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🔛竹の会の受験・受検は、指導の妙にあり❗️

2024.07.09

🔛竹の会の受験・受検は、指導の妙にあり❗️
 令和4年の悪夢、都立受検全敗から、わたしは、これまでのカネのかからない、都立志望家庭に忖度した指導にきっぱりと訣別した。もうカネをかけないで、指導時間の足りないまま、後は本人の能力と家庭学習時間に託す、ことを辞めた。
 受かるには、取れるだけ指導時間をかけなければ保証なんてない。最大の指導時間をかけてようやく合格できた、これが真実である。中途半端な指導時間では受かった試しがない。
 家庭の費用に忖度して、少ない指導時間を用意した結果が、令和4年の悲惨であった。
 都立中学受検はもはや、私立受験と変わらない実態となった。
 令和5年、6年とわたしは、これまでのレジュメ指導を捨てた、と思う。それほどに令和4年の結果はわたしには衝撃であった。
 思いを寄せるのは、平成25年の結果、つもり平成24年の指導であった。あのときは、レジュメを作っては指導に使ったから、あれこれとレジュメはなかった。「入会試験1類」、9月からは、「合格答案への道」、「算数をクリアーにする」だけであった。これだけで3名が合格した。小石川、桜修館、白鷗に合格した。
 何が大切だったのか。
 一問をじっくり考える姿勢、「考える」質であった。失敗は大量のレジュメを投じて、子どもたちに考えるよりも、たくさん解かせる、そうなると考える時間は少なく、不正解も当然増える、解説見て次のレジュメへと先走る。このパターンに入ると必ず落ちた。竹の会にはわたしの執筆したレジュメが大量に蓄積されている。たくさんあるからできるだけたくさんやろうとすると、それだけ思考が欠落して、結果は必ず落ちた。
 子どもたちの思考を遺す、思考で勝負する、これだと思う。どれだけ考えたか、直前まで、思考を深める指導にこだわらなければならない。
 考える子が受かる。そんな簡単なことであった。
 算数を通して「考える」ということ、その経験の積み重ね、それが最後にはものを言うようになる。
 適性問題とは、要は、読み取りなんですね。問題文に書かれていることをきちんと理解した子が受かる仕組みなんです。問題全体を見ないで、一部の既知の言葉だけに過激に反応して、その言葉に囚われて、自分の超主観を書く。そういう子がなんと多いことか。
 令和4年の惨敗の印象
 小6の夏前に来た子たちの、焦りと、反応的に解くという大手塾で染み付いた悪癖、
 小4からいるのに、思考を培うという、大切なことを忘れて姑息な勉強に陥る子、できない子だけでなく、できる子もカンニングもどきをやります。
 課題をほとんど出さず、漢検も絶対にやらない、そういう子の親が、「先生の言う通りにやったのに」と責めるのは、わたしには、何を言っているのかさっぱりわかりません。そもそも最小の節約コースだけで、受かろうとしたことが、致命的だったのですが、都立受検の親はそういうことには全く気づいていません。わたしがどんなに指導時間が足りないかを苦悩しても都立志望の家庭には通じません。都立受検はカネをかけなくても受かると信じているのです。もちろん時間かけたからと言って必ず受かるわけではない。しかし、受かる蓋然性は格段に上がる。 時間をかけなければ、落ちる可能性は、確定と言えるほどに高い。
 つまり、指導時間をかけないなら、落ちても仕方ない。親としては経済的にも精一杯かけたつもりだから受からないのは竹の会が悪いということなのでしょう。大手塾に通う中学受験の家庭のことを知らないのは世間を知らないということになります。

 家庭の勉強は自己流になりがちです。中学でも最初から成績が冴えないのは初動の遅れ, かつ指導時間が足りないからです。中学受験をやった子は実はぱっとしないものです。竹の会で低学年から鍛えてきた子たちは全く違います。考える、勉強とは何か、そういうことをレジュメを解きながら学んできたのです。

 成績が冴えないなら指導時間を増やせばいいだけのことです。昔から成績が冴えないと親が「どうしたらいいのか」と言ってきたものですが、方法がどうだとかいう問題ではないのです。家庭学習が失敗に終わっているのだから、どうしたらよくなるのか、という発想ではなく、指導時間が足りないということに気づかなければならない。特に、中学は学校程度のレベルで点が取れないと落ちこぼれの可能性が高いのです。様子を見るとかそういう話ではない。

 今年の受験が合格ラッシュだったのは指導時間をかけられたからです。

 いですか。抜きん出る人は中1からもう一日の勉強時間は最低でも5時間です。全然勉強しない日がそれなりにあるのなら成績なんて良くなるはずがない。
 
 

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