからない。トップの薄い層が出す東大合格などでその都立中の格付けが上がるのか。入学しても6年後に日東駒専にそのほとんどが行くのではそれでいいのか。

 高校受験の勉強はやりようによってはそうした都立中の6年間など問題にならないほどの成果を出せるのだ。竹の会から開成高校、筑波大学附属駒場高校に合格した生徒の、数学力、英語力は、そのまま東大受験の下地となっているのだから。

ページトップへ