2024.02.22
🔛大手有名進学塾、公立中高一貫校型大手塾で、人生を潰される子どもたち
大手は信頼できる、なにしろブランドだから、そんなふうにでも思ったのだろうか。
竹の会は昭和60年10月の開設であった。当時は、四谷大塚と日能研の隆盛期で、近所には、四谷大塚の準拠塾が、繁盛を競っていた。高校受験と言えば、河合塾、代々木ゼミナールを中心に、様々な塾があちこちにあった。竹の会は、そんな事情も何も知らないで、いきなり渋谷区の交通の便もさほど良くもないところ、しかも住居として使っていたマンションの一室で始めたのだった。ガリ版刷りのハガキを代々木中学2年生に出したら、たちまち入会申し込みがあって、あっという間にいっぱいになった。
あの頃、よく尋ねて来ていたのが、四谷大塚、日能研、学習指導会などの有名塾に通って、落ちこぼれた子たちだった。わたしは、大手で神経をすり減らした、目がどんよりとした子たちを引き受けて指導したものだ。あの頃から少しも変わっていない。大手塾で潰されて、本来の力もつけられないままに、やる気をなくした子たちが、区立中学に澱む。勉強に失意、ときには憎悪さえも撒き散らし、投げやりな態度が内に燻る悲しみを映し出す。意味もなく部活に流され、低偏差値私立の単願でとにかくも行先を決めて社会に吸い込まれるように飲み込まれていった子たち。
わたしはそういう子たちをどれくらい見て来たことか。
竹の会が、大手塾の落ちこぼれを保護してきた、あの頃はそうだった。
あの頃のわたしは、どんな子でも引き受けた。悩む母親に救いの手を差しのべてきた。通知表オール1、学年ビリ、ビリから2番、3番、不良、番長、自閉症、学習障害児、私立中学の落ちこぼれ、私立高校の落ちこぼれ、どんな子でも診てきた。竹の会が、そういう子たち専門の塾と親たちに誤解されたときは、さすがに苦笑するしかなかった。
いやいや待ってくれ、わたしは、学年1番を育ててきた人間だ。竹の会には、いつも学年1番がいたではないか。わたしが、できない子の親に同情して、なんとかしようと、情熱を注いだ、若かりし頃の話しである。できない子の指導というのは、動物、というか犬の訓練に似ている。犬も「好奇心の強い」犬でなければ、覚えない、と言うことを聞いたことがあるが、人間も同じである。犬は、違いしかわからない。概念を理解することはできないのだ。できない子の指導というのも、これとあれが、同一なのだ、ということを教え込む、苦労なのだ。竹の会の入会試験は、この同一性の判断ができるかを見ている。都立中受検が始まってから、内申が全然ダメなのに、都立中学の受検をしたいという親子が増えて、親も子もどんなにできなくても受検できる、成功する、と本気で信じている。そもそもの受験を知らないのだ。「二月の勝者」(漫画)でも読んで受験の常識(異様な世界)を知ったらいい。どうも都立は私立とは別だ、と素朴に考えている、ふしがある。
大手進学塾は、すべての受験を志す子どもたちに幸福をもたらすわけではない。子どもたちの脳を消化不良にし、思考というものを軽視し、授業の予習あるいは復習に何時間もかけさせ、つまりは、自由なる思考を駆逐し、一年、二年と心を抑圧する。子どもの心は荒み、不安定なままに、安定を求めて、彷徨うばかりである。
かつてのわたしは、そういう大手の悩める子たちを救ってきたのだった。しかし、平成十年あたりから、そういう類の仕事からは遠ざかってきた。生粋の、小2あたりから思考を育てていく仕事にその収穫の喜びを知ったことが大きい。竹の会で、低学年から割合を鍛えてきた子たちは本当に違う。これは同じ能力の子で比べるとはっきりする。驚くほどの差になる。竹の会でそういう指導を受けてこなかった子たちの挫折・伸び悩みはあまりにも歴然としている。大手で過ごした子たちは、竹の会で低学年から過ごして割合を鍛えた子たちの敵ではないのだ。大手という戦場からは大量の哀れな落人が生産される。
竹の会を知らない人たちは、大手だからとブランドに惑わされて、竹の会を一瞥もしない。愛する自分の子をどうにもならない八方塞がりの大手の罠に落とし込んでいく愚行にはもう興味はない。わたしはそのような親たちの説得をとうに諦めている。もう早くからどうぞお好きという心境である。幸運にも、竹の会に出会った親子が、竹の会の言ってきたことの真実を知るだけである。その数は、たいてい一人、二人しかいないけど。