2024.07.02
🔛成功者はほとんど塾を休まなかった、という事実❗️
よくなにかと塾を休む子は、成功はしないと思います。というか勉強に関心度の問題で早晩消えていくものです。
今年の合格者を見て見ると、少なくともズル休みはなかった。連休、お盆などを利用して家族旅行をした、というのがありましたが、これは別に勉強を忌避してのことではない。いやむしろ勉強には積極姿勢が際立っていた。
新型コロナやインフルエンザは当然として、熱があれば、咳が出れば休むしかない。
しかし、休むという場合、疲れたとか、今日は勉強は休みたい、とかそういうグレーゾーンにある理由で、休むということがないのが、合格者である。受験時期になると、情緒不安定な時期であるが、家庭内の衝突で壊れる受験生は確かにいた。
今年の合格者を振り返って見ると、とにかくも3年間ほとんど恣意的な休みがないのが特徴である。そういえば、平成10年に早稲田実業高校に合格した生徒は、生徒会長、柔道部長などをこなしながら、6時には必ず入室していた。当時は、夜9時までだったのか、10時だったかもしれない。彼はSコースだったから、平日毎日だった。彼は季節講習も必ずフルで出た。お盆の里帰りという勉強中断もなかった。中3の夏が終わってからの彼の伸びは目を見張るものがあった。代ゼミから送られてきたきた冊子、そこには模試の全国上位者としてフルネームで彼の名前が載っていた。わたしは、百番台に彼の名前を見つけて驚嘆した。
「疲れたから」休むという子、なんとなく休む、そういう子は、受験は成功しない。
模試を回避する子は、落ちる。竹の会では、V模擬は、塾経由で申し込むことになっている。わたしが成績を把握するためであることはもちろんである。昔は、学校で業者テストとして実施していたから、生徒が自主的に結果を提出してくれないと何もわからないということがあった。そしてそういう生徒というか、親子がいた。
今は、学校からも、書店からも申し込めるから、塾を通さない親がたまにいる。また一切塾を通さないという親子もいた。しかもたったの2回しか受けていない。外部から申し込むのは、自分の成績を隠したいという意識が働いているのだろう。自尊心が高いのだろう。できない自分を他人に見られたくないという意識があるのかも。
しかし、これは受験というものを否定する態度である。模試で、現状把握することは、必須である。特に、自己判断は危険である。どうしても主観的に、これは本当の自分の実力ではないと、現実を否定して、本当は自分はすごいのだという仮想世界に逃げる。実際そういう現実を認めない生徒が多数いるのが、受験である。
模試は多いほどいい。親は、実際の試験の練習だとぐらいにしか考えていないのだろうが、特に、V模擬は、唯一の都立模試であり、都内の志望者がほとんど受けるであろうから、これほど客観的なデータはない。わたしは、V模擬のデータを仔細に分析して、合否を割り出している。独自校のデータは、塾配布の冊子は使えないが、個々のデータは、合否判定、実力判定には不可欠である。初期のV模擬は、弱点を炙り出し、いわゆる手を打つために必要である。模試慣れする、つまり制限時間内でどれだけ取れるか、の配分の感覚を養う、という効果もある。たった2回、9月と12月に、しかも独自校を受けるのに、共通問題を受けたという生徒、しかも外部受験、そんな生徒がいたのである。しかも親はそれに対して何も言わないし
わたしに訊いてくることもなかった。親公認というわけである。12月の冬期直前に見せてもらった、2回目という模試の結果は惨憺たるものであった。もうわたしには打つ手はなかった。実力はないのに、内申だけはいい、その見栄で青山を受けたらしいが、わたしには、例によって何も知らせてこないから、わたしは何も知らない。
竹の会に入るということは、高校入試は全面的にお願いする、お任せする、ということです。それが竹の会の指導を受けるという意味です。小学生でも、小6の途中から入会してくる子に多いのですが、親がいろいろやるわけです。勝手にあちこちの模試を受けて、家では、過去問なんかやらせるわけです。これは高校入試にもいました。勝手に過去問をやって採点して画像で送ってくるわけです。しかし、過去問はわたしには重要な「検査」です。弱いところを知る、何が足りないかを知る検査です。これを勝手にやるわけです。先の中学生は、過去問を家でやってその結果をわたしに一切報告しませんでした。わたしが「どうだった」と訊くと、にゃッと笑ってそのままです。これで受かるわけがないではないですか。わたしは何もしてないのです。竹の会のレジュメもまともにやらない子が受かるはずがないのです。
竹の会は、算数を通して、思考を鍛える塾です。竹の会の思考過程を経ていないと、どうしてもこういうことになる。先の中学生も中学からでしたが、小6から来た子というのは、竹の会の思考形成過程が欠落しているのが致命的である。小6から来ると、自分が遅れていることを実感するものだから、レジュメ集なんかも3日で終わらせたという女子もいた。おそらく親が教えたのだろうが、竹の会の算数レジュメは、思考形成のためのものであり、一問一問じっくりと時間をかけて思考したことの積み重ねの証である。3日で終わらせて、答えが合っていたら終わりではない。
問題集解いて丸をもらったら終わりという大手のテキスト感覚なのであろうが、思考の経験が欠落しているから、本番で、思考で切り抜けるということができない。
勘違いした親と子、竹の会をわかっていない、というほかない。
親が何かと口を出すというのは、竹の会への信頼度がその程度ということなのだが、これは、小6の途中入会や、中学から入会という親に特徴的な共通した傾向である。
もちろんこれは一般論であって、これまでに、小4から来てもそういう親はいたし、中学から来ても信頼を寄せる親もいた。というか、昔は、竹の会は中学生ばかりいたから、親も様々であった。東京の中学生は、そのほとんどが、偏差値の低い私立に行き、その多くは専門学校に流れるというのが普通であった。だから高校入試のために塾に行くのもほとんどが中3からであり、早い生徒で中2というのが世間であった。それで内申のいい生徒は駒場とか、新宿に行くことで満足していた。難関校を狙う生徒は河合塾が普通だった。まだサビも早稲アカもなかったのだ。竹の会は地元塾としてそういう思考の親たちに合わせてきた。そういう限られた時間設定で、新宿や駒場に合格させてきたのだ。
学区制時代の緩やかな受験時代であった。少子化による生徒の争奪が私立と都立で火花を散らせる時代はもうすぐだった。都立高校の凋落、公立中学の学習不振児の増殖が、都立の改革を余儀なくさせた。学区制は撤廃され、公立中高一貫校制をスタートさせて、私立に流れた優秀な生徒を呼び戻すべく都立はようやくそれまでの節穴を反省した。
これからは都立も私立も序列化が一段と明確化し、少子化を背景に、早慶開成や国立、トップ都立が上級国民への登竜門として鎬を削る戦場になるのであろう。
昔のような牧歌的な受験の時代はもはやない。受験というカネのかかる投資に勝てる層が限られたパイを独占していくことになろうか。
竹の会はそういう現状を踏まえて戦いに勝つために手を打つことになります。
去年もその前の年も季節講習の案内を受け取ると辞めていく家庭がありました。受験とはカネのかかる投資です。三年前になりますか。竹の会の全員不合格は。あの当時のカリキュラムではとても勝てないと思います。公立狙いの家庭のカネをかけない受験ではもはや通用しない時代になっていたのです。